博多のわるそうは、学校の勉強はせんやったバッテン、おいしゃん、おばしゃんから諺ばうんと聞かされてクサ
人間学はしっかり教えられたごたるやねえ。文部科学省が「学校のテキストにしたか」ていいよる
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諺 | いたらん解説 |
「あ行」
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ああ旨かった牛負けた | 旨かもんば腹一杯食わしてもろうて、最後のお茶ばすすったあと、このセリフが出てくる。
そうすりゃ「そうや旨かったや、そげえーん旨かったなら、おいしゃんがまた連れてきちゃあろう」てなる。 |
秋の夕焼けは
鎌といで待っとれ | これの反対は「春の夕焼けは川渡って待っとれ」ていう。大雨の予報ちゅう訳やね。
大金ばつっこんで、打ち上げ損なうた衛星の天気予報より、駅長のふんどしの湿り具合のほうが、よっぽどアタル確率の高っか。 |
商いは牛のヨダレ | 交渉ごとは牛のよだれのごとネバレ。ていうことやろう。
「継続は力なり」ていう言葉もある。いつまんでも、垂れ流すとがよかとは思わんが・・・ |
朝寝八石の損
| 他所では「早起きは三文の得」ていう。博多のもんはおーぎょうかケン、反対ごしいして、八石の損ていう。
奈良では鹿が家の前で死んどったら、その家の責任で処理せないかんケン、早う起きて気のついたもんは、まあだ寝とる家の前に死骸ばこそーっと置きに行きよったゲナ。一番遅う起きた家が損させられることから来とるとタイ。
サラ川(第一生命のサラリーマン川柳)に、
「まだ寝てる 帰ってみたら もう寝てる」ていう傑作のあった。誰のこと ? |
味もこうけもなか | 「こうけ」はなんかていうたら、香気のこと。味も香りもなかなら最低。
取り柄はなーもなかタイ。そげな人間にだけは、なりとうなかねえ。
共通語の「味もそっけもないわ」とどっちがよかね。やっぱあ方言の勝ちバイ。 |
暑さ寒さも彼岸まで | 春分・秋分の日ば挟んで1週間がお彼岸。彼岸はあっちの岸。此岸はこの世。
あっちの岸に行かっしゃったご先祖さんば供養する。
むかしは季節の分かれ目でもあったとバッテン、最近はあんまりイジメられるもんやケン、とうとう地球が腹かいてクサ、異常気象ばっかり。季節のけじめもつかんごとなった。 |
アリがタイなら
芋虫ャクジラ
| たいしたこたあしとらんとい、あんまり有り難がられると、照れくそうてクサ、わるそう達ぁこのセリフでごまかすっタイ。
博多の男は純情かと。 |
あわてるほいとは
貰いが少ない | ほいとは乞食のこと。いまのホームレスとは成り立ちが違う。橋のたもとにやら、ボロば着て座っとって、お恵みば請いよった。
人より多く貰おうとして欲張る乞食は、かえって施しが少のうなる。同んじことで、慌てくりまわって、大騒ぎすればかえって大けがの元タイ。
急いては事を仕損じるも、急がば回れも同義語バッテン、こっちのほうがパンチの利いとる。
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アンポンタンの
川流れ
| 馬鹿タレばナジル言葉。語呂が良かケンすぐ口に出る。縮めてアンポス。
寛政年間、江戸市中にアンポンタンていう名前の大魚が出回ったゲナ。大きかばっかりで味がなかったケン、以後、図体が太かばっかりでトロイやつのことば云うようになった。
・・・ていう説と、中国の亀の卵ていう説、果てはフランス語のアポンタン(性交不能)説やらがあって真相は不明。要するにノロマなやつのこっタイ。
「川流れ」は田主丸に「河童の川流れ」ちゅう言葉のあって、泳ぎには達者なはずの河童が、夜遊びが過ぎて居眠りしよったら川に流されておぼれた。ていう訳よ。こっちは油断したらこうなるバイていうたとえタイ。 |
云いたか云いの
コキたかコキ | 自分の思うとることば、云いたかしこ云うて、それば聞かされた方も、コキたかだけコケば、お互いながーか付き合いがでける。コクは云うのちょっと荒か博多弁タイ。
「きさまあ、なんばコキよるとや」いうても、目は笑いよる。 |
家の前の
びょうびょう犬 | 飼い主の家の囲いの中からやったら、ワンワンいうて吠えたくるくせに、そとに連れ出してほかの犬とすれ違うたりすれば、しっぽ巻いて飼い主の陰にコソコソかくれよる。
ウチに友達ば呼んできて遊ぶときは大将しとるバッテン、学校ではどこいおるかわからん子。
ウチん中では太平楽こいて、かあちゃんに威張っとっても、会社では借りてきた猫同然の男。
こげなとば「内はだかりの外すぼり」とか「金竜寺の仁王さん」ていう。
博多地名辞典・中央区・地行の金竜寺ば見てみんしゃい。
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いがいましは
金のわらじで探せ | いがいましとは、年上の嫁さんのこと。恋愛ならばお互い分かり合うて一緒になるとやケン、よかバッテン、見合いとなると「なんやあ、年上や」て、ちょっとは抵抗がある。
ところが一緒に暮らしてみると、年上だけあって気はつくし
「こらあ、思うたより意外にマシやった」・・ていうとからきとると。 |
医者とぼうぶらは
古かがよか | 最近の医療はデジタルでコンピータ。手術も切らんでクサ、穴開けただけででけるし、機械と技術の進歩にはたまがるばかり。若こうて生きの良か先生はそれば使いこなしとんなるバッテン、経験だけは古か先生にゃあ勝たん。
駅長かかりつけの中村博士は、アナログのレトロな機械しかなかバッテン、診断はピシャリ。はずれるこたあナカ。
ぼうぶら(南瓜・カンボジャから来たケン、カボチャ)は、ちぎってすぐより、しばらく置いといた方が旨うなる。かぁちゃんと畳は新しかほうがヨカ、なんて云いよったら、箒でクラサるうバイ。 |
石垣ドンポつら出すな | つら出しゃ釣らるる我が損ぞて続ける。ドンポはハゼ科でどん欲な魚。エサはなんでも釣れる。
そやけんなんにでも食いつくモンのことば「あいつあ、ドンポのごたあ」とか、「ドンポのごとガツガツすんな」ていいよった。
子供の頃、吉塚の郷口川(いまの宇美川)によう釣りに行った。いまは福北ゆたか線ていいよる篠栗線が走りよった。郷口川の鉄橋ば渡るとい、堤防の傾斜ば汽車がのぼりきらん時のあってねえ。
乗客も降りてクサ、釣りの子供達も加勢して押し上げよった。戦争で石炭ののうて、木ば燃やしよったっちゃなかかねえ。空襲はエズかったバッテン、のどかやったバイ。 |
イタチの喧嘩 | そのこころは「負けてもかちかち」 聞いたこたあなかバッテン、イタチはカチカチて鳴くゲナ。
博多のもんなあ負け惜しみの強かケン、簡単に「まいったあー、完敗バイ」ちゃあなかなか云わん。なんとかかんとか屁理屈つけて、イタチの喧嘩にしてしまう。
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犬のチンチン | 目先の利いとって、なんしたっちゃ、憎たらしかごと立ち回りの上手かヤツのことば、こう云いよった。こころは「抜け目のなか」
なし、犬のチンチンが抜けんとか、こらぁインターネットじゃ書かれん。なんちゅうたっちゃ、インターネットは世界中のもんが見よるっちゃケンねえ。 |
いんにぜん(犬に銭) | 「猫に小判」といっしょ。「犬に銭ば見するばしのごと」がつづまって、てっとり早う「いんにぜん」。値打ちの分からんモンには、無駄なこっタイて云いたかと。「馬の耳に念仏」も近か。
犬の芸でチンチンしなさいていうとは、なしか知っとう ?
