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14. 社長島耕作の言い間違い
モーニングに連載中の 島耕作 が初芝五洋ホールディングスの初代代表取締役社長に就任した。ここで、島耕作がどのように出世の階段を上り詰めたか見てみよう。
1970(昭和45) 早稲田大学法学部卒業 1970(昭和45) 初芝電器産業株式会社入社 1983(昭和58) 課長 1992(平成4) 部長 2002(平成14) 取締役 2005(平成17) 常務取締役 2006(平成18) 専務取締役 2008(平成20) 代表取締役社長
ご覧いただけばわかる通り、課長、部長は10年近くかかっているのに対し、取締役に就任してからは加速度的に昇進している。実にうらやましい。
日本の会社法第332条では、監査役会設置会社の取締役の任期は、株主総会で選任されてから2年後の定時株主総会終結の時までとなっている。島耕作は2002年6月の株主総会で選任され、2004年、2006年で再任された。そして、2008年の株主総会で取締役に再任された後、会社法第362条により、取締役会において代表取締役に選定された。
島耕作が1期2年で退任を余儀なくされるのか、長期政権を敷いたうえで会長に就任するのか、興味が尽きないところだ。
それにしても島耕作の実力もさることながら、運の強さと女性へのモテ方にはいつもながら感心してしまう。しがないサラリーマンの自分と比較してみたが、共通点は①男性である、②日本人である、③現時点で奥さんがいない、といったことくらいしか見付からない。少なくとも島耕作は会社のそばの居酒屋で黒霧島の水割りを飲みながら愚痴ったりはしないと推測される。
5月29日(木)に発売のモーニングにおいて、社長島耕作が社員向けにメッセージを出した。ここで引用してみたい。
この度初芝五洋ホールディングスの社長に就任いたしました島耕作です。
(中略)
これから先 わが社はHGホールディングスと初芝電産の松橋社長、五洋電機の勝浦社長とのペレストロイカ体制で合議を図りながら経営を進めていく所存です。
(後略)
この演説が終わった後、万亀会長も「やあ島君。名演説だったな。」と褒めている。
しかし、僕は違和感を持った。
なぜペレストロイカ体制なのだろうか?
ペレストロイカといえば、旧ソ連のゴルバチョフ書記長が実践した改革の名称だ。いったん進めた改革はゴルバチョフの思惑をはるかに超えて、東欧の民主化が進み、ソ連自身も崩壊した。
最初は改革を進める強い意志の表れかと思った。初芝電産が韓国のソムサンに買収されそうになった五洋電機を救ったのだが、五洋電機の再建には、やはり大ナタがふるわれるであろう。また、大企業であるがゆえに社員が官僚的になりがちであり、それを戒めるという意味も考えられる。
改革を進めるには持株会社社長の島耕作だけでなく、事業会社の松橋社長、勝浦社長の協力が必要であり、3人で難局に立ち向かうということであろう。
この3人というところで、ハタと気が付いた。
これはトロイカ体制の言い間違いではないだろうか?
早速トロイカ体制を調べてみたところ、なんとこれも旧ソ連に由来する言葉であることを知った。スターリンの死後、マレンコフ首相、フルシチョフ党第一書記、クリメント・ヴォロシーロフ最高会議幹部会議長の3人による集団指導体制がスタートするが、すぐにフルシチョフが実験を握り、マレンコフが追放されて2年間でトロイカ体制は崩壊した。
そもそもトロイカとは、3頭建ての馬橇のことを言う。
日本においては、1981年からの読売ジャイアンツの第一次藤田政権で、藤田監督、王助監督、牧野ヘッドコーチという体制が取られたときに、トロイカ体制と呼ばれた。この集団指導体制で読売ジャイアンツは1981年に日本一、1983年はセリーグで優勝するが、過去最高の日本シリーズという声も多い西武ライオンズとの戦いで敗れた。藤田監督は辞任し、翌年から王監督に全権限が集中したものの、思うような成績は残せなかった。
トロイカ体制をネットで検索してみると、現在の民主党の小沢・鳩山・菅体制や、上記五洋電機のモデルと思われる三洋電機の以前の井植社長兼COO・野中会長兼CEO・古瀬副社長体制などが上げられているが、いずれも成功しているとは言い難い。トロイカ体制は短命で終わるようだ。
就任早々いきなりケチをつけてしまって恐縮だが、島耕作はカメラを前にしてあがっていたのかもしれない。気を取り直して、活躍してほしいものだ。
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