このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

序論
 「東野(とうや)鉄道」は、地元の人でも聞いたことはあっても、詳しいことになると年配の人でないと解らないでしょう。しかし「ぽっぽ通り」は知っている人は多いです。ここは、歩行者、自転車専用の遊歩道として整備されており、この通りこそ東野鉄道の廃線跡なのです。
 JR東北本線(宇都宮線)西那須野駅東口を起点に、大田原市街地までの4.2㎞の遊歩道は100m置きに距離が表示されており、散歩道やサイクリングコースとして利用されております。
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東野鉄道の概要
 東野鉄道は、東北本線(宇都宮線)西那須野駅から、大田原、黒羽を通り、那須小川までの全長26.4㎞の鉄道であった。地元住民に利用されていた他に、八溝山系の木材、薪炭、米、麦、肥料、たばこなどの貨物路線としても重要な役割を果たしていた。また、金丸原の奥にあった軍飛行場の軍事物資を運ぶ役割でも利用されていた。
 1918年(大正7年)4月に、西那須野〜黒羽間13.1㎞が開業し、1924年(大正13年)12月には黒羽〜那須小川間13.3㎞が延長開業した。その後、茨城県大子までの路線延長が計画されていたが、大戦後の不景気で貨物量減少による赤字が大きくなり、黒羽〜那須小川間は1939年(昭和14年)6月に廃止となった。
 年々乗降客と貨物の減少が続き、鉄道廃止もささやきはじめられた最中の1966年(昭和41年)9月25日朝、栃木県北地方を襲った台風25号により、東野鉄道蛇尾川鉄橋が破壊した。翌年1月に復旧開通したが、その復旧費が廃止を早めることになり、1968年(昭和43年)12月に西那須野〜黒羽間が廃止となり、東野鉄道の歴史に幕が下ろされた。
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西那須野起点500mの地点で、国道400号線下のトンネルに描かれた壁画
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