| 運転席の前に出た庇(ひさし)に特徴があった帝都電鉄の車輌.高松吉太郎氏1937年撮影,明大前駅附近で永福町発渋谷行,日本の私鉄 11 京王帝都から | | 神泉駅を出る1403号 1954年9月27日 荻原二郎氏撮影 吉川文夫著 東京電車のある風景Ⅰから | 井の頭線は路線自体が短いが,急行も運転している.しかし大きく変わったのは高井戸で環七と立体交差になったことと車庫が永福町から富士見ヶ丘に移った程度で,あとは駅構内の踏切が立体化されたくらいだ.渋谷駅は駅直近の隧道を含めて最近大改造をした.昔は3線5面だったが,戦後早い時期にホームの混雑をさばくために2線3面となった.旧一高前の東大前駅と駒場駅が統合されたのは編成が長くなったため両駅が接近したからである.全体としてみれば1933年帝都電鉄として開業以来基本的変化が少ない路線である.戦時中には,永福町車庫被災のため,臨時に
代田二丁目(現新代田)と小田急世田谷中原(現世田谷代田)の間に連絡線
が作られたこともあるが,現在は何処とも線路はつながっていない孤立線である.元来小田急系統で,最初の合併で小田急井の頭線となったが,戦時中の大東急から分離独立する際,京王線に付けられ京王帝都電鉄と名乗っていたが,最近とうとう帝都が抹殺された.私が訪ねた区間は撤去すべき対象にもなっていない踏切である.
立派なルポルタージュがある以下の区間は踏切のある街へリンクを貼りました.
渋谷〜下北沢間は踏切が残りそうだ
踏切のある街−都心に残る踏切
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永福町〜高井戸間は撤去の計画があるらしい
踏切のある街−東京の踏切
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下北沢〜永福町間の踏切
両側から撮影したものは左が東側,右が西側を原則としている.
参照地図
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下北沢駅西口は井の頭線管轄の出口 |
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下北沢2号踏切,自動車は通れない |
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東側 | 西側 |
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環七に面する新代田駅 | 跨線橋は工事中で通行止め |
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中丸橋. |
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新代田1号踏切. |
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東側 | 西側 |
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東松原駅は橋上駅,ホーム越しに上り線側の階段が見える.1号踏切の両側と併せて4カ所から上れる. |
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東松原1号踏切 |
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東側から,踏切の両側に入口が見える. | 西側:踏切の向こうに駅へ上る階段が見える. |
東松原2号踏切 |
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東松原4号踏切 |
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東松原5号踏切 |
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明大前駅京王線下りホーム下の南側歩道橋 |
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明大前駅井の頭線ホームの上に架かる陸橋 |
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明大前ホームから見た陸橋,
遠くに甲州街道 | 向こうに見えるのが甲州街道,
その上に首都高4号線. |
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甲州街道の北側に水道管と共にある橋の上の遊歩道 |
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山手急行計画の名残の複々線用地が見られる. | 明大和泉校舎の右側から遊歩道が始まる. |
明大前1号踏切 |
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神田川の両側で線路をくぐる歩行者道路. |
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アンダーパス |
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明大前2号踏切,永福町に近い. |
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明大前3号踏切東側から,永福町駅の直前.左側の写真に下りホームが見える. |
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永福町〜高井戸間は撤去の計画があるらしい
踏切のある街−東京の踏切
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高井戸〜吉祥寺間
参照地図
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高井戸1号踏切 |
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高井戸第一跨線橋 |
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高井戸2号踏切,富士見ヶ丘駅直前,入口がある. |
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富士見ヶ丘1号踏切,
人見街道
の踏切 |
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富士見ヶ丘2号踏切,久我山駅直前 |
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久我山1号踏切 |
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東陸橋 | 稲荷陸橋 |
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稲荷陸橋の北西,久我山変電所 | ぎんざうばし(昭和8年7月と書いてある). |
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久我山3号踏切 |
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三鷹台1号踏切 |
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三鷹台2号踏切 |
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井の頭公園駅直後のガード,神田川を挟む二つの道 |
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井の頭1号踏切 |
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線路は吉祥寺駅に向かって上っていく. |
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吉祥寺駅ホーム下の五日市街道と複雑に交差する街路. |
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