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本四架橋「第四」のルートを辿る

本四架橋第3のルートである「しまなみ海道」、多島海の美しさを実感できる島伝いのルートから伸びるもう一つの本四ルートがそこには見え隠れしています。このルートを船とバス、そして歩いて見てきました。

広島・愛媛県境の岡村大橋

※写真は2003年4月および2006年5月撮影


1999年5月、西瀬戸自動車道、というより「しまなみ海道」の通り名で知られるルートの開通で、本四架橋は明石鳴門、児島坂出、尾道今治の3ルートが完成しました。厳密にはしまなみ海道は生口島と大島の二ヶ所で高速道路部分が未完成なため一般道を通っていたため、「完成」とは言えなかったのですが、それでも島伝いの端の部分は完成してまがいなりにも本州から四国までクルマで通れるようになったため、この時点を持って開通といっています。
なお、2006年4月に生口島道路、大島道路の部分が開通し(厳密には路側帯などの整備が未完成)、自動車専用道としての開通を見ています。

しまなみ海道、広島・愛媛県境の多々羅大橋

しまなみ海道が通る芸予諸島の地図を見ていると、因島から伯方島に向かう間、生口島、大三島と大回りしているように見えます。もちろん尾道や三原との結びつきが強い生口島(旧瀬戸田町)や、観光資源が豊富な大三島を通るメリットのほうが大きいという判断での架橋であり、実際、しまなみ海道は本四架橋といいながらもその実態は本土側と芸予諸島の間の連絡の集大成という面が強いです。

その大三島を見ますと、そこから西のほうに向けて島々が連なっています。大崎上島、大崎下島と続き、最後の下蒲刈島まで続きますが、よく見ますとこれらの島々もいくつかは橋で繋がっています。
呉市川尻から安芸灘大橋で下蒲刈島、そして蒲刈大橋で上蒲刈島間で繋がっており、一つおいた豊島は豊浜大橋で大崎下島に繋がっています。そこで目を引くのが、大崎下島から小島伝いにかかる3本の橋で繋がる岡村島で、ここは愛媛県今治市(旧関前村)に属しているのです。余談ですが、両岸とも平成の大合併で市域が大幅に広がっており、尾道から県境の生口島までが尾道市になってしまい、愛媛県側の芸予諸島は弓削島などが属する上島町を除きすべて今治市になりました。そして大崎上島を除く芸予諸島の西側はすべて呉市と、呉市、尾道市、今治市が接するというのには未だに違和感を覚えます。

さらに小島をいくつか繋がると大三島で、そこまで繋がると、しまなみ海道から分岐して呉方面に繋がる「本四ルート」が完成します。
しかし、明らかに接続の意思があるように島々を結ぶ橋が完成しているのに、このルートは「ルート」として認識されていません。もちろん岡村島から大三島の架橋計画の存在自体謎ですが、ある程度考えていない限り、県境を越えて架橋するということもないでしょう。

今年のゴールデンウィークに、こちらのほうに行く機会があったのを機に、この「第四の本四ルート」を見てきました。

千光寺公園から見た尾道大橋、新尾道大橋


●まずは今治へ
まずは今治に出て、岡村島に渡ることにしました。「尾道今治ルート」の名に敬意を表して尾道駅からの出発です。
ところが起点とされる尾道ですが、尾道駅からしまなみ海道に向かうバスは大幅に削減されています。かつては全線走破して松山に向かう「キララエクスプレス」や、途中の島々での降車も出来る今治への「しまなみライナー」の設定がありましたが、2004年6月に松山便は新尾道駅−尾道駅を廃止して福山駅に向かうようになり、今治便も2005年6月に廃止と、架橋前の高速艇の基点だった尾道の地盤沈下は目を覆うばかりです。

