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イタリア1 サン・マルコ広場編
2010年11月。9泊10日でイタリアに行った。
今回は、新婚旅行である。今年(2010年)の7月に式を挙げたのだが、9月に引っ越しを控えていたため、夏休みを取れなかった。8月から9月上旬は必要な家具や家電製品の買い物でつぶれたのだ。10月になってから、やっと落ち着いたので新婚旅行のことを検討し始めた次第である。そんなわけで、今年の更新は少なかった、と言い訳してみたい。
ちょうど11月第2金曜日は会社の創立記念日にあたっており、かつ5日間の特別休暇がもらえるので、11月12日から21日までを旅行期間とすることが、先に決まった。
次に決めるのが目的地だ。まず前提条件となったのは、二人とも初めての国にするということだ。当ホームページをご愛読の方はご存じのとおり、僕はアジアの国はかなり訪問しており、南アフリカ、ナミビア、アメリカに行ったことがある。
史跡マニアということでギリシアも考えたが、経済危機のためにデモが頻発しているということでやめた。
リゾートに一週間以上というのは、飽きてしまうに違いない。
妻と協議のうえ、イタリアに決まったのは10月の3連休であった。すでに出発日まで1か月ほどであり、大手旅行会社のツアーにネットで問い合わせてみたところ、すでに定員締切。年末に切り替えようかとも思ったのだが、メールで丁寧な返事をいただいのが「 ウェブトラベル 」であった。
トラベルコンシェルジュと相談して目的地やスケジュールを決めるというもので、我々はイタリアまでの往復航空券、ローマからヴェネツィアまでの航空券、イタリア内の鉄道指定席、ホテルの予約を手配していただいた。
自分たちで観光スポットやレストランを選んで、時間に余裕のある旅行をしたい人には向いていると思う。
2010年11月12日。
いよいよ出発である。成田からローマまではアリタリア航空で直行である。JALではパリ経由、ANAではミュンヘンかフランクフルト経由ということで、直行便は無いようだ。アリタリア航空がスカイチームに属しているため、JALとANAのマイレージを貯めることができなかったのは残念だ。
我々のフライトは以下の通りである。
成田14:15 → ローマ19:00 (AZ785) 時差が8時間なので、12時間45分。
ローマ21:10 → ヴェネツィア22:10 (AZ1483)
ヴェネツィアのマルコ・ポーロ空港に着いて最初の感想は、「寒い。」であった。Tシャツの上に、ワイシャツとジャケットという姿で行ったのだが、スーツケースを開けてコートを取り出した。そもそもベネツィアの緯度は北緯45度。稚内とほぼ同緯度だ。寒くて当然である。
空港の出口ではウェブトラベルの係員が待っていてくれた。車に乗ってリベルタ橋を渡り、島内のローマ広場までは20分ほど。そこから水上タクシーに乗り換えて、ホテル「 LONDRA PALACE 」までは15分ほどだったと記憶している。
チェックインしてから、ホテルのバーでビールを1杯飲んだ。午前0時ごろだったので、日本時間で午前8時。よく起きていたものだ。
2010年11月13日。いよいよ観光開始である。
伝説では、ヴェネツィアは西暦452年、フン族のアッティラから海の中にある干潟に逃げ込んだのが始まりとされている。
まず向かったのが、ホテルから徒歩5分ほどのサン・マルコ広場である。
サン・マルコ広場入口 サン・マルコ寺院から
左上の写真で位置関係を説明したい。
入口に円柱が2本立っているが、左が聖テオドロス、右が有翼の獅子の像である。アップで撮らなかったことを後悔している。
聖テオドロスの柱の後ろの塔が鐘楼(Campanile)、その右(写真中央)に見えるのが時計塔である。有翼の獅子の像の右にあるのがドゥカーレ宮殿、その後ろにあるのがサン・マルコ寺院である。
サン・マルコ広場 反対側から
左上の写真は鐘楼の先から左に向いて撮った写真である。左側が新政庁、真中がコッレール博物館、右側が旧政庁だ。左側の新政庁の1階に、カフェ・フロリアンがある。
右上の写真はコッレール博物館の下から撮ったもので、左側が旧政庁、真中がサン・マルコ寺院、その右隣に鐘楼、右側が新政庁だ。
鐘楼から
上の写真は、サン・マルコ広場を鐘楼から撮ったものだ。 左側が新政庁、真中がコッレール博物館、右側が旧政庁だ。
夜のサン・マルコ広場入口 サン・マルコ広場
サン・マルコ広場は夜も美しい。
次ページからは各建物をご紹介したい。
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