このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
新快速六変化
ご存知JR西日本の看板列車である新快速。その歩みを写真で辿ってみましょう。
優雅な姿の117系新快速(芦屋) 2004年10月、「鉄道の日」イベントで復活したもの |
●登場
2005年最大のイベントと言えば愛知万博ですが、日本開催の総合博覧会としては1970年の大阪万博以来です。
その万博輸送用に首都圏から借り入れたスカ色の113系は、万博終了後も首都圏に帰らず、「新快速」として京都−西明石間を日中60分ヘッドで走り始めました。
戦前〜戦後に京阪神間を疾走した「急電」が「快速」となり、都市間輸送での競争力がなくなってきたところへのカンフル剤でした。
113系新快速(芦屋) 2004年10月、「鉄道の日」イベントで「復活」したもの |
●153系化
1972年3月、新幹線岡山開業によるダイヤ改正で、京阪神間の線路容量が空いたので、「鷲羽」などの急行列車が廃止、削減されたことにより余剰となった急行型車両を使用して、新快速は日中15分ヘッドに増発。草津、姫路への延伸もこの時です。
京阪間の所要が30分を切り、「ブルーライナー」と呼ばれる斬新な塗装とあいまって「新快速」が本格デビューをしたのです。
153系新快速(大阪)(1978年撮影) |
●117系デビュー
速さは天下一品の新快速。しかし運賃がどうしようもなく高いし、特に京阪間ではライバルの京阪、阪急がそれぞれ転換クロスシートの特急を運転していることもあり、セコハンの急行型車両では見劣りがするということになっていました。
そこで1979年、満を持して登場したのは転換クロスシートの新車、117系です。
153系の涼しげな青帯から一転、シックなマルーンの帯を締めた「シティライナー」は、同時期デビューの185系特急車と共通する部分が多く、国鉄が「特急」の規格で作っただけに、内装は見違えるほどでした。
117系新快速(大阪)(1981年撮影) |
●民営化の旗手、221系登場
1987年の民営化でJR西日本の「顔」となった新快速。前年11月の改正でこれまでの電車線(内側線)走行から列車線(外側線)走行に改められたことで、ダイヤ編成、ランカーブなどいままで思うようにならなかった部分のくびきが外れ、飛翔のときを迎えました。
関西圏の路線網は「アーバンネットワーク」として喧伝されるようになり、その旗頭として新快速が存在していた1989年に登場したのが221系。近鉄5200系で近畿車輛が世に問うた3扉オール転換クロスシートというアコモを全面的に採用。117系の印象を引き継ぐ優しいフォルムと明るい塗装は新快速のブレイクを呼びました。
221系新快速(米原)(1991年撮影) 現在と種別表示が微妙に違う |
●そして223系登場
1995年の阪神大震災で大きな被害を受けたJR西日本。しかし復旧に際してここで前年登場の関空輸送用の223系0番台車をベースにした1000番台車を繰り上げ投入して新快速の増発に踏み切るという奇策に出ました。
スピードアップは120km、そして130kmと並行私鉄を寄せ付けない域に達し、その余裕時間を途中駅停車に振り向けることで、中間駅の利便性も大幅に向上。まさに一人勝ち状態です。
ここに至っては利用者も雪崩を打って新快速に乗り換え、かつては6連2扉デッキ付きで車販が巡回していた程ゆったりしたものだったのが、8連、そして12連に増結してもなお混み合うという事態が常態化しています。
223系新快速(摂津本山)(2004年撮影) |
●「好事魔多し」をどう克服するか
2005年4月、JR宝塚線での脱線事故は乗客乗員合わせて107人が犠牲となり、700人余りが負傷するという歴史に残る大惨事になりました。
事故の遠因として、余裕の無いダイヤとスピードアップが指摘されたことにより、JR西日本は2006年3月実施予定のダイヤ改正で新快速の所要時間をはじめて伸ばすことを発表しました。
すでに一人勝ちの「代償」として、慢性的な混雑と遅延が問題になっていたことも一因といえましょう。
JR宝塚線では復旧・運転再開時に最高速度を大幅に下げる措置がとられており、新快速を含むアーバンネットワーク全体を対象とした2006年3月改正でどう変わるのか。各方面の目が集まっています。
一方で、2006年秋には敦賀への延伸が決まっており、新快速は初めて福井県に進み、日本海と対面します。
地元では「北陸新幹線」よりも「新快速」の誘致に熱が入っており、まさに「看板列車」として新快速が存在することがわかります。
「会社の顔」をも務めるまでに至った新快速だからこそ、安全とサービスを完璧に両立させていくことが求められます。
新快速延伸促進の大看板(敦賀)(2003年撮影) |
●こんな新快速も
2002年6月。サッカーのワールドカップ予選が神戸・ウィングスタジアムでも行われました。
こうしたスポーツイベント、また冬の風物詩となったルミナリエのような集客力の高いイベントの際には新快速が増発されています。
所定の223系は定期列車に就いていますから、ここで使われるのは「昔取った杵柄」の221系はもちろん、そして、120km走行が可能な通勤型電車である207系も登板します。
そう、新快速の変遷は223系で5代目ですが、207系という6番目の新快速を加えての6変化なのです。
221系臨時新快速(三ノ宮)(2002年6月撮影) | 207系臨時新快速(三ノ宮)(2002年6月撮影) |
お好み旅行記TOPに戻る
Straphangers' Eyeに戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |