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おおさか東線散策


2008年3月15日、JRおおさか東線が開業しました。
大阪都心のターミナルには接続せず、大阪東郊で既存路線を結ぶという非常に地味な路線ですが、乗ってみるとそれなりに味があるものです。
この地味な新線を散策して見ました。

開業記念のヘッドマーク

※写真は2008年3月撮影


●イントロダクション
2008年3月15日、JRおおさか東線が開業しました。

もともと1929年から1939年にかけて開通した、大阪東郊を吹田から八尾まで南北に貫く城東貨物線として知られてきた路線ですが、放射路線を結ぶ環状方向の旅客線とすべく、1996年に大阪外環状鉄道が第三セクターとして設立され、プロジェクトファイナンスによる事業費調達を行なう同社の下でJR西日本が所有する城東貨物線の改修を行い、運営はJR西日本が行なうと言う、ちょっと複雑なスキームとなっています。

今回の開通は大阪市の放出から、東大阪市内を南下し、大阪市を新加美でかすめたあと、八尾市の久宝寺に至るルートですが、「大阪外環状鉄道プロジェクト」は、放出から北、学研都市線と鴫野まで並行したあと、城東貨物線を淡路付近まで進んだ後、新大阪に至って完成することになっており、今回の開業を伝える各種掲示には必ずと言っていいほど新大阪までは建設中と添えられています。

JR河内永和を発車した久宝寺行き


●まずは放出へ
神戸に住んでいると学研都市線沿線と言うのはほとんど縁がないエリアです。
と言いながら、毎日目にする行先に「松井山手」があるわけで、名前だけは知られています。

神戸線から乗り入れるだけあって、実は行きやすいわけですが、東西線内、特に尼崎から北新地までは神戸線が同区間に相当する大阪まで塚本だけ(快速以上は無停車)停車なのに、東西線は快速も含めて4駅に停車するため時間もかかります。
そのせいかどの電車も閑散としていますが、北新地からは今度は京橋乗り換えも無いということと環状線に対して短絡する位置関係もあり、しっかり乗ってくる印象です。

学研都市線の本名は片町線。しかしその名の由来となった片町は東西線開業時に袖にされ、大阪城北詰で代用されました。地上に出ると京橋。学研都市線のターミナルですが、北新地方にY線方式の引上線があるものの、基本的に2面2線の棒線であり、これでよく捌いているものです。

京橋の学研都市線ホーム

同じ京橋でも、京阪電車は高架複々線が伸びていますが、学研都市線は地上。駅の外れにすぐ踏切もあり、下町ムードと言うかローカルムードすら漂う出発です。
やがて左手から単線の線路が合流しますが、これが吹田からの城東貨物線。 大阪外環状鉄道のサイト によると、新大阪延伸時には学研都市線の北側に複線が張り付く計画ですが、建設中といいながらその気配はありません。

吹田へ向かう城東貨物線

高架駅の鴫野を経て放出へ。鴫野までの「複々線化」に備えたスペースを活かした引上線が用意されていますが、ただ、引上線方向に向かって行き場のない分岐があり、これは準備と言うことでしょう。

学研都市線と対面接続の放出
(ホーム上には後述する調査員)

久宝寺もそうですが、1日4往復の「直通快速」を除き線内折り返しとなった反面、引上線を使用して学研都市線京橋方面、大和路線王寺方面とは同一ホームでの対面接続となっているのは親切です。ただ肝心な接続が、学研都市線→おおさか東線はおおむね良好なのに対し、おおさか東線→学研都市線は1分差で逃げられて8分待ちが2本に1本あるなどよろしくありません。休日夕刻なども接続がまず京橋止めというケースも多々あり、もう少しなんとかならないのでしょうか。
20分ヘッドの大和路線に対し、15分ヘッドの学研都市線はおおさか東線とパターンがあっているはずですが。

放出からおおさか東線方面


●高井田中央へ
放出を出ると、立派な高架線が見えますが、これは学研都市線。淀川電車区(現在は森ノ宮電車区放出派出所)への分岐もありますが、学研都市線、電車区への引上線、おおさか東線が分岐するあたり、第二寝屋川を渡るところに見える立派なトラス橋がありますが、よく見るとどこにもつながっていません。どうも電車区内の一部のようで、用地の関係か川の上に張り出したためこういう構造になったようです。

渡らずの鉄橋

おおさか東線は南に向きを変えると高架に上がります。低層住宅が多く、東大阪の市街地が目の前に広がります。
阪神高速東大阪線を併設した中央大通と交差する地点にあるのが高井田中央。地下鉄中央線高井田駅との乗換駅です。