チンチンやケン、立つとタイ。なあーんて考えよったら、あんたが品のナカ証拠バイ。
どっかりと座ることば鎮座するて云うやろう。鎮座のチンでした。すんまっせーん。 |
上の歯は縁の下
下の歯は屋根の上
| 永久歯の生えてきて「はっさいかけ」の取れたら、「屋根の上に投げときんしゃい」て云われよった。「はっさいかけ」ていうとは乳歯のこと。八歳になったら欠け落ちるけんタイ。
「なんで縁の下い捨てると」て聞いたら、「ねずみより強か歯の生えるけんタイ」て云われ、子供心に納得。 |
上見りゃキリなし
下見りゃキリなし | 「笠来て暮らせ己が心に」て続く。キリちゅうとは、「ピンからキリまで」て云うごと、ピンは一(いち)で始まり。キリはお終いのこと。歌舞伎でも喜利狂言とか大喜利とかいうタイ。「キリのよかごたあケン、ここらでお開きにしょうや」ても使う。
隣の庭のほうが緑のキレイか、てひがむより、他人は他人、自分は自分タイ。 |
牛は牛連れ | ゆうっくりした波長の合うもん同士で、ガツガツせんで行きまっしょう。
ていうことバッテン、夫婦ちゃあようしたもんで、こげな牛には、気の利いた猿のごたあ嫁さんのちゃーんとついとんなる。 |
うっちょけ宝満 | 「そげえーん分からんことばっかし云うヤツあ、うっちょけ宝満タイ」
山ん中い、ひとりでほったらかして、かまわんどけ、ていう意味。
東京やったらおいてけぼりタイ。人間一人では生きられんちゃケン、仲間はずれされたらいかん。
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ええまんじ向く | 直方の永満寺は、山門と本堂がひっちゃこっち向いて建っとったゲナ。そやケン、周りと協調性のなかもんのことば、こげん云うと。
「ええい、あいつが、またいっつものごと、ええまんじ向いとる」て使う。
駅長が福智山に登ったついでに、永満寺ば探したバッテン、地名しか残っとらんやった。
慶長5年、領主黒田長政が、高麗から八山父子ば連れてきて、鷹取山の麓・永満寺に窯ば築かせ、陶器ば焼かせたとが、高取焼の始めゲナ。 |
恵比須さんに詣ったら
社殿ば叩け | 江戸川柳に「弁天を除けばあとは片輪なり」ていうとがある。七福神の中で弁天さんだけが紅一点、あとの男たちは、頭の長か寿老人やら、ドン腹で内蔵脂肪症候群の布袋やらで、まともな体型のとはおらん。
ところで、釣り竿持って鯛ば抱えとる恵比須(博多ではえべすさん)なあ耳の遠かったゲナ。
そやケン、大勢が押し押しべっとお(共通語は押しくら饅頭)でお詣りに行く十日恵比須では、社殿の床ばトントン叩いてクサ、よっぽど大声で頼んどかな、恵比須さんなあ聞こえとんなれんっタイ。
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おいさんぽっぽう
猫ニャーニャー
| 見かけは大人バッテン、頭の中味は幼稚かもんのことが「おいさんぽっぽう」 「猫が来たぞ、どうするかあ」て冷やかした。「うちんとは、まあだオオビヨコですもん」ていえば、「体だけはおおきゅうても、一人前じゃなかヒヨコですタイ」ていう謙遜語。
最近、いくついなってもオオビヨコのままの先生やら、おいさんぽっぽうの議員の多すぎる。 |
大野万次郎 | 悪気はなかとバッテン、何でもいい加減で、おおざっぱ。そげな習性のことば「おおまん」とか「おおまんたくりん」、そげな性格の人間ば「おおまんたろう」ていう。
「あいつあ大野万次郎やケン、危なか、大事なこたあ任さるうもんかい」てなれば、仲間内で信用のナカ男タイ。
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大声に悪人なし | 「あんねえ、ここだけの話バッテンねえ、あの人クサ・・・・」人の悪口やら、内緒話は声が小いそうなる。子供の頃から「コソコソ話はすんな。大きな声でしゃべれ」ておごられよった。
挨拶の三原則ていうとのあって「相手の目ば見て、笑顔で、大きな声ば出す」
これがでければ、なんさせてもチャーンとでける。禅では「一行即一切行」て教える。 |
お多福は転んだっちゃ
鼻打たん | 失礼な。山桜かも知れんバッテン、お多福いうたっちゃ鼻はある。
山桜ていうとは「花(鼻)より先に葉(歯)こそ出にけり」ていうヒヤカシ言葉タイ。
駅長も大崩山で転んだとき、前歯は三本めり込んだバッテン、高っか鼻は打たんやった。なしやろか。
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男の子は
台所に近づかんと
| 「男子厨房に入らず」て厳しくむかしは教育された。つまみ食いしとうて、台所にでも入っとったら「男が台所でウロウロしなんな」てかかさんにおごられよった。
男は外で稼いでくる。女は家ば守る。ちゃーんと分担の決まっとったとが、戦後くずれてしもうてねえ、すったりタイ。
今は男が喜んでエプロンばはめとる。
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小呂の島の太右衛門 | 「あいつあ困ったもんバイ。小呂の島の太右衛門じゃもん」て使う。こころは「おろたえもん」
人のようて気ぜわしか博多のもんには、こげなおろたえもんの多かっタイ。
中州のスナックで姐ちゃん達に、一生懸命名刺ば配りよる人がおった。
なんかいな思うて見せて貰うたらクサ、「吉北 弥太郎」て書いちゃった。ヨシキタ、ヤッタローて読むとゲナ。なんばヤルとか知らんバッテン、姐ちゃん達が喜ぶ喜ぶ。 |
「か行」
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欠け徳利 | 「根は優しかヨカ男バッテン、欠げ徳利やもんねえ」
欠げ徳利。そのこころは、口が悪か。・・・・拍手。 |
かすり傷は赤チン
切り傷はヨーチン | 転んで膝小僧ば擦りむいたら、必ず出てきよったとが「赤チン」で、学校で怪我したら保健室の「ヨーチン」やった。傷口に滲みて痛かのなんのって、たまらんやった。
「赤チン」の正式名称はマーキュロクロム液。1970年代には公害が問題になって生産ば中止するメーカーが増えた。語源は「赤いヨーチン」。ヨードチンキは別もんで、チンキとは薬品をアルコールに溶かした液体のことゲナ。
そういえば最近、膝小僧に「赤チン」ば塗った子供ば見らんごとなったねぇ。転んで怪我をする子供自体が減っとるとゲナ。外で走り回って遊ばんごとなったけんやろう。ゲーム機ばっかりしよったら、膝は擦りむかんタイねえ。
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かすりメシは出世せん | 遊びほうけて、もう腹はすっからかんで、帰ってきて晩飯。ほかの家族はもう先に食うてしもうとるケン、メシはおひつに残っとるだけ。
一粒も残さんごと、かすりよったら「そげん、おひつば、かするもんじゃなか。出世せんバイ」ときた。おとこがガツガツ見苦しか、ていうこっタイ。
選挙の時の候補者は、みーんな「かすりメシ」。
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風邪は人にうつさな
早よ治らん | 風邪ばひいてコンコン咳ばしよったら、親にひっつかまってクサ、「口ばあーんしてんない」「あーん」「喉の腫れとるケン、ルゴールで焼いといちゃろう」
「うへっ」「ほら、これでよか、風邪は早う人にうつしてきない」ゲナ。
