このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
アンコール遺跡−2 アプサラダンス編
アンコール遺跡の玄関口であるシェムリアップ空港には、ほぼ定刻通り16時40分頃に到着した。飛行機とターミナルが直結しておらず、歩いていかねばならないのはアジアの空港ではよくあることである。イミグレーションを抜けて左に曲がったところ、いきなり下のような光景が目に入った。
シェムリアップ空港出口
シェムリアップ空港は、日本の田舎の駅といった風情である。自分の名前が書かれたプラカードを持っているガイドを見付けたので、「Hello,My name is Torabane.」と英語で挨拶したところ、「虎羽さんですか、よろしくお願いします。」と日本語で返答された。ガイドは日本語学科卒業とのことで、かなり達者な日本語あった。他のホテルに泊まる日本人客と一緒に送迎の自動車に乗り込む。
車窓の風景もインパクトが有った。空港のすぐ隣は畑であり、水牛がのんびりと草を食べていた。ずっと横を向いて風景を見ていたのだが、車が止まったので信号かと思って前を見たところ、水牛が道路を横切っていた。シェムリアップ周辺にはいたるところに水牛がいる。
空港からホテルは自動車で10分ほどの距離である。旅行代理店が手配したホテルは「 ノコールプノム 」といい、想像していたよりもはるかに立派なホテルであった。中庭にはプールがあり、リゾートホテルの趣である。部屋も思ったより広かった。日本のBSまで見ることが出来たのは驚きであった。
早速夕食を取ることにした。現地時間はまだ18時だが、僕の体はもう20時である。しかも5時起床であり、翌日から猛暑の中の観光が控えている。早めに寝ようと思ったのだ。
ホテルのフロントにタクシーを呼べるか聞いてみたところ、タクシーは呼べないがトゥクトゥクがホテルの入口にいるという。値段を聞いてみるとホテルから市内往復で6米ドルとのことだったので、利用することにした。
トゥクトゥク
運転手のサライと僕
トゥクトゥク運転手のサライは簡単な日本語と英語が話せた。「レストランに行くにはまだ早い。」ということで、シェムリアップ市街を簡単に案内してくれることとなった。ホテルからシェムリアップの市街まではトゥクトゥクで10分足らずである。したがって、シェムリアップの中心にあるホテルに泊まったとしても、空港から20分程度で到着する。
シェムリアップの道路は右側通行なのだが、3人乗りバイク、トゥクトゥク、自動車や自転車が一段となって走っている。そのため、自動車に乗ってもそれほど速度は出ない。また、サライによれば、シェムリアップに信号はひとつも無いそうだ。実際に混雑している交差点では、真ん中に警察官が立って指示していた。
市街地に着いてからサライの案内が始まったが、案内してくれるのはホテルや病院などの建物ばかり。もちろん、くまなく回ったわけではないけれど、デパートなどの高層建築物は無いように見受けられた。また、どこの国にもあるマクドナルドを発見できなかった。のみならず、ケンタッキーフライドチキン等の外国資本によるチェーン店も見付からなかった。進出するには時期尚早ということか。
サライご推奨のレストランは「ジャスミン・アンコール」といって「地球の歩き方」にも載っている。レストランに着いたのは19時前であった。ここはビュッフェ形式であった。のんびりアンコールビールを飲みながら料理をつまんでいると、19時30分よりアプサラダンスショーが開演した。「レストランに行くにはまだ早い。」というのはこういう意味だったのか、とそのとき納得した。
「地球の歩き方」によれば、アプサラは「天女・天使」とみなされ、踊りは神への祈りとして捧げられるものであったそうだ。ポルポト時代に師匠や踊り子は処刑の対象となってしまったが、難を逃れた数人の師匠が1989年に舞踊教室を再開したとのことである。
ショーの開始
アプサラ
女性を従えて踊るアプサラ
(右から2人目)
ショーは1時間程度だったが、結構面白かった。ストーリーが有るようなのだが、それを説明するパンフレットが欲しかったところである。ストーリーが分かれば、もっと楽しめたに違いない。
初日からなかなか楽しめて、個人的には満足であった。いよいよ明日から世界遺産の観光開始である。
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