止された尾道−松山「キララエクスプレス」

それではどうやってしまなみへ、というと、因島大橋開通時から運行されて尾道市営と本四バスのドル箱路線になっている新尾道駅−尾道駅−向島−因島線に乗り、因島の大浜PA併設の因島大橋BSで福山および広島からの路線に乗り換えることになったのです。
このため尾道駅からだと最長で因島までしかいけず、海路も因島、佐木島経由での快速船が瀬戸田までと、大三島や今治航路が残る三原港と比べても寂しい状況で、拠点性が失われています。

さて、さすがに直通便がなくとも直通客への対応はしています。今治への場合、駅前の案内所で乗り継ぎ乗車券を購入すると、因島大橋BSまで580円、そこから今治まで1700円の運賃が2200円に割り引かれます。
駅に西側にあるしまなみ交流館下の売り場で乗車券を購入すると9時45分発ということで、東側の乗り場に急ぎます。新尾道駅始発のバスは3分ほど遅れて到着しましたが、ここから10人以上乗っており、島へ渡る需要はそれなりにあります。

尾道駅に到着した因島行きバス(尾道市営)

途中の防地口までは乗車専用とあり、本土側では市営や中国バス、トモテツバスとの競合を回避しているのか、と思ったら浄土寺下では降車可能と分かりません。尾道大橋に入り、しまなみ海道の新尾道大橋を見ながら向島へ。「大和」ロケセットの見物渋滞がありましたが、目立った渋滞ではなかったものの、信号の目が悪く、かつ運行もゆっくりめです。

ようやく向島ICに至り、広島からの2台運行のフラワーライナーとすれ違いながらしまなみ海道に入ります。因島大橋を渡るとすぐ大浜PAで、因島大橋BSです。ここでの接続は10時10分着の14分発ですが、到着が5分遅れの15分過ぎです。ところが今治行きの「しまなみライナー」の姿はなく、これも福山からのR2が渋滞でもして遅れているかと思ったら、バス乗り場にいた案内人が、「今治行きは出ました」「次の発車は11時19分までお待ちください」という非情の宣告です。

因島大橋

ここで乗り継いだ客は6人。決して少なくはない数字ですが、その2分弱がなぜ待てないのか。案内人を置いているのなら、因島行きの状況を連絡するなり、高速バス側に「まだ尾道発が来ていない」と発車待ちをかけるなりの対応が出来るはずなのに。
幸い天気が良く、因島大橋を歩いて往復するなど思わぬ観光が出来ましたが、パンフ等で接続を謳う便が逃げてしまうのは論外です。接続できない場合がありますといいますが、じゃあ1本前というと35分前となるわけで、これは接続とはいいません。

因島大橋の歩行者、自転車、二輪通路(料金所)

小1時間後にやってきた「しまなみライナー」は13人乗車。接続で一本前にスカを食らった乗り継ぎ客が6人ですから、尾道接続の軽視にはますます納得いきません。
ちなみに11時15分着の「接続便」はこれもまた来ていませんでしたが、そのまま発車。55分後の便に乗せるということでしょうか。

ようやくやって来た「しまなみライナー」

尾道市内や向島での渋滞がネックという話なんでしょうが、ならば向島の尾道大橋出口に近い向東BSを接続対応にして、一般道側から高速BSに乗り継ぎにすれば、時間ロスもないはずです。同じ乗り場で乗り継げるというメリットを追うと因島大橋BSですが、ならば4分接続のようなタイトなダイヤはやめるか、案内人を置いているのなら2、3分の接続待ちをするとか、乗客本位の対応が必要です。

「しまなみライナー」は生口橋で生口島に入ると開通したばかりの専用道区間へ。これまで一般道経由で日中便は耕三寺、平山郁夫美術館前に停車して観光対応もなっていましたが、本線上の瀬戸田BS経由で島内バスに乗り継ぎと、直通客には良くてもしまなみ観光にはあまりよろしくないようになっています。
そして斜長橋としては世界一の多々羅大橋を渡ると愛媛県大三島。ここではいったんインターを出たところに大三島BSがありますが、大山祇神社などの観光地へは乗り換えとワンクッションあります。

来島海峡大橋

それでも上浦BSで降車客がいたりと、地元利用らしい客にとっては本線BSも使いこなしているようです。
大三島橋で伯方島、伯方大島大橋で大島に入るとこれも開通したての大島道路。これも降車専用区間であれば大島島内を通したほうが良かったのでは。
そして三連吊橋の来島海峡大橋を渡り、四国に入ると今治北ICでしまなみ海道と別れ、しばらく下道を走って今治駅に到着。そして中心街を進むと終点の今治桟橋。航路の拠点として栄えた街らしく、桟橋のターミナルのほうが立派でした。

●県境の橋を渡る
桟橋着は12時13分。予定では11時8分着で50分発の岡村島関前行き山陽商船フェリーに乗る予定でした。(所要52分)
これが大きく崩れてしまい、次の関前行きは14時発の今治市営(大下島など経由で所要80分)か、14時48分発の山陽商船フェリー。
これでは関前から大崎下島まで歩くという計画を実行した場合、大崎下島の大長港に着くのが17時頃となってしまい、島伝いに呉まで帰れるかも怪しいです。

今治港ターミナル

船会社ことのターミナルになっており分かりづらいなかを行き来しながらようやく、12時50分の広今あきなだ高速の高速艇で大崎下島の大長港に渡れることが判明。大長港は13時19分着なので、関前港には寄れませんが、岡村島への橋を往復する時間を取っても関前行きのフェリーの乗るよりは時間に余裕が出ます。
ただ、フェリーなら840円のところ、高速艇は1960円と相当な出費となるのは痛いです...

広今あきなだ高速の高速艇(今治)

出港までは桟橋見物。生活路線もあれば幹線路線もあるという感じですが、少しはなれたところで一人気を吐くのが大島、下田水港(しただみこう)とを結ぶ協和汽船。普通車980円にまで値下げして本四道路に挑んでいますが、同社はグループの経営不振から産業再生法による事業再編の適用を受けているくらいですから、そこまでして本四道路の経営を悪化させる結果となる値下げを容認すべきか、難しい問題です。

海上から見た来島海峡大橋

今治からの高速艇はデッキがある構造。最初は座席に座ってましたが、天気もそれなりに持ち直しており、デッキで過ごすことに。
三連吊橋の来島海峡大橋をくぐりますが、ここは瀬戸内海東西航路の最大の難所。岸の小高い山には航路用の案内表示が点滅し、濃霧の名所で衝突事故が絶えないことから「VHF聞け」と繰り返し警告していました。
そして海からなにやらゆかりのありそうなふるい街並みを見やりつつ大崎下島の大長港に入港しましたが、私を含む2、3人が降りて、数人が乗るとタッチアンドゴーのようにすぐ出港していきました。

大長港

ここは呉市に編入されましたが、かつては豊町。紛らわしいことに西隣につながる豊浜町が豊島となっています。
まずは向かいに見える岡村島に行くのですが、かなり大回りになりそうです。
取り敢えず海岸沿いの道を歩き出すと、「おおさきバス」の表示の小型バスが来ました。毎時1本程度で、大長港の先、御手洗から沖友天満宮まで行き、戻りは豊島の豊浜支所(旧役場)まで走っており、岡村島まで往復したらこれに乗ります。

小長港。左は「海の駅ゆたか」

大長港から少し歩いたところに小長港があり、フェリーは小長、高速艇は大長と紛らわしいうえに、小長港の建物に「大長港」とはこれいかに。隣接の海の駅「ゆたか」は海の駅の第一号ですが、地元新西宮ヨットハーバーのような賑わいとは程遠い施設です。

平羅橋

愛媛県に属する岡村島へは平羅島、中ノ島を経て行きます。柑橘類が特産で山の中腹に広がる畑を結ぶモノレールが目立つ沿道を、開閉橋のような斜長橋の平羅橋、そして中ノ瀬戸大橋を渡り、最後の岡村大橋が県境です。橋を挟んで「愛媛県今治市」と「広島県呉市豊町」の看板が向かい合うこの橋は紛れもなく県境です。

