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独立記念日


速星 千里



8月15日

 我々日本に住む人間が避けて通ることのできないこの日。あなたは、何の日と呼んでいますか? 何の日と教わりましたか?
 どうも世の中にはこの日を「終戦」の一言で片付けてしまう日本人が多いように思われます。確かにその一語で全てが表されているわけですが、少し考えてみると、それが「全て」以外には何も表していないことに気付きます。
 その日は、日本にとっては敗戦の日です。連合国側であった国々にとっては、逆に、戦争に勝利した日です。そして、大東亜共栄圏の名の下で日本に侵略されていた国々にとっては、日本軍による支配から解放された日、独立を回復した日だったのです。あるいは日本人にとっても、天皇中心の体制からの解放の日、個人が「独立」を回復した日なのかもしれません。
「終戦」という言葉は、こういった様々な側面からなっている出来事の全体像を、しかしながら全体像のみを、表現している単語なのです。


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2月11日

 国民の祝日の一つ、建国記念の日。祝日法(国民の祝日に関する法律)には、「建国をしのび、国を愛する心を養う」ための日であると定められています。
 さて、「建国」とは、「今までに無かった国を新たに作ること」。では、日本国はいつ建国されたのでしょうか。
 日本人の祖先は古代から日本列島という一つの土地に住み続け、独特の社会を形づくってきました。他の国や勢力からの干渉もほとんど受けず、徐々に、ある意味では自然発生的に、日本という国は成立してきたのです。
 果たして、そのような国に『○○年前のこの日に国ができた』と断言できるような日が存在しましょうか。あるわけがありません。雨上がりの空にかかった虹を見て、どこまでが赤色でどこからが橙色なのか、はっきり決められますか? 無理でしょう。それと同じことです。
 だとすれば、「建国記念の日」はどうして2月11日とされているのでしょうか。
 2月11日は、戦前には紀元節と呼ばれていました。紀元節とは、神武天皇の即位を祝う日のこと。日本書紀の「辛酉年春正月庚辰朔、天皇即帝位於橿原宮是歳為天皇元年」、つまり、辛酉の年の元日に神武天皇が橿原で即位した、という記述に基づいたものです。日付のずれは旧暦と太陽暦の違いからくるもので、この即位日は西暦では紀元前660年2月11日に当たるとされています。
 しかし、「建国記念の日」が国民の祝日として制定された根拠はこの日本書紀くらいであり、歴史的根拠の曖昧さは否定できません。そして、国祭日として帝国主義に直結した過去を顧みることもなく、顧みるためでもなく、「愛国心」を養うことを掲げて制定されたという事実。北朝鮮の報道機関が年明けに『日本だけが過去の清算をせずに新世紀を迎えた』みたいなことを言っていましたが、納得せざるを得ません。皆さんには、国の対応を反面教師とし、過去を顧みる良い機会にしてほしいと思います。


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4月28日

「日本国はいつできたのか?」という先程の問いに対する一つの答えは、1952年のこの日、すなわちサンフランシスコ平和条約が発効した日ではないでしょうか。
 日本がその長い歴史の中で唯一、他国に占領されていたのが戦後の約7年間。確かに、間接統治という形であったため、この間も日本政府は存在し続けていましたが、いわゆる「国家の三要素」の一つ、「主権」は、明らかに、当時の政府にはありませんでした。それを回復したのがこの日なのです。
 ところで、この日が日米安全保障条約の発効した日でもあることは御存知の通り。新たなる占領の歴史が始まった日ともいえるのかもしれません。


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5月15日

 既にお気付きの方もあるかと思いますが、ここまでの文章で幾度か用いた「日本」、あるいは「日本人」という言葉には大きな誤魔化しがあります。それは「日本人」特有の連帯感 〜単一民族国家という名の偶像〜  が切り捨ててきた人々のことです。
「本土」から遅れること約20年、1972年5月15日、沖縄の施政権が米国から日本に返還されました。それまでの「『本土』決戦のための捨て石→米軍による占領」という経緯、そして今も引きずる米軍基地の問題は説明するまでもないでしょう。
 日本人の強すぎる民族意識は、沖縄に限らず様々な弊害を生み出してきました。確かに自国を愛する気持ちは大切ですが、偏狭な愛国心は独善に陥りがちです。様々な戦争がナショナリズムによって引き起こされてきたという事実を忘れてはなりません。概して、内向的思考への固執は前向きのものを生まないのです。文化の多様性を、そして1つの文化の多様性 〜個人の独立〜 を理解する勇気こそが、今の日本、今の私達には必要なのではないでしょうか。


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※参考文献・文中引用

 三省堂「新明解国語辞典第四版」(1997)
 朝日新聞社「朝日新聞」(2001.01.04付)


© 2001 Chisato Hayahoshi

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