このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

九重"夢"大吊橋
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場所・大分県玖珠郡
      九重町田野


 駅長が首ば長うして待っとった橋が、成18年10月30日やっと完成した。
 ここのえ・ゆめ・おおつりはし。

 30日の午前中に、式典と渡り初めがあって、午後から一般に開通した。

 初めの間は、物好きがみんなドット押しかけるやろう思うて、それと、まだ紅葉がちょっと早かと計算して、駅長がいったとは2週間後のしかも月曜日。

 しかもしかも、朝6時に博多ば出発して、現地に到着したとは8時ていうとに、もう駐車場は一杯タイ。

 ギリギリのとこで、待たずに駐車でけたバッテン、暇人の多かとにゃあタマガッタやねぇ。

 8時半開門いうとにもう観光バスも来とって、200mの行列が出来とった。
 

 長さ390m、高さ173.3m、幅1.5m長さでは茨城県水府村の龍神大つり橋(375m)ば抜いて日本一。

 高さでは、宮崎県綾町の照葉大吊橋(142m)より高っかケン、ダントツ日本一ていう訳。

 しかも、標高が777mで、ぐるりぐるっとパノラマで、くじゅうの山が見渡せる、となれば、出来たばっかりの物珍しさがあるにせよバイ、これだけ人が押しかけるとも、分からんではなか。

 旅行企画に頭ば悩ましとった会員バスが、待ってましたとかぶりついたとは、いうまでもなか。


 ゆれるゆれる。好天で風もなかとに橋は、揺れる。

 高所恐怖のねぇちゃんなあ、膝ふるわせて、へたばりこんどんなる。ばぁちゃんなあ、酔うて吐こうごとなった云うてクサ、青ざめとんなった。

 そげんあるなら、来にゃよかとい。それでも橋の上から鳴子川の紅葉ば見て、満足、マンゾク、大マンゾク。

 紅葉の向こうに、くじゅう連山がみえる。左から三俣山・硫黄山の噴煙・星生山。噴煙の奥には主峰久住山も見えた。

 右へ首ば回したら姿のよか湧蓋山、橋の真正面にはアンテナ林立の崩平山(地元ではクエンヒラ) 

 揺れるケン、橋の上では高速シャッターでないと写真はブレてしまう。

 歩くとも足ば広げて、ガニ股で歩かな千鳥足になって真っ直ぐには進まれん。

 渡り賃が照葉大橋は300円とい、ここは500円も取ってクサ、これも九州一やろう。
 思いっきり500円がと、いさぶって(揺らす)やった。

 橋の上から「震動の滝」雄滝・雌滝ともよう見える。

 この滝と断崖には、龍神伝説のあるケン、一番最後ば読んじゃんなっせえ。

 バッテン、揺れるとい気ば取られてクサ、滝ば鑑賞しょるようなもんは、おらんごたった。

 紅葉は駅長が計算した通り丁度よか具合やった。

 九重町は県が指導した町村合併に反対したケン、橋ば作る資金の起債ば県がウンて云わんやったらしか。

 町が根性で19億2200万円ば都合つけて、やった事業のごたるバッテン、当初予想の年間30万人ペースば、開通24日間で突破。役場は喜んどんなる。

 反対に担当者は疲れ果て、近所も交通渋滞で大迷惑、ほんの隣の畑へ行くとい20分もかかるいうて、百姓さんの腹かいとんなった。

 騒動も初めのうちだけやろうケン、結果的に見れば、観光客が年間425万人に減っとる九重一帯の活性化にはよかこっちゃなかろうか。

 そげな人間のこたあ、知りまっせーん、いうて、鳴子川渓谷の紅葉だけは、いつもの年のごと赤かった。


取材日 2006.11.18

 福岡から大分高速道を九重ICで降り、取り付け道路でR210の三叉路にでる。

 左折して約300m。豊後中村の信号を右折。後は一本道。十三曲り九酔渓を登りきれば「震動の滝・九重夢大吊橋」の大駐車場が待っとる。

 取り付け道路の三叉路ば右折して、約1km。九重町役場の信号で左折して、四季彩ロードば経由していく方法もある。

 九酔渓の道は難しかケン、運転未熟者は、こっちのほうがよか。

 旧やまなみハイウエイからやったら、くじゅう長者原の信号から筌ノ口へ下ってくればすぐタイ。

取材日 2006.11.13/2006.11.22/2007.10.31/2008.10.202009.02.07
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震動の滝・龍神伝説

 昔々、この震動の滝には、年老いた竜神が住んどった。
 年々、神通力が衰えてきた竜神は、不老長寿の薬として若っか女ば食わないかんて思うごとなった。

 釣に事よせて北方部落のある里人ば招き寄せてクサ、
 「お前の娘ば差し出せ。いうことばきかな、お前ば、いまここで食うてしまうぞ」て脅した。

 里人は恐ろしさのあまり、娘ば捧げる約束ばして逃げ帰ったが、約束ば果たさずにおったもんやケン、竜神はとうとう腹かいて、神通力で部落の底ば抜いてしもうた。

 水ば干上がってしもうて、田畑の作物は枯れるは、井戸水は無うなるはで、部落は大干ばつタイ。

 さらに龍神は最後の力ばふりしぼって、断崖ばよじ登ってきて、部落に火ば吹き始める始末。

 この時、娘の恋人が言い出した。
「部落総出ですんまっせんいうてお詫びして、不老長寿の薬いうて餅ば捧げたらどうじゃろかい」

 竜神の怒りはこれで鎮まった。

 この時から、天災や大火の度に部落では、餅ば滝壺に捧げて竜神のご機嫌ばうかがう習わしとなったゲナ。

 バッテン、老いたヨレヨレの竜神には、部落の水ば元に戻す力はもうなかった。

 その後、部落の難儀ば見かねた日田代官の塩谷大四朗によって、天保三年、千町無田(せんちょうむた)から水路が引かれ、昔のごと稲ば作ることができるようになったゲナ


 その水路記念碑は、九重夢大吊橋ば渡った北方部落の白鳥神社境内にある。

 竜神が岩や木ばかきむしってはい登った跡が、白鳥神社のそばに残っとって「竜神崩え」又は「白崩え」て呼ばれ、今も里人に恐れられとるげなバイ。

 この龍神さん、九重夢大吊橋の大駐車場の隅に、今でも祀られとんなるケン、拝んどけば、金には困っても、水には困らんげなバイ。それに髭は撫でといたらクサ、いつまでも精力リユーリユー(竜)ゲナ。

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