考えてみれば「喉ば焼いたり、菌ばバラまけ云うたり」当時の親はおっそろしか親やった。
菌が活発に活動しよる時は、人にもうつりやすか。人にうつった時は、本人はもう峠ば越しとって直るほうに向こうとる。うつさんでも直る時期になっとるっタイ。
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雷さんにヘソ取らるる | 空がゴロゴロいい出して、ビカーッて稲光のしたら、子供達は急いで蚊帳の中い逃げ込んだもんタイ。裸の子には、慌てくりまわってアテシャンばしてやりよった。
「裸でおったら、雷さんにヘソ取らるうバイ」ていうとは、腹冷やして下痢おこすケン、その脅しやったとやろうバッテン、子供ごころには怖かった。
ばあちゃんな、蚊帳の中で「くわばら、くわばら」て拝みよんなった。空襲の時も防空壕の中で同んなじ「くわばら、くわばら」やった。
京都の桑原にあった菅原道真の屋敷には、雷が落ちんやったケン「ここは桑原ですバイ」ていう、呪文やったっちゃろうが、道真の乗り移った雷と違うて、「くわばら」がアメリカのB29に利く筈はなかった。案の定、博多は丸焼けにされてしもうた。 |
ガメの甲より年の劫
| 「劫」ていうとは、とてつものう長か時間の経過ば云うと。一説には、一辺が60kmの岩ばクサ、3年に一回、天女が降りてきて、降りてくる度に一回、羽衣の袖で撫でてねえ、岩がすり切れてしまうまでの時間ゲナ。
対照にされとる亀の甲羅も、あの古さ加減は一朝一夕ではなかバッテン、スケールが違う。
人生、長か経験が大事かとバイ。「年寄りの云うことば、馬鹿にしたらいかん」ていう教えタイ。
「流石、先輩」てほめられて、「いいや、ガメの甲より年の劫タイ」て、照れ隠しにも使うバッテン、「流石、先輩。ガメの甲より年の劫ですなあ」て、使うたらクラさるるバイ。
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借りるときのほとけ顔
戻すときのエンマづら | 「ご恩は一生忘れまっせん」なんていうて金借りといてクサ、借りてしまえば「後は野となれ・・・タイ。
「とっくに約束の期日の過ぎとろうが、早よ、返えさんや」て催促すれば、鬼の顔して「そげんやかましゅう云わんでも返せばよかとやろう」。仲の良か友達ほど、金の貸し借りはせんがよか。 |
かろのうろん屋 | 博多弁の特徴のひとつは、タ行の濁音(ダヂヅデド)が苦手でクサ、ラリルレロに化けてしまう。そやケン、「角」がかろ、「うどん」がうろんになってしまうとタイ。
よそんもんが聞いたっちゃ、なんのことかサッパリわからん。「あたしゃあ、博多のもんれすんケン、おかしゅうござっしょうバッテン、すんまっせん」タイ。
櫛田神社の裏門から国体道路に出たとこい、正真正銘「かろのうろん屋」ていうとがある。看板に
『かろのうろん屋のかろに、わくろーがさんびきふくろーろったげな。ふてーがってぇー、 どうぢゃろかい』て書いてある。
共通語に翻訳すれば「角のうどん屋の角に、ひき蛙が三匹うずくまっていたそうだ。なんとまあ驚くことだ どうしたもんだろうか」て、なる。共通語はいっちょん面白うなか。 |
感謝感激雨アラレ
| 博多のもんなあ、テレ屋さんやケン、お世話になったり、助けてもろうたっちゃ、正面切ってお礼言うとが苦手タイ。そやけん多少ひょうげて「感謝感激雨アラレ」てなる。
ようするに、テレくさかとば隠して、それでも精一杯の表現ばしようとタイ。むづかしゅう漢文風に云えば「感謝感激、雨あられの如し」て云うこと。
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元日あ箒ば持つな | 年末に、新年ば迎えるための掃除は出来とるはずやケン、元日に掃除はせんと。
元日のことば、博多では「福ごもり」。福が折角、籠っとっちゃケン、箒で掃き出したらいかんめえモン。
起きたら、まず若水ば汲んで、お屠蘇ば祝うて、博多雑煮ば頂いて、三社詣り。ていうとが元日の定番スケジュール。かかさんも元日ぐらいは、ゆっくりしてつかあさい。
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北風と夫婦げんかは
夜いなりゃあおさまる | 若夫婦が、どこでどう間違うたか知らんバッテン、投げるの打つのていう大げんか。「だれか時の氏神で仲裁に入ってやらな、怪我人のでるバイ」て、心配しよったら。町内の長老が、慌てず、騒がず「心配しなんな。夜いなりゃあおさまる」
夜中になってこそっと家ん中ば覗いてみたら、このふたり、風呂でも入ったとやろう、浴衣ども着て、いちゃつきながら酒ば飲みよった。全国的には「夫婦げんかは犬も食わん」ていう。 |
食うてすぐ
横になったら牛になる | メシ食うたら体中の血が、みーんな胃に行ってしもうてクサ、頭が空になるケン、眠とうなる。これは自然の摂理。ここでのひと眠りは極楽浄土タイ。ところが「ご飯ば食べて、すぐ寝よったら牛になるバイ」て蹴飛ばされよった。
科学的に考えれば、食後30分は安静にして、食うたもんば十分に消化・吸収させといて、それから30分歩いて(有酸素運動ばして)余分なもんば燃やしてしまう。これがいちばんよかと。
糖尿病で教育入院してきた駅長が言うとやケン、ウソやなか。
「早飯、早糞」が必須の兵隊さんじゃあるまいし、そげん尻叩かんでもよかろうもんて云いたかった。食うばっかりの牛のごと、でれんでれん、しなんなていうことやったとやろう。 |
クシャミ三回
悪口云われよる | 「ハックション。ん ? 、鼻のむず痒か」「ハックション。ん ? 、風邪引いたかな」「ハックション。ん ? 、誰か悪口いいよるバイ」
「ハックション。 ん?、誰かオレば呪いよる」
「クシャミ3回、ルル3錠」ていうコマーシャルのあった。 |
九里四里美味い十三里 | 町内の焼き芋やの看板には「九里四里美味い十三里」て書いてあった。
サツマイモは中南米が原産で、あのコロンブスが見つけてスペインに持って帰ったゲナ。日本に入ってきたとは元禄時代らしかバイ。京都やら江戸に焼き芋やのでけて、流行ったともその頃タイ。
川越がその産地でクサ、日本橋から十三里やったけん、栗より(9里+4里=13里)美味いてシャレたとよ。栗より美味かとなら、十三里以上でなからなイカンやろうモン。 |
下戸が建てた蔵はなか | 酒も呑まん、付き合いも断って、ケチケチしとったっちゃ金は残らんバイ。て博多のもんは云いたかと。時にゃあ中州ばそうつきまっしょうや。
人間関係のでけとれば、入札も談合もスムースにでけますタイ。タバコ止めたけんちゅうて、家計が楽にならんとといっしょタイ。 |
ゲナげな話は
うそじゃゲナ | 子供の頃「東公園でぶら下がりのあったゲナ」「お綱ケ池に火の玉の出るゲナ」見に行ったバッテン、ウソやった。
終戦直後「進駐軍が博多湾に上陸したら、皆殺しにされるゲナ」て聞いて、着の身着のまま、久大線ば歩いて湯平までも逃げていったバッテン、これもデマやった。
駅長がHPに書いとる話は、みーんな、ゲナゲナ話やケン、あんまり信用したらいかん。 |
ご飯粒ば残したら
バチかぶる | むかしは、米ば大事にしたもんタイ。「米一粒は百姓さんの汗の粒」て云われよった。茶碗にご飯ば残しでもしとったら「バチかぶって、手と足のひっついて離れんごとなるバイ」いうて脅かされよった。
恐ろしかもんやケン、泣き泣き無理してご飯ば食いよったバッテン、いまのごと、ブヨブヨ肥えた内臓脂肪症候群の子はおらんやつた。 |