岡村橋を渡ると今治市橋の手前は呉市

橋の下は航路。大崎上島と下島を結ぶ高速艇が行き交ってました。
橋を渡りきると小公園になっており、ここで休憩して引き返します。

岡村島側から岡村大橋を見る

橋の上にはなぜか犬にしては大きな動物の糞が散乱しており興ざめ。ただ海は綺麗で、小長港の辺りでは岸壁近くでも魚群がくっきりと、海辺の風物を楽しんで歩きます。
岡村島が予想外に近かったので、豊浜支所行きのバスが出たばかり。時間があるので大長を通り過ぎ、観光案内が出ている御手洗まで進んで見ると、ここが高速艇から見えた古い街並みで、風待ちの港として江戸時代から栄えた名残りの街でした。

御手洗の街なみ


●芸予諸島を呉へ
メロディバスと称して、「村の鍛冶屋」を流しながら走るおおさきバスに乗り込み、大長、小長を経て北側の海岸線を豊島に向かいます。
乗客は最初私だけで、乗ってきて2人とささやか。運賃はこまめに上がりますが、全体的に低めになっています。
途中の久比の集落には小さな港。沖に浮かぶ三角島までのフェリーがありますが、このあたりに多いデザインと同じながらふた回り近く小さい船体のフェリーの姿が見えました。

そして豊島の豊浜港と向かい合う格好の立花港へ。手前には呉市消防局の救急車ならぬ救急艇の桟橋があり、橋で直結していない大崎下島などからの救急患者輸送に使うようです。
豊浜から下蒲刈島方面に渡るフェリーは立花港にも寄航しますが、橋を渡るべくそのまま乗車。豊浜大橋で瀬戸を越えると金崎。中心街はすぐ先ですが、道がだいぶ狭そう、と見るや、バスは再び橋のある高みに上ります。
そして豊浜の市街地をはるかに見下ろして街を通り過ぎ、東北から回り込むように海岸線を走って豊浜到着。迂回区間に停留所はほとんどなく、支所前と金崎のわずかな間の道はバスも通さぬ難関のようです。

豊浜大橋(対岸は豊島)

プレハブ小屋のようなきっぷ売り場でフェリーのきっぷを買いますが、当初広今あきなだ高速の高速艇で宮盛まで行こうとしたら、そんな区間乗車はないのか、それとも山陽汽船でないと売る気がないのか、問い返される有り様に、すごすごとフェリーの大浦までを購入。乗船券ではなく「上陸券」とあるのが目新しいですが、確か今治からの高速艇も乗船時のほか、下船時にも半券を渡しており、こういう流儀なんでしょうか。
クルマで来る客も多いようですが、立花と豊浜の割り当てが決まっているようで、16時7分の便は既に航送は満員。17時32分もいっぱいで、最終の19時39分になるという案内に、やって来たドライバーが頭を抱えていました。

救急艇出動中

海中に魚群が見える浮き桟橋で待っていると、救急車がサイレンを鳴らして走ってきました。やがて豊浜大橋の上に救急車が見え、これはと思うと対岸立花港の呉市消防局の桟橋に滑り込みました。
やがて赤色灯を回転させた救急艇が出発し、一路呉の方に向かいましたが、「本土」側の対応が気になります。それにしても、橋で繋がっていないということは、こういうときにリスクがあるということを目の当たりにしました。このあと救急患者が出ても救急艇は出払っており、フェリーに乗せるしかないのですから。

豊浜港に入港したフェリー

立花港からフェリーが現れ、豊浜港に接岸、といっても双頭船の両端のタラップがやや浮かせ気味になっていて、接岸と同時にタラップを下ろして乗下船、済めばすぐエンド交換して出発と、もやい綱を渡して、というもう少し大型のフェリーとは勝手が違います。
豊島の北岸を進み、やがて上蒲刈島が見えてきますが、間の海峡には現在豊島大橋(仮称)の架橋工事中とあり、主塔が立ち上がっています。これが完成すると、呉から大崎下島、そして愛媛県今治市の岡村島まで繋がるわけで、いよいよその次が気になります。

