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カンチャナブリ


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2006 . 9 . 8 タイ語の難しさと日本語の難しさ
現在、ふとした縁から近所の女学生2人に毎週日曜日に日本語を教えています。当初は4人いたのですが、次第に脱落して2人になってしまいました。私としては、そんなにレベルを高くしたり、性急に指導しているつもりはないのですが、4人の間には実力差がかなりありましたのでその辺が原因なのではないかと推察しています。

日本語検定の4級の本を手に入れまして、その本の指導内容及びスピードで2人に教えていますが、この本は私にとりましても大変良い教材になっています。

私はタイの田舎暮らしですので独学でタイ語の勉強中ですが、日本語をタイ人に教える立場の本を読みますと、日本語というものの難しさが一層際立ってくるように私には思えています。私は日本語以外ではタイ語と英語しか馴染みがありませんので、それらとの比較でしか日本語については考えられませんが、その範囲内では日本語というのはすごい言葉だと毎日感じています。

読者の皆様は毎日何気なく日本語を使われていると思いますが、日本語のすごさや難しさについて何か感じることはお有りでしょうか。私の見える世界の中では、つくづく日本語とは独自な発展をしてきた言語なんだなとタイ語の独学を続けながら思い知らされています。言葉の発音にしましても日本語に無い発音がタイ語には沢山ありますが、タイ語の世界から日本語を見ますと日本語の発音でタイ人にできない発音はなく、発音だけに関しましては、タイ人にとりましては少しの努力で「ひらがな」がすべて正しい発音でできるようになるまでにはそんなに時間はかからないのです。

私はテープやテレビなどのおかげで聞き取る能力はかなり高くなっていると思っていますが、それを口に出して発音しましても通じない言葉が沢山あります。言葉は、話して、読んで、聞いて、書いて一人前ですが、私は話すことだけはかなりのバランスを欠いた状態に向かって進行中といった状態にあります。

いつだったかインターネットで、東南アジアの人々に対して日本の戦時中の加害者としての謝罪という意味で、色んな現地での援助活動をされている団体の方の活動状態に関するレポートを読んだことがありますが、その中で東南アジア各地に進出している日本人の多くが現地で日本語の話せるスタッフを採用してビジネスをしていると批判されていた記事を目にしたことがあります。現地進出する以上は努力して現地の言葉を話すのが本筋で、東南アジアの人々で日本語を話す人は多いのに日本人の側で現地語を話す人が少ないのはアジア蔑視がそれらの現地進出している日本人の人々の心の底には残っているからだという非難の文章でした。

私は、この記事に関しましては完全にものの見方の甘い、間違った判断をされている文章だと思います。アジアの現地でのビジネス環境は多くが人脈社会ですので、そういう意味での日本語の話せるスタッフは絶対に必要なのであり、そして現地の言葉の発音を覚えるのは日本人にとっては至難の努力が必要なのが現状です。私も沢山のタイ語を知っていますが、私の発音は微妙に狂っていて通じないことが多いのです。発音ということに関しましては、日本語で育った人は東南アジア全般で使用されている声調を伴う言葉の発音は大変に発音が難しいのです。タイ人の場合で言いますと、5声の発声法でタイ語は話されますが、その中の「平声」という発声法1つだけの世界で日本語はすべて対応できるわけなのです。ですから、現地進出している多くの日本人がアジア蔑視で現地の言葉を覚えようとしないとまとめて決めつけるのは如何なものかと思います。

私は教えるときは学生たちとタイ語で会話し、そして普段は自力でタイ語の勉強をしていますが、とにかく発音に関しましては私にとってタイ人は発声法の生まれつきの天才だらけなのです。一度日本語の発声法を教えますと、すぐにその発声法を正しく覚えてしまいます。私は、生まれて初めて聞く発音についてはなかなか自分のものにはできませんが、タイ人にとっては日本語の発音の中で生まれて初めて聞くものはないのです。学生たちは私のできない発音でも前後関係で私のタイ語を理解してくれていますが、このように発声法に関しましては日本語は発声法に関しては極めて厚みの無い言語なのです。

ですから、カラオケで歌を歌いますと私との差が歴然とします。タイ語では会話の発声法の技術の延長と歌の発声法の技術とはそれほどの大差がないからなのです。つまり、歌の下手なタイ人は本当に珍しいのです。

しかし、私は日本語とは大変に難しい言語であると先ほど申しました。タイ語と比較して日本語の発声法が少ないために、ひらがなの世界だけでは日本語の単語はタイ語と比べますと大変に少ないのですが、それを漢字に変換しますと日本語の単語は一気に厚みを増します。発音は同じでも漢字にすることで意味合いを膨らまし、その上に各単語につける「の」や「と」や「も」などの多くの助詞で単語の性格を微妙に変化させています。

例えて言いますと、日本語は点が集まって線となり、線が集まって面を作り出していますが、それぞれの垣根の部分が重複しあって曖昧となっており、それが日本語の厚みとなっていて、そのために短歌や俳句などのワビやサビの世界も成り立っているのだと私は思っていますし、日本語の繊細さの源にもなっていると思っています。

それに対してタイ語ですが、各単語が集まって線となり、線が集まって面となっていますが、日本語のような各単語の垣根の部分の重複は極めて少ないと私は思います。

何が言いたいのかと言いますと、タイ人にとっては日本語のひらがなやカタカナを発音も含めてすべて覚えるのは、日本人がタイ語を覚えるのに比べて極めて簡単なことなのだということです。日本語は漢字が加わって言葉の厚みを増しますが、タイ語では5声という声調を用いて言葉の量を増しています。この違いがありますから、日本人の方がタイ語で話をするうえで覚えなければならない単語が沢山ありますので、話し出す時点までの努力という点ではタイ人よりも多くの時間が必要だということになります。