こんころもちは
アンコロモチ | お菓子がなかった頃、アンコロモチば貰うて食べるときは幸せやった。その嬉しか「心持ち」が。もちとモチで語呂合わせになって、調子がよかとタイ。
「えらいニコニコしとるが、なんが嬉しかとや」
「隣のおいしゃんが、ドンタクい連れて行っちゃんなるゲナ、こんころもちはアンコロモチやもん」
むかしは、向こう三軒両隣は、親戚みたいに親しかったバッテン、いまのお隣さんなあ、誰が住んどるとかも分からんごとなった。
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「さ行」
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サル面は災難ば除ける | 玄関にお潮井テボと素焼きのサル面のかかっとったら、間違いなく博多っ子の家。
地下鉄藤崎駅前通り。バスターミナルの向かい側に猿田彦神社ていうとがある。ふだんは訪れる人もなかケン、ボャーッて歩きよったら見落としてしまう。
そんくらい小さか神社バッテン、初庚申の日になると、境内にのぼりがはためき、夜明け前の午前6時ごろから、大勢の参拝者がズラーッと並ぶ。厄除けのお詣りして、赤い猿面ば受けるためタイ。
初庚申いうたら、その年の初めに来る「かのえさる」のえとの日。
サルは“去る”に通じるケン、「災いが去る」ひっちゃこっちに云えば「幸福が訪れる」いうて、猿の面ば戸口に掛けて縁起ばかつぐ訳タイ。
2007年は1月26日(金)に行われた。2番庚申いうともある。最近は十干十二支の入ったカレンダーの少のうなった。 |
三月の忘れ雪
| 「もう寒さも終わったバイ」て思いよる頃、忘れもんばしたごと、ひょろっと雪の降ることがある。まっ白うなった町が、なんか珍しか。「気まぐれな天気タイ」て云いながら、なんか、今年の寒さもお終いやねえて、名残り惜しか。
伊勢正三に「なごり雪」ていう名曲があった。イルカが歌うてヒットした。 |
3人で写ると
真ん中のもんな早死する | 日本で初めて写真ば写したとが長崎の上野俊之丞で、天保12年(1841)6月1日やった。それで6月1日が写真の日タイ。息子の上野彦馬は中島河畔に撮影局(いまでいうスタジオ)やら作って繁盛したゲナ。新しもん好きの薩摩藩主・島津斉彬やら、高杉晋作、坂本龍馬も写っとる。
舶来の新事業ば妬んだウワサは「写真写ったら影は吸い取られて死ぬ」
ずーつと後までこれば信じとったモンのおったとタイ。3人なあイカンいうて、真ん中のもんは、犬ば抱いたり、人形ば抱いて写りよった。 |
正月い女の一番客は
マンの悪か | 朝一で女のお客があって、「えーっ、今年はマンの悪か」てご機嫌斜めのごりょんさんに、気の利いた店のもんが「夜の明けんうちい牛乳配達さんの来よんなったですバイ」
「鰯の頭も信心から」で、ヨカて思えばなんでもヨカし、悪かて思えばなんでも悪か。 |
小便まる | 約束ばたがえたり、すぐにドタキャンしたりするヤツば博多のもんはいちばん好かん。
「すんまへん、全然忘れとったわー」
「今度、小便まったら、くらすぞお」ていわれて、大阪からの転校生がキョトーンとしとった。
小便はジャーッて流すケン、約束ば流すことば、こげんいうと。決めたことば守らんやつは、男なら「小便まる夫」、女なら「小便まる子」タイ。
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尻あぶって百までも | 博多の諺は、表現がちぃーとばっかり下品バッテン、中は人間味に溢れとる。
「尻あぶって」ちゃあ、行儀は悪かバッテン、そげなこといクヨクヨせんで「楽しゅう長生きしまっしょう」て云いたかとタイ。
町内のひろっぱで、焚き火して焼いたイモば食いながら、火に背中ば向けてとりゃあ、ほかほかして身体の芯から幸せ気分。これば「尻ごたつ」いうた。
いまはダイオキシンの出るいうて、勝手に焚き火はでけんごとなった。 |
しり食え観音 | 苦しかときはおすがりしといて、ようなったけんいうてお礼も云わん、振り向きもせん。お世話になった観音さんに「しりでも食らえ」ちゃあバチ当たりバイ。
商売人にもそげなとのおる。紹介してくださいいうケン、知った社長に会わせてやったら、それから大きな取引のでけたゲナ。
こっちゃあ、どげんなったろうかて気になっとったら、ほかから「あの人あ、そのお陰でよか商売しよんなあ」て聞いた。本人からはウンともスンとも、報告の電話一本なか。しり食わされた。 |
尻の綴じ目の合わん | 尻の締まりの悪かったら、そらあ、しもの世話の要る介護老人タイ、ていうことになるバッテン、そうじゃなかと。なんでもやりっぱなしで、後ばキチンとせんもんのこっタイ。
部屋ば出て行くときに、後ばチャンと閉めんやったら「糞たれといて、尻あ拭かんとか」て怒鳴られよった。品のなか教育やったバッテン、お陰でどうにか尻の綴じ目の合うた人間になれとっタイ。
いくら駅長が「方言は文化バイ」て云うたっちゃ、こげえーん、尻やら糞やらチンチンやら。げさっか(下作)もんの出てくると、なんともお詫びのしようのなかバッテン、ええ格好つけるより、ちいーったあ、げさっかほうが説得力のある。・・・て思わんね。
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好いたもんなら
じゃんこうもエクボ | 「惚れたもんには、あばたもえくぼ」なら共通語。博多弁やったら、醜いブツブツば、じゃんこうていう。好いとうモンの欠点は見えん。結婚したらそれが倍にも三倍にも見えてくる。
「恋愛とは 大いなる 誤解である」て、いうた文豪がおった。 |
すってんの四郎
弟の五郎 | 博多で「すってんの四郎」てレッテルば貼られたら、誰からも信用されんごとなる。大きなことはしきらんくせに、チョロチョロと人の目先ばかすめて、油断のならん男のこと。
「弟の五郎」てなれば、ボーッとしとる長男やら兄弟の中で、しっかりもんていう褒め言葉になる。
もっとも「素手のの五郎」いうともあって、こっちはどこへ顔出すにも、手みやげひとつ持たんでヌケシャーシャーと、お邪魔になる横着もんになる。 |
雪隠幽霊
| 「ほらほら、来たばい雪隠幽霊が、俺あもう帰るけん」
町内での嫌われもんが雪隠幽霊タイ。なんでかてな。
雪隠やケン、汚なうらめしか。来たなうらめしか。あれが来たらろくなことはなか。
いまのトイレは汚うも臭うもなかケン、雪隠幽霊は死語になってしもうとる。 |
節分の豆は
年の数だけ食うと | むかしは大豆ば買うてきて、自分の家で煎ってから豆まきばしよった。いまはチャーンと「豆まきセット」のあってクサ、鬼の面まで入っとる。
節分は季節ば分けるっちゃケン、季節の変わり目のこと。正確には立春・立夏・立秋・立冬の前の晩は、みーんな節分バッテン、二月のがいちばん親しまれとる。
その晩は、陰と陽が喧嘩して邪気が起こるケン、それば打ち払うために、豆まきばして鬼ば追い払う。博多では東長寺で護摩だき、櫛田神社では豆せりがある。
撒いた豆ば拾うて、自分の年の数だけ食べれば、その年無病息災ゲナ。自分の年より、いっちょ余計に食わなイカンていう説もある。
70も過ぎて迷信通りに豆ば食うて、さっそくあけの日、医者に行ったもんのおった。 |
「た行」 |