豊島大橋の主塔が見えてきた

船は17分の短い航海で上蒲刈島の大浦港に入港。ここからほど近い県民の浜は、映画「海猿」のロケ地としても有名な県内有数の海水浴場です。桟橋の前には瀬戸内産交の広・中国労災病院行きのバスが接続しており、あとはこれに乗って広駅までの旅です。

大浦港に入港

下蒲刈島の港はこれまで田戸でしたが、フェリーは大浦、高速艇は宮盛と分かれてしまいやや不便。バスは大浦まで来ますがこの後の2便との接続はやや冗漫です。さらに言えば、フェリーと仁方への高速艇は防予汽船系列の山陽商船、呉、宇品への高速艇は瀬戸内海汽船系列の広今あきなだ高速に分かれ、バスも蒲刈から広、呉へのローカルは山陽商船系の瀬戸内産交、呉、広島への高速便は広今あきなだ高速と、無用な競合が目に付きます。

瀬戸内産交の中国労災病院行き(大浦)

バスは宮盛からかつてのターミナル田戸へ向かいます。田戸の宮盛寄りの道路改修で、大浦や県民の浜までバスが通うようになったため船が来なくなった田戸の姿は痛々しいです。
トンネルで南側に出て、蒲刈大橋で下蒲刈島へ。ここで立ち寄る三ノ瀬は、大崎下島の御手洗同様に風待ちで栄えた港で、旧跡が多く残っています。そして豊島の豊浜のように市街地の道路が狭いのか、外部へのアプローチは橋と同じレベルの広域農道のみで、降りたらまた上がってと忙しいです。

蒲刈大橋

干拓地のような地形を通ると見戸代。あからさまにかつての桟橋だったターミナルに立ち寄りますが、ここは呉市川尻(旧川尻町)への安芸灘大橋がかかるまでの海陸連絡のターミナルでした。そして渡る安芸灘大橋は唯一の有料橋で、片道700円はやや高いです。もっとも、この先の橋が軒並み無料ですから、トータルではお値打ち感が出てきますが、豊島大橋がどうなるか、というところでしょう。

安芸灘大橋

渡りきった小仁方を出ると降車専用のクローズドドア区間。呉市営バスとの競合を避けた格好ですが、停留所には「呉市営のご好意でバス停を設置しています」という表示も見えたりして、立場の弱さが目に付きます。

呉線連絡であれば仁方で降りてもいいんですが、本数が増える広まで乗車。ついでに終点の中国労災病院と新広駅の離れ具合を聞くと離れているという話で、雨が降り出したこともあり、広で降りて芸予諸島めぐりが終わりました。

●安芸灘諸島連絡橋計画
しまなみ海道のような島伝いの架橋が見えてきている芸予諸島。豊島大橋が開通すると行政区画上は愛媛県今治市までつながります。
ここまであからさまに伸びてくると、第四の本四ルートではといいたくなります。
実はこの架橋群、広島県による 安芸灘諸島連絡架橋 として建設が進められているものです。岡村島からは大三島ではなく、向きを変えて大崎上島に向かい、さらに将来的には竹原市に至る構想があるようです。
道路部分は広域営農団地農道整備事業という位置づけでもあり、広域交通というよりも離島解消事業という位置づけです。
ただし、現地の案内を見ると、岡村島から大三島方面への計画も愛媛県側によって構想されているようです。

小長港にあった看板

本四架橋ですら3ルートも必要だったのか、と言われ、道路財源を直接投入して負債を処理するような状況において、県レベルによる「第四の本四ルート」の整備が着々と進んでいることについては批判の対象になることは避けられないでしょう。
しかし、本四架橋に対する批判の中でも最大のものともいえるしまなみ海道の必要性という部分とあわせ、芸予諸島における架橋については、規模の大小はあれど、ある程度の整備は必要なのです。

