| | | | | 塩原軌道は1912年(明治45年)7月8日に、西那須野〜関谷間が開通した。イギリス製の蒸気の気動車による運行であったが坂道で力がでず、のちにドイツ製の蒸気機関車が導入された。
当初の計画であった電車に変更されるのに伴い、1921年(大正10年)9月23日付けで社名を塩原電車と変更し、翌年4月9日には路線も塩原口(現在のがま石園地、尾崎紅葉の碑がある所)まで延長された。しかし、金融恐慌や乗合自動車の普及により経営は悪化し、1935年(昭和10年)12月9日に廃止となり、23年の歴史に幕を閉じた。
なお、塩原の御用邸に向かう大正天皇が乗車されることがあったが、1919年(大正8年)頃から自動車を導入し、西那須野駅から直接御用邸へ行くようになった。 |