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ただのたん九郎 | 「素手の五郎」は手みやげ無しやったバッテン、こっちは、まぁーだそのうわの手で、
会費、ご祝儀ほうかぶり、呑むしこ呑んで、食うしこ食うて、腹一杯太平楽こいて、会費ば集めようかていう頃になると、スーッと消えてしもうとる。モチ町内の嫌われもんタイ。 |
立ち小便な赤煉瓦 | むかしからの大地主の納屋が立派な赤煉瓦造りやケン、写真とろうてしたら角に立て札のあって「犬も人間も立小便禁止」て書いちゃった。そういえば、木造より煉瓦やらコンクリのほうが、まりやすかとやろう。どっちでも見つかれば軽犯罪法違反タイ。
昭和44年国の重要文化財に指定された赤煉瓦文化館は、明治の建築家辰野金吾さんの設計で、もともとは日本生命保険株式会社の九州支店としてでけたとゲナが、裏側が水鏡天満宮との路地になっとって飲み屋街やケン、小便まりかけるとの多かとやろう。煉瓦塀に「重要文化財やケン、汚したり傷つけたりしないでください」て看板の貼り付けちゃった。
赤煉瓦の建てもんていえば、西中洲にあった大同生命福岡支社のビルがお洒落やったけど、いまはグリーンピア八女に移設され、「明治の館」いうて結婚式場に利用されとる。 |
立っとるもんな
親でも使え | 自分なぁコタツに寝っ転がっとって「あれとって、これとって」て、忙しか親ばアゴの先で使いよる。ちぃーったぁ、気の引けるとか「立っとるもんなあ・・・やケンねえ」ゲナ。
ホイホイしてやりよったらエスカレートして、立っとらんでも使うごとなってくる。 |
たんたんたぬきの
キンタマ | 「たんたんたぬきのキンタマは 風もないのにぶーらぶら そーれを見つけた子狸が キンタマめがけて飛びついた」
こらあ諺でもなんでもなか。なんでこげな歌ば歌いよったとかも分からん。ただ面白かった。 |
茶腹もいっとき | 「かあちゃん、腹減ったあ」「もうちょっとで豆の煮えるケン、そげんひもじかなら、そこのお茶でも飲んどきんしゃい」「ちぇーっ」
戦時中は、脱脂大豆に乾燥鶏卵。いつもが茶腹もいっときで、銀シャリなんて夢にも出てこん。 |
ちょっと来いに
よかことなし
| 「おいっ、ふたりともちょっとここい来て座れ」「ほらほら、またガラるうバイ」
「ちょっと社長室に来いて云いよんなるぜ」「まさか、転勤 ? 」
ちょって来いていわれて、給料の上がったり、小遣い銭ば貰うた話はあんまり聞かん。 |
天下落ちションベン | むかしガキの遊びは独楽回しと、バッチンやった。独楽回しは初めにジャンケンポイして、いっち負けたとが「ションベン」いうて、一番に独楽ば回さないかん。二ション・三ションて回していって、最後まで回っとるとが「天下」取る。
独楽回しには「引き」と「投げ」があって、投げは攻撃的な回し方。回っとる相手の独楽にぶっつける。キョンキョンに研いで尖らせとる針(心棒)が、独楽の芯に上手く当たったら、相手の独楽は真っ二つに割れて、天下が取れる。このことば「イッキョン」ていうた。
「イッキョン」やったら気持ちはよかバッテン、当たりそこのうたら、ヒョロヒョロて止まってしまい、とたんに「ションベン」さい陥落。これば「天下落ちションベン」ていうた。 |
唐人の寝言
| そのこころは「むにゃむにゃ、トンチンカンで、なんごと云いよるとか分からん」
筋の通らんことでも云おうもんなら、博多のおいさんから「唐人の寝言のごたあことば、云いなんな」て一蹴される。
そげんいえば、政治家やら官僚の云いよることは、ぜーんぶ唐人の寝言タイ。 |
どこのカラスも
黒さはいっしょ
| 意味は「隣の芝生は青い」といっしょ。
駅長はたったの3ヶ月やったバッテン、戦後に流行った「米語学校」に通うたことがあるケン、学のあるところば見せると英語では
The grass always seems greener on the other side of the fence. てなるバッテン、英語でいうたら、ことわざの雰囲気は薄か。
ほかにも同じ意味で、隣の花は赤い・他人の飯は白い・隣のぼた餅は大きく見える・隣のものはかゆ(雑炊)でも旨か・・・などがある。
「隣のごりょんさんなぁキレイか」いうたらウチのごりょんさんにクラされた。 |
どんたくは決まって雨 | なしどんたくは雨の降るとかいね。統計的にも5月の3・4日はやっぱあ雨の多か。博多んもんが幹線道路までせっきって(締め切って)、遊び呆けとるケン、天がはらかきよんなるとやろう。
どんたくが始まったとは、治承3年(1179)、時の支配者やった平重盛の善政ばたたえて「博多にて正月15日松囃子と云う事を取行う」て、貝原益軒の筑前国風土記に書かれとる。
また、そげん古うまで遡らんでっちゃ、室町時代に大内氏が博多ば支配しとった頃、領主への年賀行事ばしよったていう。パレードの先頭に「博多松ばやし」の行列が並ぶとがその名残タイ。
明治5年、新政府の県知事がクサ、金銭浪費ば理由に「松ばやし」やら「山笠」ば禁止してしもうたことのあったとバッテン、明治12年に福岡区と博多区の合併ば祝うて復活した。
「松ばやし」て呼ぶ訳にはいかんやったケン、代わりに当時のハイカラな流行語のゾンターク(西洋休日)から「どんたく」ていう名前が生まれたていう。
羽織ば裏返して着(肩裏(すらせ)ていう)、頭には頭巾か博多にわかの面ばつけて「ボンチ可愛や」唄うて「祝うたぁ」いうて行けば「預かり笹」ばくれる。
それば背中に挿して、さるきまわるとが格好良かった。
どんたくでは芸のなかもんな、「しゃもじ」ば叩いてでも参加する。
これは、食事の用意ばしよんなったごりょんさん(商家の妻)がクサ、どんたくの囃子につられて外に飛び出して、手に持っとったしゃもじば叩いて行列に加わった、いうとがはじまりゲナ。 |
「な行」 |
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ナシもカキも放生会 | 筥崎宮の放生会(ほうじょうえが正しかとやが、博多ではほうじょうや)には、早生のナシ・カキが並んどって、ほんなこたあ、初秋の季節感ば表す言葉バッテン、いつの間にか、わるそう坊主のはやし言葉になっとった。
「ねえ、お前やあ、なし、そげん、わるそうばっかりするとや」「なし、うちの畑の大根ば抜いたとや」「なし、壁に落書きしたとや」「なしや、なしや」
問いつめられると悪ガキは「ナーシもカーキも放生会」云うて逃げて行きよった。悪そう坊主は、するっとごまかすとの天才やった。(なしは共通語で何故、どうして ? ) |
ニラ・ニンニクにすかし屁 | 子どもの頃「屁こいたろう」ていわれたら、「へ、へ、へ」笑うといて「オナラにはブースーピーの三種あり」いうてごまかしよった。続きは「ブーは音高けれど臭みなし。スーは音低けれど臭み強し」「そんならスーはなんや」「ピーは音も匂いも低けれど、糞が出とる」
平均的に大人は毎日、合計0.5〜1.5リットルの屁ば5回から20回出す。これば放屁(ほうひ)ていう。オナラのこっタイ。
小腸には、繊維分ば分解する酵素がなかケン、繊維分は大腸へ送られてから分解される。そのとき発酵してガスが発生する訳やが、イモ類など繊維分の多かもんは、水素ガス、メタンガスが多量に発生するバッテン、水素、メタンはまったくの無臭やけんタイ。屁も臭うなか。
ところが、肉、ねぎ類、にんにく、にらなど、硫黄分の多か食物ば喰うとったらクサ、大腸で分解されるときに腐って、インドール、スカトールていう匂いの強かガスが大量に発生するとゲナ。
これが「スー」タイ。 |
