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やまくにのかかしワールド2009
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 08年からすると場所もかかしも
   2倍3倍にスケールアップ


 1 あざみ村(かかしワールド発祥の地)
 2 ポケット村(山国中の前)
 3 ふれコア村(山国支所の横)
 4 やすらぎ村(旧守実温泉がある)
 5 ゲゲゲ村
 6 なかま殿(どの・でんじゃなか。どん)
 7 ひらおの村(一本足の古典かかし)
 8 こいこい村
 9 小屋川ランド(かかしファッションショー)
 10 さるとび村(奥耶馬渓・猿飛千壺峡)
 11 毛谷村(歌舞伎ファンには有名な県境の村)

 全部見て回ったら車でも1日仕事バッテン、
    タダで駅長の案内つきで楽なもんタイ。

 あざみ村の入口には、三人バッテン、忍者(二人者・早々にシャレ)が頑張って見張っとった。

 蜘蛛の巣は本物やケン、引っかからんごと。

 あざみ村の南の端にある「六助工房」
 ここの奥さんが、作った案山子ば、なんげなしに工房の前の石垣に腰掛けさせとんなったとが始まりで、それから正確に数えると7年目ゲナ。

 初めは知るひとぞ知るやったとけど、そのうちにだんだん評判になって、ボチボチ他所のもんも見に来るごとなった。

 仲間が自分のウチから古着ば持ち寄って、楽しみながら作りよるうちに、町も応援してくれるゴトなった。

 この地区の人たちであざみ会ていう組織もでけた。男衆も加勢するごとなった。
 

 そのうちテレビも取材に来るごとなって、テレビのニュースば見て来る観光客も増えた。

 全国各地から、使わんごとなつた衣装ば送ってくる人も現れた。

 今年は合併した中津市も力ば入れて、舞台になる畑にコスモスは植えてくれるは、ノボリは作ってくれるは、チラシまで用意してくれた。

 云うとくバッテン、コスモスは本物バイ。

 若い人も作りに参加するゴトなったケン、感覚も新しゅうなって、ことしは矢沢の永ちゃんまで出てきた。

 この機関車なんか駅長が見てたまがったとは、なんとついとるナンバーがクサ、実際日田駅に保存されとる本物の番号(D51 176)やなかね。

 六助工房のおやじさんに、そのことば云うたら、「それに気の付く人も少なかろうバッテン、日田まで見に行ってメモして来ました」ゲナ。

 人がうんと見に来るゴトなったら、変なもんは見せられん。作る方も気合いが入ってきとる。

 六助工房、今年のテーマは「秋の収穫」

 去年の「昭和レトロ」帽子ば飛ばして走りよる「のんきな父さん」は傑作やった。

 これかかしに見える ?


 おっと、こっちゃあほんなもんやつた。

 あざみ村村長ご子息さんの結婚披露宴には、両親はもちろん、写真屋さんと髪結いおばさんまで配置して抜かりがなか。


 あざみ村だけでかかしは100体ば越えとろう。

 やすらぎ村のテーマは、耶馬渓鉄道。愛称「耶鉄(やてつ)」。

 正式には大分交通耶馬渓線は、大正13年(1924)から昭和46年(1971)まで、中津から山国町の守実(もりざね)まで走りよったローカル鉄道で、地元の人の足やつた。

