このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

序論
 東武鉄道矢板線は、1959年(昭和34年)廃止のわりに、数多くの痕跡が残っていた。矢板市内の宮川に残っていた橋台が最近取り除かれたり、柄堀トンネルが閉鎖されていたことが残念であった。
 各駅跡にはホーム跡が残っていたことが印象的であった。ほとんどの駅跡の近くには製材所があり、かつてこの路線が森林伐採による木材輸送をしていたことを物語っている。
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玉生の町中に残る盛土された廃線跡
東武鉄道矢板線の概要
 東武鉄道矢板線は、1917年(大正6年)に開業の下野(しもつけ)軌道、1921年(大正10年)に改称した下野電気鉄道によって施設された。現在の東武鉄道(今市〜藤原間)を営業していた下野電気鉄道は、1924年(大正13年)3月1日に高徳(新高徳)〜天頂間9.9㎞を開業した。さらに1929年(昭和4年)10月22日に天頂〜矢板間13.6㎞を開業し、全長23.5㎞の路線として東北本線と結ばれた。
 地元住民に利用されていた他に、沿線の鉱山や木材の貨物路線としての役割も果たしていた。その後、日中戦争や第二次大戦による旅客収入減少により、1943年(昭和18年)5月 1日に東武鉄道へ譲渡され、東武鉄道矢板線となった。
 戦後は、輸送量減少と付近の鉱山の衰退により、1959年(昭和34年)6月29日に全線が廃止となった。最後の日までイギリス製の蒸気機関車が走っており、沿線住民から「下電のぽっぽ汽車」と呼ばれていた。
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