ささやかなロータリーが新設された駅前の乗り換えはスムーズですが、雨に濡れないとまでは行かないのが難点。次の河内永和などが「JR」を冠しただけで接続他線の駅名と合わせているのに、ここだけ「中央」とはこれいかに、と考えて見ると、久宝寺で接続する大和路線、大阪府柏原市に「高井田」駅があります。

高井田中央停車中の放出行き
後方には阪神高速の高架

これは紛らわしく、「JR高井田」でも拙かろうということでの「中央」なんでしょう。「大阪高井田」だと向こうも大阪府、「東大阪高井田」ではくどすぎます。全く別名にしようにも、阪神高速の「高井田ランプ」もある著名地名であり、地下鉄中央線の駅も「高井田」ですから、ここでJRが高井田外しをするとかえって不便、しかし将来各駅停車が乗り入れたりするとそれこそ大和路線との区別は絶対だし、とハムレットの心境でしょうか。

後述する書体の表記


●JR河内永和
社名+旧国名となんともくどい駅名は近鉄奈良線乗換駅。
近鉄が少し前にそれまで案内上省略していた旧国名付の駅名を正式名称で案内するようになったため、案内上も河内永和が前面に出てきたがゆえでしょうか。

JR河内永和を通過する直通快速

もともと築堤の城東貨物線を近鉄が乗り越していたため、複線電化の高架線を建設した際もそのまま近鉄の下に入っています。
線内運転の普通電車はウグイス色の201系もしくは103系の6連。直通快速のみ223系の8連ですが、線内各駅は当面8連は来ないと考えたのか、ホームが2連分閉鎖されている駅がこのJR河内永和とJR長瀬です。

ホームはこんな感じ

新加美を除く4駅の構造は似たり寄ったりで、築堤を高架複線にしたためスペースが少ないのか、島式ホームの幅は狭いです。とはいえバリアフリー設備は万全で、通常前後方向からかコンコースに向かう位置にある階段がエスカレーターになっており、上下を並べて置けないため、どちらかを下り、もう一つを上りにしています。階段は1箇所で、さらにエレベーターと最近の新交通の駅に似ています。
そして駅舎を線路脇に置くスペースがなく、コンコースも高架下にすっぽり入るウナギの寝床です。

コンコースはこんな感じ


●JR俊徳道
近鉄が布施を出て大阪線と奈良線に分かれてそれぞれの最初の駅が俊徳道と河内永和。まだ両線の間隔が開いていない段階で城東貨物線は交差していましたが、まさか両方に駅を設置するとは思いませんでした。

JR俊徳道の駅名標。両端共に「JR」付き

このあたり、近鉄だとこの両駅から鶴橋までで200円。さらに環状線や地下鉄に乗り換えるとキタまでは400円前後に跳ね上がります。高井田からも地下鉄だと270円で、JR長瀬以北で大阪や北新地まで210円のおおさか東線はお得であり、駅という既存市街地に直接取りに来た、といえます。

近鉄大阪線が斜めに交差するJR俊徳道はおおさか東線も微妙に東方向のカーブの上にあり、電車もけっこう傾いて停車します。
駅前は下町商店街の雰囲気。河内永和もそうですが、近鉄の高架と高架駅が立派過ぎてかえって寒々しく、こじんまりとしたおおさか東線の駅のほうが街に似合っています。

下町然とした駅前から高架ホームを見る


●JR長瀬
JR俊徳道を出てしばらく進むと分岐があり、単線の線路が左手高架下に築堤で降りていきます。
ここが蛇草(はぐさ)信号所の跡。放出−百済間で唯一の交換施設が地平にありました。

JR俊徳道側から見た蛇草信号所

JR長瀬で降りて高架下に回ると、開業直前まで使われていた地平線がそのまま残っており、早晩撤去、整地されるのでしょうが、旅客線としては新規開業ですが、貨物線としては高架切り替えに過ぎない、という特殊事情が見えます。

地平の貨物線跡

貨物列車はここから地上を進み、久宝寺とは反対方向になる平野方向に向かい、東部市場駅脇の百済貨物駅に向かっていました。もちろん百済への貨物列車は健在で、高架線を走り、百済への貨物用高架線も出来ました。

なお新線区間の各駅は、通常通りの駅名票のほか、行書体のような独特の書体による表示が用いられており、エスカレーターの柵や、駅外側の駅名表記にその書体を見ることが出来ます。

JR長瀬の表記もあの書体


●新加美
新線区間も事実上終わるのが新加美。大和路線加美との位置関係は、JR俊徳道や高井田中央における他線連絡といった感じでしょうか。

大和路線加美から。後方におおさか東線の高架駅

駅の手前で百済貨物駅に向かう貨物線が分岐しますが、どうしたことかここが非電化。貨物はDL牽引とはいえ、吹田から百済までの間、この分岐線だけ非電化というのもつぶしが効かない話です。ちなみに大和路線に合流後、百済行き貨物列車は平野まで奈良方面行き線路を逆走します。

