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被害者保護のあり方


速星 千里


 よく言われるように、日本は、刑事事件の被害者に対する保護がなっていない。 マスコミが被害者宅まで押しかけ、ぶしつけな質問を次々と浴びせかける。 被害者側の感情も考えずに。
 第三者であるはずの私まで、不快に思えてくる。

 しかし、この手の報道で私が何よりも不快に感じるのは、同情を誘うものである。 本来なら不必要なはずの情報、それも被害者のプライバシーに関わる情報を垂れ流し、視聴者・読者に哀れみの念を抱かせようとする報道である。
 被害者の生い立ちや人柄、将来の夢などを事細かに説明することに、何の意味があるのだろうか?  それらの情報は、ほとんどの場合、事件とは無関係ではないか。
(ピンと来ない人は、具体例として、えひめ丸や附属池田小の事件を思い出していただければ分かりやすいだろう。)

 報道に必要なのは客観性であるから、視聴者や読者の主観を期待する姿勢は根本的に間違っている。 事件の本質をとらえた報道を心がけてほしいものである。
 また、情報を受け取る側である我々も、冷静に事実を把握する能力を育てていかなければならない。


☆          ☆


 日本、という国のレベルでも、同じようなことを感じてしまう。 そう、対外支援である。

 確かに日本はODA大国である。 国内の不況にも関わらず途上国援助にこれだけの金額を出せる国は、他にはない。 (出す相手を間違っていると思われるケースも、しばしばあるが……。)
 が、金銭しか出さぬとは、よくいわれることではないか。 廃墟や困窮の中で本当に必要なのは、物的・人的な援助であるというのに。
 それに、「湾岸戦争の屈辱」(大金を援助したにもかかわらず、日本の評価が非常に低かった)などという言葉が政府周辺から聞こえてきたこともあったが、援助は関係国から高い評価を得るために行うものなのだろうか?  そんなはずはない。 むしろ、こうして援助する相手をないがしろにしているから、評価も低くなってしまうのだ。

 相手が何を必要としているのか、そして我々には何ができるのか。 この2点をきちんと見極める目が、日本の途上国援助には必要である。


☆          ☆


 国会議員たちの行動についても同じである。

 募金の時期になると、しばしば、赤い羽根や緑の羽根を背広の襟に付けている議員を見かける。 しかし私には、彼らのそういった行動が傲慢なものに思えてならない。 自分達が「恵まれない人」を養っているのだと、威張っているように思えてならない。
 彼ら自身も他の人々によって養われている存在だということを、認識しているのだろうか。 彼らに支払われる歳費が国民の血税であることを、そして、バックアップの企業がなければ資金も票も集まらないということを、理解しているのだろうか。

 それにしても、この政治家にしてこの国ありというべきか、この国にしてこの政治家ありというべきか……。


☆          ☆


 前国連難民高等弁務官の緒方貞子氏は、在任当時、演説で“Respect for Refugees(難民に尊厳を)”というような言い回しをよく用いていらっしゃった。 難民は決して「可哀想な人」ではなく、我々と同じ1人の人間として尊重されるべきである、という意味である。

 同じことは、難民に限らず、あらゆる「被害者」についても当てはまる。
“Respect for Victims(被害者に尊厳を)”、すなわち、被害者は「哀れむべき存在」ではなく、他の人々と対等な存在として尊重されるべきである、ということだ。 むしろ彼らの方が、他の人々よりも経験に富んだ、尊敬(Respect)されるべき人だともいえるだろう。

 被害者は弱者ではない。 彼らを「弱者」に仕立て上げてしまっているのは、我々の社会なのだ。
 真の被害者保護の実現には、まず何よりも、「被害者は弱者であり、保護されるべき者である」という固定観念の払拭が必要である。


© 2002 Chisato Hayahoshi


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