人間枕は買うてもない | 「人間はなんで寝るとき枕ば使うとやろか? そらあ単純。「あったほうが楽やけん」タイ。
じゃ、なし楽かとかいな。
人間は二足歩行ばするごとなったケン、脊椎がS字になったっタイ。枕ばせんで寝たらクサ、S字に無理がかかるとよ。自然なS字をキープして楽な状態で眠るために枕ば使うごとなっとうと。
約400万〜300万年も前に、アフリカにおった人間のご先祖、アウストラロピテクスの化石からも枕が見つかっとるていうくらい、古か歴史があるとゲナ。
かぁちゃんのひざ枕やら、とうちゃんの腕枕は、柔らこうて血が通うとって気持ちよかった。
電車にゆられて、隣のもんの肩枕で舟ば漕ぐとも、隣のもんは迷惑やろうバッテン、最高に気持ちの良か。
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残りもんに福あり | 「城内の奥女中が着物の残り布で、 子どものおもちゃやら手まりば作ったとやろう」「違う違う。そらあ柳川のさげもん」
くじ引きして最後に一本が残った。「残りもんに福タイ」ていわれて引いたバッテン、スカやった。「おまやぁ、どこまでくじ運の悪かとや」ていわれた。
みんなでお菓子ば分けて、割り切れんでひとつだけ残った。「残りもんに福やケン、あんた持っていきない」
残り物・あまり物ていうコンプレックスば消す心遣いが嬉しかタイ。 |
のぼせもんの
三日ぼうぶら | 熱しやすく冷めやすかこと。なんにでも関心ば持つ、物好きなとこはヨカとバッテン、ちょっとやってみて、長続きせんもんやケン、何したっちゃモノにならん。飽きやすの好きやすてもいう。
駅長の家の押し入れに、トロンボーンのマウスピース、通販で買うた尺八、ドラムセットのスタンドが転がっとる。みーんな「のぼせもんの三日ぼうぶら」の証拠品。
尺八は、スースーいうばっかしで、一度も音がでんまま眠っとる。
三日ぼうぶらは三日坊主のことバッテン、一日坊主でしまえた趣味もある。一日中ウキば睨んで釣り竿垂れとる、あの忍耐力が欲しか。 |
「は行」 |
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博多んもんな横道もん
青竹割ってへこにかく | 博多んもんは強情でクサ、いっぺん云いだしたら絶対後にひかん。その点では肥後モッコスとよか勝負タイ。「あたき(私)だちぁ青竹ばへし割ってふんどしに締めてみせるぐらいの心意気ば持っとりますとバイ」て意気込んどるとバッテン、それがよそもんからは「横道もん」に見えるとやろう。
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博多は福岡
福岡は博多タイ
| 主張やら利害どうしてもが折り合わんごたるときに「もとは一緒タイ」ていう意味で使えば「そういやそうたいねえ」で納得てなる。
那珂川ば挟んで東が博多。西が福岡いう双子都市ば、明治22年にひっくるめてひとつにしたとき、市の名前ば福岡市にするか博多市にするかで大論争になった。
そんときの人口は、博多25,677人、福岡20,410人。議員数は博多側17人・福岡側13人やったとバッテン、軟禁等妨害工作によって市議会で評決したら票は13対13の同数。結局、旧福岡藩士やった不破国雄(ふわくにお)の議長裁決で福岡市に決まった。
騒動の途中、仲裁に入った県知事の安場保和(やすばやすかず)が「市の名前は福岡、その代わりこんどでける鉄道ステンショの名前は博多。これでよかろうもん」ていうたケン、福岡市の玄関駅が博多駅になった。
かみさんと金のことでモメて「オレはオマエ、オマエはオレ、財布は一緒タイ」ていうたら「ごまかしんしゃんな」てガラれた。 |
馬鹿の三杯汁 | むかし、住み込みの丁稚(でっち)やら、居候(いそうろう)が、仕事は一人前にでけんくせ、喰うことは一人前以上ていうことば皮肉った言葉。馬鹿の大食いてもいう。
懐石料理では、いくらすすめられても、お変わり三杯はいかんてなっとる。
一般には、大食いのもんに注意する言葉やった。いまなら「メタボの三杯汁」 |
始めて聞いた
今日聞いた | 「○夫と×子が、手つないで歩きよったぜぇ」「へえ、始めて聞いた今日聞いた、明日の晩に囃しちゃろ」て続く。
いまはマスコミが、明日の晩といわずスグに囃し立てる。 |
鳩の使いで豆 | 「鳩の豆使い」てもいう。
使いに出したとい道草ばっかり食うて、帰えてはこん子どもば心配しながら「あらぁ 鳩の使いで豆やもん」
これに似たことわざに「豆ば見て落ち入る鳩」ていうとがある。
ある時、天照大神が高天原(たかまがはら)の使いとして、キジとハトば葦原中国(あしはらのなかくに)につかわしなったゲナ。
ところが、ハトはクサ、豆田ばみつけたらそこに降りてしまい、そのまま帰ってこんやったていう。そこから誘惑に負けてしもうて、目的ばはたさんことばこう云うゴトなった。 |
鼻切れ牛 | 向こう見ずに突っ走るたとえ。共通語なら猪突猛進。猪突盲進かもしれん。
近頃はみんなお利口さんになってクサ、鼻切れ牛のごたあ元気もんのおらん。 |
ハンカチば
人にやったら縁の切れる
| ハンカチの起源古か。紀元前3000年、エジプト文明の頃にはもうあったてされとる。飾りのされた麻製と思われる布が発掘されとって、ハンカチがこの時代、身分の高っかもんの持ち物でやったて推測されとる。
正方形の形は、フランスのルイ16世の王妃マリー・アントワネットが規格として統一させなったとが始まりゲナ。日本での普及は、洋装が導入された明治時代以降やった。もとはハンケチーフてツヤつけて呼ばれ、略称ハンケやったとバッテン、いつのころからかハンカチになった。
明治の文豪芥川龍之介に「手巾」ていう短編小説があって、これにハンカチが出てくる。音読してシュキン。訓読してタナコヒ。
これば慌てもんがテギレて読んだもんやケン「白かハンカチば贈ったら縁が切れる」ていうジンクスがでけた。これは駅長説やケン、例によってアテヅッポウ。
もっともハンカチは手も拭くバッテン、涙も拭くケン、こっから「別れ」て連想されとうとかも知れん。
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必死豆炭 | 「必死豆炭で頑張ったバッテン、びりっけつやった」
一生懸命の様子ば云いようとやが、必死はよかとして、なし豆炭かいな。
豆炭ちゅうとはクサ、石炭の粉ばゴルフボールぐらいの大きさに丸う固めたタドンでねえ、タドン云うても分からんかいな。粉炭に「ふのり」ば混ぜて固めた燃料タイ。
蓮根のごと穴の開いた練炭ていうともあった。
豆炭の小さかくせに火力が強うて、真っ赤に燃えるとが、必死さに共鳴したとやろう。
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びったれおどし | びったれいうたら、生活にしまりのないおんなのこと。服装もバッテン、家の中の整理整頓がまるっきりでけとらん。
そげなおんなに「冬の来よるとバイ。冬支度はでけとるとな」て催促するごと、10月の末頃いっぺんキュッと寒波が来る。これば博多で「びったれおどし」ていう。
バッテン、いまの若っかもんは、冬物の洗濯はコインランドリーに持っていけばよかし、足らんもんはバーゲンがあるし、こんくらいでは脅かされん。 |
ヘクソカズラも花ざかり | 「鬼も18 番茶も出ばな ヘクソカズラも花ざかり」
