城東電車は1917年錦糸堀〜小松川間開通に始まり,洲崎線は1921年大島から小刻みに延長を続け,1929年洲崎まで開通したと言うことです.1942年陸上交通事業調整法により、東京市電気局に買収された.1972年11月にすべて廃止されました.この線は私鉄だけあって専用軌道の部分が多かったのに廃止されてしまいました.なまじ38番として日本橋まで行ったり,西葛西から29番として須田町まで足を延ばしていたのが王子電車と違って,裏目に出たのでしょうか.この地域の南北方向のバスは混んでいます.ゆりかもめが豊洲まで延伸しますが,いっそ東陽町を通って,亀戸か,錦糸町まで延ばした方がよいのではないでしょうか.豊洲は有楽町線ですから,新木場からの臨海高速線と競合するのでメリットは少ないような気がします.豊洲−亀有間は地下鉄8号分岐線の予定線とはなっていますが工事は行われるのでしょうか. |
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人文社復刻発行昭和一三年模範新大東京全図より.私鉄として東武などと同じ表示になっている. |
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亀戸緑道公園−旧城東電車(都電買収線)跡 |
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竪川の人道橋,線路は後から付けたもの | Monument |
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大島緑道公園−旧城東電車(都電買収線)跡,新大橋通の南北に亘る. |
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亀戸緑道公園と大島緑道公園はつながっているが,
途中から名前が変わる. | 一旦明治通りを通り南砂緑道公園に入る.
道路の方が後からできた部分もあるようだ. |
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南砂緑道公園内の越中島貨物線の鉄橋 | 越中島貨物線小名木川の鉄橋 |
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越中島線陸橋傍の Monument | Monument の説明文 |
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線路はほぼ直角に曲がっていた | 南砂緑道公園 |
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終点洲崎の近くには日本プロ野球草創期の野球場があった.警視庁運転免許試験場の向かい側に碑文がある.
洲崎球場の説明
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小名木川と横十間川交又部のクローバー橋 |
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横十間川 |
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城東線については
831列車の鉄・街・道−下町の28・38系統 その1
に写真があり,
馬橋電車営業所
に詳細な旧線の説明と写真があります.
現役時代を偲ぶには
ポコペン都電館
の
江東の都電は異次元空間
逆光の境川に幻の臨時系統出現
城東電車の夢の跡・小松川廃線
江東橋から竪川橋へ
竪川通から大島あたり
砂町暮色
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現存都電 |
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ただ1線残っている都電,実はこれも買収線で元王子電車. |
| 王電ビルは残っていますが,
ポコペン都電館
の
夕暮れの三ノ輪橋へ
にある元王子電車入口という表示も,長い間残っていた王子電車の社紋も消えています.参考:吉川文夫.東京都電の時代(大正出版)p.44, 1997. |
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