安芸灘大橋(蒲刈側)

因島大橋の開通前である1981年の航路状況を時刻表掲載分だけ抜粋して見ますと下記の通りになります。
(寄航便があるので便数の総和は表の合計より少ない。時刻表非掲載の小規模フェリーも多数)

◇本四間(高速は高速艇と水中翼船、フェリーはフェリーと旅客船。以下同じ)

区間高速艇フェリー備考・概ねの頻度
尾道−今治19往復7往復 高速毎時2本、フェリー2時間に1本
尾道−松山5往復  
三原−今治18往復20往復高速毎時2本、フェリー毎時1本
三原−松山 9往復 高速毎時1本
竹原−今治3往復   
竹原−波方 21往復フェリー毎時1本  
広島−松山18往復9往復高速毎時2本、フェリー2時間に1本。高速9往復以外は呉に寄航
広島−今治6往復 高速2時間に1本
阿賀−堀江 16往復フェリー毎時1本
仁方−今治4往復  


◇因島(土生、重井行き)

起点高速艇フェリー備考・概ねの頻度
尾道23往復16往復高速毎時2本、フェリー毎時1本
三原15往復18往復高速毎時1本、フェリー毎時1本
今治6往復15往復高速2時間に1本、フェリー毎時1本


◇生口島(瀬戸田行き)

起点高速艇フェリー備考・概ねの頻度
尾道13往復10往復高速毎時2本、フェリー毎時1本
三原25往復23往復高速毎時2本、フェリー毎時1本
今治12往復 高速毎時1本
松山1往復  


◇大三島(井口、宮浦行き)

起点高速艇フェリー備考・概ねの頻度
尾道17往復 高速毎時1本
三原6往復7往復高速とフェリーで毎時1本
竹原3往復4往復高速とフェリーで毎時2本
忠海 3往復 
今治19往復23往復高速毎時2本、フェリー毎時2本
松山5往復    
波方 4往復 


当時の時刻表には大崎上島、下島関係の航路の掲載が全くないのですが、安芸灘架橋がかなり整備された現在のダイヤで下記の通りです。

大崎上島、下島間を行き交う高速艇


◇大崎上島(垂水、白水、めばる、明石行き)

起点高速艇フェリー備考・概ねの頻度
竹原8往復32往復高速1〜2時間に1本、フェリー毎時2本
安芸津 18往復フェリー毎時1〜2本
三原4往復  
今治11往復フェリー毎時1本
大崎下島12往復12往復高速毎時1本、フェリー毎時1本


◇大崎下島、豊島(大長、小長、豊浜、立花行き)

起点高速艇フェリー備考・概ねの頻度
竹原8往復 高速1〜2時間に1本
三原4往復  
今治5往復3往復 
広島、呉5往復  
仁方4往復  
上蒲刈島7往復8往復 
大崎上島12往復12往復高速毎時1本、フェリー毎時1本


このように、本土側と各島を結ぶ航路が芸予諸島で輻輳している状況だからこそ、島々を結んでいるうちに対岸までつながってしまうわけです。このエリアは知名度がないだけに、なかなか実態が伝わりませんが、航路を介した流動はかなり存在するのです。
また、航路で充分と言う見方も可能ですが、一方で豊浜港で見たように、救急など緊急事態における対応を考えると、架橋の必要性というのは理解できるところです。

一般的なフェリー

逆にしまなみ海道のような豪華な設備でなく、安芸灘架橋のような地道な架橋でも良かったのかもしれませんが、橋梁の規模によってはどうしてもああいう規格にならざるを得ないでしょうし、悩ましいところです。

都市間道路として考えたら無駄にも見えるしまなみ海道。しかし、安芸灘架橋と合わせて生活道路として考えたら、その存在それ自体についての疑義を挟む余地は少ないのです。





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