このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
汐留号
今ほど旅客列車が貨物線に乗り入れることが当たり前でなかった頃、「貨物線を走る」ということを売りにしたイベント列車「貨物線アドベンチャートレイン”汐留号”」というのがあった。時は1986年8月24日、私はそれに乗るためカミさんを引き連れ汐留駅に行った。 当時(今でもですが)それほど濃い鉄ちゃんじゃない私でしたが「貨物線を走る」「海底トンネルを行く」「汐留駅に入れる」などに釣られ乗車申し込みをしちまったんです。 朝の8時30分に汐留駅入り口近くの待ち合わせ場所に集合し、0キロポストを見学しつつ荷物列車ホームに向かいます。途中、貨車が留まっている沢山の線路に興奮しながら。ホームに入るとまずその広さにびっくり。これは日本の駅ではない、ヨーロッパの終着駅にいるような(行ったことありませんが)気分になった。うーむこれだけでもこのツアーに参加した価値はあったぜ。 時間になるまで駅や車両を写真に収め、いよいよ出発。その後あまり記憶が無い(オイオイ)。確かにトンネルには入った。新鶴見信号所に止まったことは覚えている。それで終点は中央本線の塩山だった。路線にさほど興味を持っていなかったのでよく分かっていないのだ。今思えばたぶん 汐留−>東京貨物ターミナル−>浜川崎−>八丁畷−>鶴見−>新鶴見信号所−>梶ヶ谷−>府中本町−>分倍河原−>立川−>塩山 と行ったのではないだろうか(希望的推測)。新鶴見信号所への行き方を尻手経由(尻手短絡線)とせず鶴見にしたのは、汐留から我々を引っ張ってくれてたEF66が往路途中で連結し直している写真があったからです。つまり1回スイッチバックしているんです。 その後、ファンサービスか運行上の都合か分からないけど、往路途中でEF66からEF64にバトンタッチしている。 やがて塩山に着くも現地で観光するわけでもなく時間になるまで駅をプラプラした。このツアーの趣旨がよく分かっていないカミさんは「トンネルばっか走るし、駅に着いても外に遊びに行けない」と不服をたれていた(スマン)。 帰りは素直に中央本線を上り、山手貨物線を使って終着品川駅に来たと思います。カミさんには不満でしたが鉄な私としては十分楽しめた旅でした。せっかくなら貨物路線の予習をしておけばもっと楽しめたなぁ、などと少し後悔してます。 その後同年10月末日、汐留駅はその長い歴史に幕を閉じた。今にして思えば、この”汐留号”は惜別の意味を込めた特別列車だったのだなぁ、と感慨に浸っております。 |
<最後に> |
このページを書くにあたっては、既に汐留号を紹介されていたLUN様のブログ線路巡礼の
「栄光の汐留駅」
を参考にさせて頂きました。どうもありがとうございました。 こちらによると汐留号は全部で4回あったんですね(知らなかったぁ、か忘れたか)。私のはその内の中央本線編だったわけだ。パソコン教室の事もすっかり記憶から消えてました。言われてみればあったかもしんない。何でもかんでも忘れている駄目なお父ちゃんです。 |
※1 当写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」を利用させて頂きました。
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