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スペイン世界遺産エッセー/トレド

⑦イザベル女王のユダヤ教徒国外追放

 では、統治者であるキリスト教徒の国王はどういう考えで異教徒を受け入れたり、排斥したりしたのでしょうか。
スペイン統一王国を達成し、あのコロンブスの大航海を支援したイサベル女王治世の例をあげてみます。

 長期の戦いで戦費がかさみ、有能な資金調達者であるユダヤ教徒は非常に重用されましたが、
戦乱が終焉するとともに、安定政権が望まれるようになると、不穏分子としてみられるようになったようです。

自民族の主義・主張を変えることなく、
敵軍・味方軍の関係なく、それぞれの中枢に自民族を送り込み
堅固なネットワークを張り巡らしていたユダヤ教徒は、
まさに危険分子のように扱われたのでしょう。

現に、イスラムとキリスト教徒の拮抗のなかで、
どちらがたおれても生き延びられるようユダヤ社会の情報網を張り巡らし、
画策していたとのことです。

 そして、国土再征服の完成後、最早、戦費調達の必要がなくなるとイザベル女王は判断したのでしょう、
ユダヤ教徒イベリア半島から追放されることになりました。
これによって、三宗教の共存は幕を閉じ、
また、この出来事はスペイン大帝国衰退の始まりでもありました。


余談ですが、イサベル女王はコロンブス支援によりスペインに莫大な富をもたらしましたが、
反面、経済の担い手を追放することにより、スペインの衰退を早めてしまうことにもなったようです。

日本の戦国時代、最初に到来した外国人は
南蛮人と呼ばれ当時隆盛を誇っていたポルトガル人、スペイン人でしたが、
いつのまにか紅毛人と呼ばれるオランダ人に取って代わられています。
そしてオランダの繁栄をささえたのが
スペインを追放されたユダヤ人達であるとのみかたもあります。

以上

    

写真はトレドの正門、ビサグラの門、
日の沈むことのなかったスペイン大帝国時代、
カルロス5世王はこのトレドを拠点に帝国を統治しております。
そのカルロス5世王の巨大な紋章が彫りこまれています。


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