若っか女のプリンプリンして、一番良か頃のこと。ヘクソカズラはツル科の多年草。万葉の頃から日本にはあるゲナ。やいとばな(灸花)てもいう。 白か花びらの真ん中がお灸ばすえたごと赤うなっとるけんやろう。
古名はクソカズラ。クソに「へ」までつけて、下作たらしゅうしたとは博多のもんじゃなか。 |
臍のゴマば取ったら
腹のせく | 子供の頃、黒うなった臍のゴマば、ほじくり出しよったら「そげなことしよったら、腹のせくバイ」ておごられよった。(せくは共通語で痛む)
親にしてみれば、自分と繋がっとったバイプラインの跡やケン、触ってもらいとうはなかったっちゃろう。ゴマばほじくるとは、こそばゆうて、面白かったとやが・・・。
科学的には、臍の中の腹壁は皮膚が弱かケン、化膿でもしたらおおごとていう親心やった。
いまは、臍出しネエチャンばっかしやケン、ヘソほじくって、さぞ腹のせきよるこっちゃろう。 |
ヘビの抜け殻マンのよか
| 箱崎の松原は、昼でも逢い引きの名所やった。学校から帰ったら、松原にこそーっと入っていって、アベックばおどかすとが面白かった。たいがいの悪ガキやったとバイ。
このわるそう遊びには、ヒラクチば捕まえるていう副産物もあって、これはよか小遣い銭かせぎになった。ヒラクチ云うとはクサ、毒蛇のことタイ。
松原の近くに「ハブ研究所」ていうとのあって、ここに持って行くとヨカ値段で引き取ってくれよった。この研究所では、ヒラクチの毒からなんか膏薬ば作りよったらしか。
「ヘビの抜け殻ば財布に入れると金の貯まる」ていうが、抜け殻どころじゃなか、ガキのくせにヘビの生身で稼ぎよった。 |
ほいとの引っ越し | 慌てもんが言うた「ほいと、引っ越すとやったら日通がよかタイ」
違うて。「ほいと」いうたら乞食のこと。
例えば初売りでクサ、要りもせんもんばっかり入っとる福袋ば、両腕いっぱいぶら下げて満足しとんなるおばしゃん。有り金はたいて土産もんば買うしこ買うて、手押し車で空港から出てきた旅行者。あの格好ば「ほいとの引っ越し」のごたるて博多ではいうと。 |
放生会の
風に当たれば風邪引かん | 博多に秋が来たら筥崎宮放生会(共通語ではほうじょうえバッテン、博多はほうじょうや)。毎年9月の12日から18日まで、博多三大祭の一つとして期間中約百万人の参拝客が訪れて賑わう。
放生会は約千年も前の平安時代のから続いとるとゲナ。すべての生き物ば慈しむとともに、実りの秋ば迎えて海の幸、山の幸に感謝する祭りタイ。
そげなことは全然知りもせんで、子どもの頃は小遣い銭もろうたら毎日、タカモンに入り浸っとった。タカモンいうたら、香具師仲間の隠語で、小屋掛けの見世物のこと。サーカス・のぞきカラクリ・ろくろ首・蛇おんな・幽霊屋敷などなどに、貰うた小遣い銭は飛んでいった。
のぼせあがっとるもんやケン、放生会で風邪やら引くもんかい。 |
宝満山から後ろ飛び | 大宰府天満宮の東北にスッキリと立つ宝満山。駅長がガキの頃は、聞き違えて「おーまんざん」ていいよった。「おーまん」ていえば博多弁で、大まか・いい加減ていうことやケン、それでよかったっちゃろう。
麓の竈(かまど)神社から百段ガンギ〜阿加の井〜竈門山碑〜益影の井〜袖すり岩て登っていけば標高829mの山頂に立つ。花崗岩の大岩の上に上宮があって東は稚児落としの絶壁。
自殺希望者でもこっから飛ぶとはビビルやろう。「えーくそ、思い切ってやってんろう」ていうときに「宝満山から後ろ飛び」ば使う。似通った使い方に「清水の舞台から飛び降りる」があるバッテン、スケールが違う。
現役の頃、毎月なけなしの小遣いから「後ろ飛び」したつもりで、宝くじば買いよったバッテン、当たったことがなか。
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ボタモチは棚の上 | 「棚からボタ餅・渡りに舟」は全国版のラッキーカムカムやが、博多のボタ餅はまあだ棚の上にあるとこがミソで奥が深か。
「果報は寝て待て」でうまく落ちてくれば「あいた口にボタ餅」てなるバッテン、世の中そうは問屋が卸さんやろう。あんたなら、どげんしんしゃる ? |
「ま行」 |
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前掛けじょうもん | 「じょうもんさん」いうとは、美人のこと。上物からきとるとタイ。
着飾ってツヤつけとるもんより、前掛け当てて一生懸命に仕事しよる人のほうが美しゅう見える。
いま風にいうたらユニフォーム美人。労働賛歌。 |
松は前向け万行寺
| 人が「右向け」いうたら「ハイ」「左向け」いうたら「ハイ」じゃあいかん。自分の信念ちゅうもんのあろうもん。それが「松は前向け万行寺」タイ。
普賢山万行寺は櫛田神社の近く、亨禄(きょうろく)2年(1529)七里隼人(しちりはやと)が蓮如上人(れんにょしょうにん)からいわれて建てた寺。浄土真宗西本願寺派。
明治時代の住職七里恒順(しちりこうじゅん)は真宗の名僧として有名で「法ば聞くなら万行寺」てまでいわれた。
薄幸(はくこう)な身で、信心深かった遊女名月(めいげつ)の墓から、初七日に蓮花(れんげ)の花がか咲いたていう伝説の「明月の墓」がある。
最近普請された本堂の大鬼瓦は、瓦じゃのうて新日鉄が開発したチタン製。見分けられるかどうか、いっぺん見に行ってみんしゃい。 |
みところ半 | 居候 四角い部屋を 丸く掃き(江戸川柳)
四隅までキチッとせんで半端に掃わく。要するに大雑把、いい加減 、中途半端、曖昧。
英語で言うたら rough。この解説もみところ半。 |
ミミズに小便まったら
チンチンが腫れる | 子供の頃、チンチンのゴム風船のごと腫れて痛かったことのある。えずうなって「かあちゃん、チンポのパンパンに腫れた」て云うたら「あんたがミミズに小便まりかけたケン、バチの当たっとっタイ、ほっときゃあ直る」ていわれた。(まるは排尿、たれるは排便)
それからは、野っ原やら、路地の奥やらでは立小便せんごとなった。なしミミズに小便したら、そげんなるとかは、いまだに分からん。立ち小便は、まるなていう教育やったっちゃろか。
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目がチョウチンする
| 学校でコンサートのあるとばカレンダーに書き込んどったケン、行ってみたら、だぁーれもおらん。帰ってよう見たら1ケ月間違うとった。家族から馬鹿いされて「そげん云うな。目がチョウチンしとったっタイ」
チョウチンなあ暗うして、ブラブラしとって見えにっかケン、こう云うとやろう。
「チョウチンしとうとは、目じゃのうして頭じゃなかと ? 」て逆襲された。 |
ものは云いようで
コツコツ
| 共通語やったら「ものは云いようで角が立つ、丸い豆腐も切りようで四角」
博多んとは「ものは云いようでコツコツ、拍子木は打ちようでカチカチ、めしは炊きようでコチコチ」て皮肉っとる。 |
「や行」 |
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八釜・四釜は
十二釜
| 「やかましかっ、そげん大声で騒わぎんしゃんな。町内中に聞こえよるタイ」
おごられた子供達は「ふん 八釜四釜(やかましかま)は十二釜」てうそぶいとる。
むかしは、夜になると店は早う閉まってしもうて、大声のよう響くぐらい町は静かやった。 |
安もん買いの銭失い | 「夜店で買うた古ふいご、スーパスパのガーバガバ」