百済へ向かう貨物線の分岐

新加美は新線区間では唯一の相対式ホーム。カーブ上にありますが、そのカーブの終端はもう大和路線との合流であり、上下線間に割り込むように降りてきます。合流地点付近では、旅客化の選からも漏れたいわゆる「阪和貨物線」(久宝寺−杉本町)が見えます。

相対式ホームの新加美

かつては定期旅客列車も走り、営業キロも設定された稀有の貨物線で、1988年の「ならシルクロード博」の際に奈良と和歌山との間で運転された「直行 ならシルクロード博」号に乗車したことや、紀勢線色の117系による錆取り列車の運転を見たことがありますが、2004年に休止してからは接続部のレールも剥がされており、同じ貨物線でも明暗を分けています。

阪和貨物線の「跡」が分かれてゆく


●久宝寺
そして終点の久宝寺です。
放出と同じスタイルの2面4線ですが、10分ごとに大和路線の緩急接続がある関係でダイヤは厳しいようですが、放出同様引上線使用なので支障時間は最小限に出来ているようです。

久宝寺も大和路線(左側)と対面接続

駅前は旧竜華機関区跡地の再開発が進んでおり、快速停車に加え、将来は新大阪直通となるおおさか東線の2ウェイの拠点ということで、八尾市の新しい拠点になるのでしょうか。
隣の八尾駅が電化前から変わっていないような古ぼけた駅で、交通拠点は近鉄八尾だったわけですが、ここ久宝寺がジャンクションの強みを生かして伸びてくるかもしれません。

●直通快速
さて、目玉商品の直通快速。
通勤対応のように見えて、土休日は運転時間帯を朝は遅め、夕方は早めにシフトしてお出かけ需要をターゲットにしています。
尼崎発着で東西線内各駅停車。3扉車、転換クロス車が定期運転で入線するのは初のこと。各駅には8連の乗車位置や、三角形の3扉車乗車目標があらたに加えられました。

北新地停車中の直通快速

その鳴り物入りでデビューした直通快速ですが、出だしはかなり苦戦しているようです。
線内折り返しがそれなりに地元のニーズを掴んだのか、それなりに乗っているし、地元の試乗も目立つ中、直通快速に目立つのは鉄道ファンが若干で、空席も目立ちます。
平日や朝は違うのかもしれませんが、ちょっとこれは厳しいです。開業翌週の週末には大々的に調査やアンケートがとられていましたが、直通快速の車内でのそれはあまりの乗客の少なさか、調査員がすぐに手持ち無沙汰になる有様でしたし。

このあたり、天王寺経由の定期券では乗れないとネガティブな規制をかけるなど、この新線や新列車を生かす方向には見えない動きもあるわけで、JRがおおさか東線をどう考えているのかが問われる話です。

直通快速の側面表示。おおさか東線経由奈良行き


●城東貨物線
さて、「おおさか東線」と名前は変わっても、「城東貨物線」として走っていた貨物列車は健在です。

国鉄末期に吹田操車場が廃止され、梅田貨物駅も跡地利用が取りざたされる中、大阪の貨物需要を担うのは鳥飼の貨物ターミナル、安治川口、そして百済の3箇所であり、大阪南部の貨物の玄関口としてますます重要になっているだけに、吹田経由で全国と結ぶ通路としての「城東貨物線」の地位は揺るぎません。

JR俊徳道を通過する貨物。後方は近鉄大阪線

真新しい高架駅の発車案内に時折現れる「通過」の文字。これが貨物通過のサインですが、ディーゼル機関車に牽引されたコンテナ列車が高架駅を駆け抜ける様は、他の旅客新線にない迫力と雰囲気をかもし出しています。

その「城東貨物線」がまだ貨物線を名乗っている鴫野以北の区間は、南北に伸びる単線の貨物線が築堤の上を走るという別世界のような光景です。

築堤が伸びる城東貨物線(淀川鉄橋南)

そのハイライトが淀川橋梁。将来を見越して複線トラス橋で建設されたその橋梁、単線しかなくて空いている上流側に木製の人道橋が併設されています。

複線化されたら撤去される運命ゆえ、その名も「赤川仮橋」、自転車は押して通るお約束ですが、実際には自転車も走っており、その脇を時折貨物列車が駆け抜けていきます。

貨物列車がすぐ脇を...

ここも新大阪までの開業になったらただの鉄道橋になり、築堤はコンクリートの高架橋になるのでしょうが、現在のところはそうした気配もなく、時が止まった感じの空間になっています。

淀川橋梁(赤川仮橋)

大阪の中心からさほど離れていないところに開業した新線、おおさか東線。
城東貨物線区間と合わせて見ると、地味ながらも味わい深い新線散策でした。








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