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両国の首脳が初めて会談した日朝首脳会談でしたが、拉致問題とともに焦点が置かれたのが、日本側の過去の清算問題です。
過去の清算とはいったい何のことでしょう? それは日本が日韓併合からアジア・太平洋戦争での敗戦までにしたとされる残虐・非道な行為のことです。 創氏改名や強制連行などその例です。 このことが実際に行われていたのであれば、日本は北朝鮮に補償をしなければならないでしょう。 しかし、南北分断の責任まで過去の清算の範囲に入れることには大いに疑問です。
確かに朝鮮民族は日韓併合中、熱心な独立運動にも関わらず彼らの言う所の「日本帝国主義」の圧制によって、独立できないでいました。 しかし日本が敗戦し、ポツダム宣言によって朝鮮半島を放棄すると、朝鮮民族は自分たちで国を作りました。 ついに念願の独立を達成したのです。
しかしこれを黙って見ていられない国がいました。 それがアメリカとソ連です。 アメリカは、ソ連が朝鮮半島に共産主義の国を作って自分の傘下に収めることを恐れていました。 もしそうなれば、資本主義陣営の日本と共産主義の境界が非常に近くなるからです。 一方、ソ連も朝鮮半島に資本主義の国ができて、アメリカの傘下に入ることを恐れていました。 しかもこちらは、朝鮮半島とソ連が直接繋がっています。 このように朝鮮半島は両国にとって、戦略的要所であったわけです。
そこで米ソは会談を行い、すでにできていた朝鮮民族の政府を解体して、38度線を境に米ソが別々に管理することにしたのです。 後の出来事はみなさんの知っている通りです。 米ソそれぞれの管理地域で別々の国ができ、朝鮮戦争が勃発しました。 その結果現在も両国は別の国のままです。
このように南北分断の責任は、朝鮮民族の意向を無視し、戦略を優先させた米ソにあるのです。 日本はむしろ南北分断の原因を作ったというよりは、間接的に朝鮮民族の独立を手助けしたことになるのです。 日韓併合以前、朝鮮半島は王が治める前近代的な国家体制でした。 それが、日本という異民族国家の支配を受ける中で、朝鮮半島に朝鮮民族の国を作るという民族主義の心を成熟させていったのです。 おそらく結果的には、日韓併合という過渡期がなければ、朝鮮半島が前近代的な王朝国家から民主主義の国へと変化することはなかったでしょう。 日本が南北分断の問題まで責任をとる必要は全くないのです。
© 2002 Soun Takaida
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