やすらぎの郷」の空き地に、中津から終点の守実まで、全線が「竹の線路」で再現されとった。

 やすらぎ村のすぐ近くに田舎体験工房いうとがあって、その前庭がゲゲゲ村になっとった。

 鬼太郎が出迎えてくれた。

 子なき爺も砂かけ婆もおつたバッテン、この日は工房が休館日で残念やった。

 目玉親父やら一反木綿もようでけとったケン、炭焼きしよんなった町の職員さんまで、妖怪かと思ううた。

「道の駅やまくに」のそばには「なかま殿」が、ここに250年前から伝わる「カッパ祭り」ば再現しとんなった。

 平家落人の亡霊がカッパに姿ば変えて、悪さするもんやケン、それば封じ込めて豊作と無病ば祈る行事ゲナ。

 かつらのお皿ばつけたカッパの姿の子どもば、大人4人が団扇ば持って取り囲み、封じ込める所作が可愛う作られとった。

 人形にタスキばつけよる、地元のおばぁちゃんまでかかしと間違えて写真撮りよる慌てもんがおった。

 バッテン、それも無理はなか。かかしワールドに入ったら最後、どうしても人間がかかしに、かかしが人間に見えてしまうっちゃもん。

 駅長も派手さではかかしに負けとらん。

 看板にある「なかま殿」ていうとは、ここの地名が中摩で、殿はむかしこのあたりば支配した中間氏にのことやろう。「なかまどん」て発音する。

 ここから北に約6km入っていくと中摩殿畑山(なかまどんのはたやま)ていう珍名山がある。
 地元の人は「とのはたやま」ていう。

 ひらおの村は、古典的な一本足のかかし。

 赤っか腰巻きの母カッパに、子ガッパがしかみついとった。

 山田の中の一本足の案山子
  弓矢でおどして力んでおれど
   山ではカラスがカアカと笑う
    歩けないのが山田の案山子

 こうして見るとかかしのファッションも変わったもんやねぇ。
 


こいこい村は凧揚げと鯉のぼりが公園いっぱいに展開されとった。これみーんなかかし。

 小屋川ランドのかかしは派手なこと。そしてようでけとる。

 かかしのファッションショーで一等賞やったいうともうなずける。

 元祖のあざみ村も、来年からはウカウカしとられんバイ。

 どこから集めて来なったか知らんバッテン、衣装がまた凄か。

 小屋川ていう集落の人たちのまとまりの良さがかいま見える出来映えやつた。

 一足早う、オバマさんも来とんなった。

 そうタイ。ここい連れてきて会談すれば、基地問題もいっぺんで笑うて片づくやろう。


 県道496から、橋ば渡って集落に入る角。始め通ったときほんなことい、お巡りさんが交通整理に立っとんなるて思うた。
 帰りによう見たら、これもかかしやった。


奥耶馬渓・猿飛千壺峡の田圃では、さるとび村の子どもみこしがありよった。

 駅長がかかしば撮るとにしゃがみ込んどったら、後から来たアマチュア婆ぁカメラマンがクサ、かかしと間違えて撮した云うて大笑い。

 かかしと駅長は
「駅長 in The Kakashi World」て、まとめとりますケン、よかったら「駅長室」にも見にきちゃんしゃい。

 行ったことのなか人に猿飛千壺峡ば説明すると、山国川の清流と河床一帯に広がる変朽安山岩と川の水が、長か年月ばかけて造りあげた大小無数の甌穴群があるとタイ。国指定天然記念物。

「猿飛」ていう名前は、むかし、山猿が岩から岩ば飛び回りよったケン名付けられたていう。

 下流に名勝「魔林峡(マリンじゃのうて、まばやしきょう)」やら「念仏橋」がある。

 猿飛千壺峡だけあって猿もいっちょ前にかててもろうとった。

 猿飛千壺峡から県道496号線ば、もっと英彦山のほうさい8km登っていくと、もう県境に近かところにいちばん遠か会場「毛谷村」がある。公民館の前庭に毛谷村六助が立ちはだかっとる。

「毛谷村六助ちゃなんかいな。そげなたぁ聞いたことなかバイ」て、殆どの人が同じ思いやろう。説明しまっしょう。

 ここ下毛郡毛谷村の六助は、子宝に恵まれんやった父母が、英彦山豊前坊の高住神社に祈願してやっと授かった子で、なし六助かていうと、七夕さんの前日に生まれたけんタイ。とにかく、生まれつきの怪力で、川ん中の大岩も動かしたていわれとる。

 親孝行で働きもんの六助は、成人して太閤秀吉の前で角力ば取り、37
人抜きばしたていうほどの強かったゲナ。剣術の腕も凄うて「彦山権現の達人」てまで言われるほどやったケン、全国からその名声ば聞いて、召し抱えの申し入れも殺到したていう。 

 加藤清正に見込まれ仕官した六助は、文禄元年(1592) 清正に従うて文禄の役に従軍中、いたるところで一番槍の手柄ばたて大活躍したていう。この剛勇ぶりばネタにして、でけたとが天明6年(1786) 大阪の竹本座で上演された浄瑠璃「
彦山権現誓助剣(ひこさんごんげん ちかいのあだうち)」で、その爆発的な人気が毛谷村六助の名ば世間に知らしめることになったと。

 話のスジは、剣の名手やった六助が、師匠吉岡一味斎の妻お幸やら娘お園ば助けて、師匠ばだまし討ちした京極内匠ば討つ物語タイ。特に九段目の
「毛谷村」の場が有名で上演された回数が多かったていう。

 実際の六助は、文禄の役で晋州城ば落として祝宴の最中、川の岸に立って酔いば醒さましよったら、宴席に侍っとった朝鮮の美女、論介(ろんげ)いうとに、隙ば狙われて突き落とされ死んでしもうた。
 て、いう説があるバッテン、こらあマユツバ。地元の人は毛谷村に帰ってきて62歳まで生きとったていう記録(元亀元年(1570)〜寛永9年(1632))があるて言い張っとんなる。

 その歌舞伎「彦山権現誓助剣」の六助以下ご一統さまが、ずらりと勢揃いして、出迎えてくれた。

 かかしでもさすが六助は威丈夫で圧倒される。

 この近くに六助の墓もあるて聞いたけど、今回は時間が足りずに行かれんやった。

 駅長が注目したとは、ここの武将のかかし、鎧がなんと足ふきマットのお古ででけとった。

 ひらおの村のカッパの甲羅もマットレスのお古やったバッテン、ここのリサイクルアイデアには参ったあッ。

どれがかかしか人間か、分からんゴトなってしまう町中バージョン

 11カ所の会場だけじゃのうして、守実の町中いたるところが、かかしだらけ。


 どれもこれもようでけとって、町の生活風景に溶け込んどるケン、全然違和感がなか。

 このベランダのお兄さんも、材木屋の職人さんも、始め見たときはかかしとは分からんやった。

 駐車場の中の看護師さんたちはかかし。
 病院から出てきたばあちゃんはほんもんの人間。

「ほらッ 待ちぃ 危なかちいいよろうが」

 神社の柵ば乗り越しよる子ども、それば咎めよる神主。これは両方がかかし。

 えぇ(酔)腐っとるとはかかし
「ようでけとるねぇ」てたまがっとるとは人間。

 見に来た人に手振りよるとはかかし。
 後ろでお茶しよんなるとはほんもんのジジババ。

 どっちがどっちか分からんごとなって、長う居ったら頭のおかしゅうなった。



 11月いっぱいまで、無休で毎日ありよるケン、行ってみんしゃい。特に心の悩みば持っとる人。

場所・大分県中津市山国町 大分自動車道ば日田ICで下りて、国道212号線へ左折。約8kmで大石峠の奥耶馬トンネルば出たらゆるい下り坂。約4kmの信号ば右折(左折は国道496号線で毛谷村)して橋ば渡り右折、神社の前直進200mで「あざみ村」の入口。あとはここで地図ばゲットしてご自由に。各村々に駐車場所はある。    取材日 2009.10.26

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