どちらの言葉が易しいかなどということはとても私には言えませんが、私も日本語を教えている2人の学生も、お互いに相手の国の言葉の壁の前で苦しんでいるというのが実状なのです。しかし、一見して、私の2人の生徒は日本語の意味がわからなくても「ひらがな」で書いてあれば何でも正しい日本語で話すことができます。私の方はタイ語の中の微妙な5声の発音の使い分けで苦しんでおり、日本語の中に無い発音が単語の中に沢山ありますので会話として相手に意味が通じないことが多くあるのです。

何もそのような事情を知らない人にとっては、タイ人は早く日本語を覚えるのに日本人の側は一向に進歩が見られないと映るかもしれません。しかし、タイ人の側も発音は正しくできても会話の意味は理解できていないのです。そういう意味では、日本語もタイ語もどちらが易しいなどとは言えないのです。このような事情ですから、私はタイ語の発声法に関しては自分のペースで理解していくことに決めていて、読み書きと聞き取りに重点をおいて独学をしているという次第なのです。

ところが、タイ人は日本語の「ひらがな」や「カタカナ」では苦しみませんが、漢字が文章に混ざり始めますとその時点から日本語の言葉の意味の複雑さで途端の苦しみが追加し始めることになります。しかし、私はタイ語の入り口で苦しんでいますが、その先には大きな障害はありませんから、マラソンのランナーのような気持ちで勉強を続けていくしかないと思っています。この発声法の違いで、日本にやって来るタイ人などの外国人で言語に多くの声調のある国の人々は3ヶ月程度の勉強で最低限の日本語が話せるようになっていると勘違いする日本人が多いのだと私は思います。

理解しにくいと思いますのでほんの一例を紹介しますと、例えば日本語で「田舎」というひらがなを教える場合には、タイ語での意味として「バーンクート」「ターンチャンワット」「バーンノーク」「チョンナボット」などがあると教えます。意味は前者から「故郷」「他県」「田舎」「農村」などという意味になります。しかし、日本語のひらがなで「いなか」という単語を教える場合は、これらの意味を含む言葉として「いなか」という言葉を教えることになるのです。私たち日本人はタイ語での意味も含めて田舎という言葉を使っていますが、タイ人が日本人同様のレベルで田舎という言葉を理解するまでには、その後の多大な学習時間が必要とされるのです。決して話し出すのが早いからといって、理解も早いと思ってはいけないのです。

このような発声の仕方はそれぞれ多少の差はありますがアジア全般的な特徴のようで、韓国と日本だけがどういうわけか両国とも似通った、アジアの中では異質な発声法となっているようです。極東の外れの韓国と日本では、何らかの事情で独自の言語文化となって発展していったということなのでしょうか。

その韓国ですが、世界最速の少子化へまっしぐらに向かっています。韓国の少子化は日本以上に深刻で、日本と同様に女性のプロフェッショナル化も進んでいますが、それ以上に韓国男性の女性観が古い社会通念のままでほとんど変化していないことにも大きな原因があるようです。カンチャナブリでもプーケットでも多くの韓国男性は気が強くて威張り散らしている様子を時々見聞しますが、このような古い側面は経済の世界でも露見しているように感じます。

と言いますのは、韓国の成長・経済発展に対しての韓国企業の構造的な問題として、「機械と部品を日本から買いながら、韓国独自の付加価値をつけて米国などの海外市場へ展開する」というものがあります。そのために、日本企業との競争力は「為替」次第という側面が強いのですが、最近はドルに対するウォン高の影響で米国などの海外市場において、自動車や電機製品などの分野で日韓製品の価格差がほとんどなくなってきている事態となっています。

韓国が成功し発展すればするほど国際的に「ウォン高」が進むことは間違いないですので、現在の企業の競争力が為替に依存する体質を改めて構造改革とイノベーションを行なう必要があるのですが、そのような考えの韓国企業は極めて少ないのが現状のようですので、現在のウォン高が長く続けば今のような底の浅い韓国経済では崩壊するのは時間の問題と見られています。

あくまでも推察の域の話ですが、日本やアメリカ、そして中国が経済的な圧力を掛けて北朝鮮を6ケ国協議に参加させようとしている最中に、韓国は北朝鮮にコメ10万トンの支援を決定しました。米韓同盟が後退しつつあることもあり、これらがアメリカの怒りを買い、アメリカは公式的な制裁ができないのでファンドを使ったウォン高で経済的な圧力を掛けているという見方があるようです。ブッシュパパが行っている韓国企業投資ファンドが短期ファンドに置き換えられて、韓国離れを進めているということからの見方のようです。

韓国はウォン高のおかげで内需企業は好調になっているようですが、韓国は輸出で経済を支えてる国家ですので、現代自動車とトヨタ自動車の主力セダンや、サムスン電子、LGとソニーの液晶テレビの販売価格が同等になったために、販売が苦戦状態に陥っているようです。

タイ語の話から少し脱線しましたが、日本語と韓国語は発声法という面ではお互いに勉強し易い言葉のようですね。同時に、それぞれの国から見ての外国語の上達の難易度が高い言語でもあるわけです。こんなに大変酷似している2つの国がいがみ合うのは、大変に不幸な事だと私は思います。

ところで我が家には犬が5匹いますが、5匹とも夜は番犬として頑張ってくれています。親犬のポッポイ以外は子犬のころから私が育てた犬ばかりなのですが、他の犬との接触がほとんどなかったのに、犬語というのでしょうか、遠くの犬たちとも連絡や意思の疎通が取れているようです。犬は成長の過程でどのようにして言葉を覚えるのでしょうか。

タイ語を勉強しながら難関のタイ語の発生法の壁の前で、そのようなことにさえも疑問に感じているこの頃です。




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