このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

上田丸子電鉄真田傍陽線(上田交通)
上田丸子電鉄真田傍陽(さなだそえひ) 1972年2月19日に廃止された. 上田駅から北東に向かう路線で北東線或いは菅平鹿沢線と言われたこともある.終点真田から菅平と新鹿沢温泉へ向かう国鉄(省営)バスが出て賑わっていた.群馬県側からの鉄道の発達は遅く.長野原まで1946年の開通,さらに大前までは1971年と遅かったので,この辺は省営バスの独壇場であった.上田丸子電鉄は現在上田交通という社名になっているが,残っている別所線は分社化され上田電鉄になったそうです.上田−川原柳間は2005年10月20日,樋の沢以北は2005年12月4日(生憎雪が降っていたのでやや視界不良)に訪ねました.旧神科駅周辺は上信越道のインターチェンジが出来て分かりにくくなっている.傍陽線は2006年3月23日に訪ねました.

国土地理院5万分の1地形図1998年版「上田」と「坂城」から合成

国土地理院5万分の1地形図,1966年5月30日発行「上田」と「坂城」から合成
真田傍陽線の上田駅はホテルなどになっていて,ビルの上の方に上田交通という表示がある(地点1).新幹線を望むところに鉄道跡を思わせるカーブがあり,上田交通の駐車場になっている(地点2上田側).
上田交通公園下駐車場の表示がある(地点2真田側).その先は脇路から回り込むと遊歩道になっている.
上田城の濠にかかる橋の下に公園下停留場のホーム跡がある,線路は濠を利用していた(地点3)真田方から見る,電車は橋から約300mで橋の上の道路の高さで北大手駅に達するので上り勾配だった.
矢出沢川にかかる橋の橋台(地点4上田側).矢出沢川にかかる橋の橋台(地点4真田側).
北上田駅上田側の線路跡.貨物扱いがあったので構内の幅が広い(地点5).北上田駅跡.上田交通事業用地の看板がある(地点5).
北上田駅の少し真田側に小さい川(黄金沢川)があり,その東側の線路跡が空き地になっている(地点6).その空き地を進むと上田側の橋台が見えた.真田側は反対側へ入り込めないので撮影できない(地点6).
旧川原柳駅近くでもう一度矢出沢川を渡る上田側の橋台(地点7).真田側の橋台は建物の中に埋まっている(地点7).
旧川原柳駅跡を上田側から見る.この先真田側は買収され工場構内となっている(地点8).旧川原柳駅跡,交換可能の駅であったので,広くなっていると近所の人が説明してくれた(地点8)
残されていた樋の沢駅ホーム,左側の草叢の中にもホーム跡がある.真田側から見る(地点9).伊勢山トンネル上田側の入口.キノコ栽培工場になっていて,下の路面にはトロッコ用の細いレールが敷かれている(地点10).
伊勢山トンネル真田側出口(地点11) 新井嘉明氏撮影.トンネルと橋台,対岸から望遠(地点11)
神川に架かっていた川久保橋上田側橋台
 新井嘉明氏撮影.
伊勢山トンネルと川久保橋の橋台の双方が見える(地点11),両者の間は15m位.上の図も参照.
真田側川久保橋台.民家の土台になっている(地点11).橋は300mあって多くの橋脚があったが跡は分からない.旧北本原駅前に残る駅前食堂(地点13).地点12から地点14の真田駅跡までは殆ど国道144号線に覆われた.
国道144号線脇に残る旧真田駅ホーム跡(地点14).旧道は左側の駅より一段上ったところにあった.傍陽線分岐後の神川鉄橋上田側の橋台,傍陽側の橋台は見あたらなかった(地点15).
旧傍陽駅手前,上田側に残る洗馬川橋台(地点16).傍陽駅側に残る洗馬川橋台(地点16).

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