鞴(ふいご)なんて死語に近かもんバッテン、空気ば圧縮して送り出す足踏みの器具のあった。スパスパガバガバいうとは、ちゃんと機能しとらん証拠。
戦後「モノさいあれば売れる」時代があった。「安けりゃ売れる」時代になって「安うてもモノがよからな売れん」時代になって、今は「安うてもようても売れん」時代になった。 |
柳に枝折れなし | 全国には同じ意味で「柳に雪折れなし」「柳に風折れなし」がある。
しなやかな柳の枝には雪は積もりにくっかし、積もってもしなったまま耐えとるケンこう云う。
駅長がガキの頃、思うごといかんで癇癪まわしよつたら、ばぁちゃんがさりげなく「気に入らぬ風もあろうに柳かな」て云いよんなった。これが博多の名僧仙崖さんの句で、処世訓になっとるて知ったとは、ずーっと後になってからやった。 |
山笠のキュウリ断ち
| 7月1日から15日までの山笠期間中、博多んもんはキュウリば食わん。酒断ち・塩断ちといっしょで、一種の断ちもんタイ。通説では輪切りにしたキュウリが櫛田神社のご神紋ににとるケン、ていうバッテン、徳川家の葵の紋にも似とる。
旨かさかりの好きなもんも食わずに、精進潔斎して祭りに当たるていう博多の心意気やろう。
なお、キュウリのついでに、舁き山の左右1番棒の山台下ば「キュウリ舁き」ていう。山笠が回るとき挟まれやすか一番危険なポジションやケン、ベテランが舁く。
なしキュウリか ? むかしの山笠はここに舁き棒より一回り太か杉材ばくり貫いて、縦に二つ割したもんば、荒縄で縛り付けとった。 この二つ割りされた形が 「きゅうり」 に似とったケン、ていわれとる。舁き棒ば保護せないかんごと、ここはぶっつかりやすかった。 |
山ぁ見えとる | むずかしか事に取り組んどって五里霧中やった状態から、見通しがついてきたときに使う。
5分間隔でスタートする追い山笠で「前の山笠が見えた」ていう説もあるバッテン、これは山笠とは関係なし。
むしろ登山からやろう。山で道に迷うてヤブコギに四苦八苦、やっと視界が開けて山の頂が見えたときの安堵感が「山は見えた」で、難関は越したっちゃケン「もう山ぁ見えとる」てなる。
自分に対する励ましの言葉ても考えられる。 |
山笠(やま)の人形で
スッポンポン
| 飾り山笠のの人形は、外から見たら豪華絢爛バッテン、中身は竹ば割って作った骨組みに、和紙ば張って衣装ば着せとるだけ。
そっから、外見ばっかしで、中身がカラッポの人間ば、こう云う。スッポンポンまで云わんちゃ、博多のもんは「あいっあ 山笠の人形やもん」だけで分かる。
見かけはよかったっちゃ、切って食うてみな旨かかどうか分からん「見かけぼうぶら」も、おんなしこと云うとる。 |
夢野久作
| 夢ん中ば漂うとるごと、ぼけーっとした状態、またはそげな人間のこと。「あそこの父ちゃんな夢野久作さんやもん」なんて云いよったが、いまなら、認知症のことやったとかも知れん。
駅長の菩提寺、蓮池の一行寺には、夢野久作ばペンネームにしとった大正の作家・杉山泰道の墓がある。修猷館から慶応ば出て、ブラブラしとったとば、父親から「夢野久作のごと、ぼやーっとすんな」ておごられとっタイ。
あてこすりに夢野久作ていうペンネームで懸賞小説に応募したらクサ、当選したとがきっかけで、作家として売り出したと。 |
洋服一割、髭二割
| 「あそこの大将は堂々としてたっぱいのよか」「そうや、洋服一割、髭二割タイ」
人間の値打ちは格好の善し悪しじゃなかと。中味が問題タイ。
バッテン、よかもん着とったり、光りもんば着けとったりすれば、やっぱあだまさるうもんねえ。 |
欲のクマタカ
股はり裂ける | あんまり欲に目がくらんだら、ひどいめに遭うバイていうことのたとえ。
徳島県 東祖谷山(ひがしいややま)村に伝わる民話がある。
熊鷹が二頭の猪ば両足で掴んだら、びっくりこいた猪が左右に駆け出したゲナ。欲こいて熊鷹がどっちも放さんやったもんやケン、股が裂けて死んでしもうたて。
熊鷹いうたら日本に棲息する鳥では最大級で、羽ば広げると1.7メートルにもなるとゲナ。
「二兎を追うもの一兎も得ず」と似とるバッテン、訴える迫力が違う。 |
横ばん切る | 山笠の追い山コースは、博多の町の縦筋(南北)ば念入りに折り返しながらゴールに向かう。これは山笠がもともと病魔退散のためのお祓いやった名残りタイ。
そやケン、途中で疲れたもんは横筋(東西)に抜け道して待っとけば、やがて自分の「流れ」に楽して合流できる。そこから横着に要領かますことば「横ばん切る」ていう。
「ああたクサ、結婚式で顔の見えたて思うとったら、ちょろっとおらんごとなって、どげんしなったと?」「仲人さんの挨拶の長かもんやケン、横ばん切ったとタイ」
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夜声八丁 | 子ども達が夜にクサ、大声ば出して騒いだりすると「夜声は八丁もひびく 」いうていましめた。
気象学的には、深々と冷え込む夜に、遠くの音が良う聞こえる現象のことば、夜声八丁ていう。
駅長が10年暮らした諫早には「夜声八丁(よごえはっちょう)」ていう妖怪がおって、子どもが夜泣きすると、決まって大人達は「夜声八丁がくるバイ」ていいよった。
実際に見たことはなかけど、地元の古老によると、妖怪の風貌は身長が2メートル、体重20キロのヒョロヒョロ。自分よりデカい犬ばいつも連れとって、夜泣きする子供がおったら連れていくとゲナ。マナー教えるとにお化けば使うとは常套手段タイ。 |
「ら・わ行」 |
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楽もかつがつ
苦もかつがつ | 「楽しかことはいっぱい楽しんで、難儀なこともどんどん引き受けまっしょう。なんでも持ってきない」ていう積極的な生き方は気持ちの良か。「かつがつ」はつぎつぎにかたづけていくこと。
そこには「楽もそこそこ、苦もそこそこ」ていうごたる消極性は全然なか。 |
レンコン食う | レンコンは穴がある。穴があるケン先が見える。そやケン、物事の先ば見通して時には要領よう、時には粋に立ち回ることばいう。
「サルが玉ねぎの皮むくごと」なあにもならんことば、ぐじゃぐじゃ云いよるもんに「たいがいでレンコン食うときない」 |
練兵場の柿の木 | いまの大濠公園、NHKから大濠高校のあたりは、戦前まで練兵場があって、二十四連隊の兵隊さんが鉄砲担いで訓練しよんなった。そばに柿の木の何本かあったとバッテン、この柿の木に実のなっとったためしがなか。なしかていうたら、色づいた途端に訓練帰りの兵隊さんがもいで食うてしまうけんタイ。
勘の良か人はもうわかったろうバッテン、練兵場の柿の木のオチは「なっとらん」
練兵場なんていうたっちゃ、もう死語でクサ、今どきのもんなあチンプンカンプンやろうバッテン、以前は「あいつぁ 練兵場の柿の木やもん」ていわれたらシマエたとといっしょ。
柿ていえば、博多の子守歌に「うちのごりょんさんな ガラガラガキよ 見かけよけれど 渋うござる ヨーイヨイ」ていうとのあった。 |
若っかウチの苦労は
買うてでもせろ | 続きがある。「あとからお釣りがくるほど役に立つ」
そればせんやったケン。させきらんやったケン「屁のツッパリにもならんごたる後継ぎがでけて」「親、儲け出せば、子、楽する。孫、破産する」てなるとタイ。
共通語でいうたら「可愛い子には旅させよ」ていうこと。
「買いにいったバッテン、売りよらんやった」ていうた後継ぎがおった。こげなとが「練兵場の柿の木」タイ。 |