彼岸花の七つ森古墳 |
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南から見た七つ森古墳(右)。森の向こうに国道57号線が走っとる。遠景はくじゅう連山。 |
| 場所・大分県竹田市
竹田市の西、菅生(すごう)地区の台地に、七ツ森古墳群(ななつもり こふんぐん)いうとがある。
もともとは、その名のごと7基の古墳があったとげなバッテン、いまあるとは円墳2基(A・D号墳)、前方後円墳2基(B・C号墳)の4基だけ。
古墳から見た黒岳はオカメ、大船山はボイン。 |
| 4つの古墳は東西に並んどって、西の端にあるA号墳は、直径20m、高さ4mの円墳。
発掘された舟形式の石棺が小さかケン、葬られたとは幼児じゃなかろうかていわれとる。
A号墳がいちばん西側にある。
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| B号墳は、全長51mで、後円部の径が28m、高さ6m、前方部の幅8m、高さ3mと、前が細長か柄鏡式前方後円墳。
柄鏡(えかがみ)式いうたら、石室が柄のついた鏡のごたる格好ばしとるけんタイ。
後円部から石棺1基が発見されとって、中には伸展葬(しんてんそう)された成人男子の遺骸が納められとった ゲナ。伸展葬いうたら体全体ばまっすぐ伸ばして埋葬することタイ。
B号墳のまわりには特に彼岸花がビッシリ。
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| 2基の前方後円墳からは、大正13年(1924)の調査のときに副葬品として、6枚の銅鏡・勾玉・碧玉製釧(くしろ)・鹿角装刀子(とうす)などが出土しとるとゲナ。
この古墳は、古墳時代前期に造られた豊肥地区で最も古か畿内型(京近辺のスタイル)古墳ていわれとる。昭和34年(1959) 国の史跡に指定された。
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| なし、こげな豊後の奥地に早ようから古墳が築かれたとかていう疑問やが・・・
それは、5世紀、大和政権が九州ば従えるため、大和の豪族ば九州へ派遣したことによる。
大和に従うた有力者は、前方後円墳ば築いていったバッテン、服従せんもんは「土蜘蛛」いうて侮蔑され、討伐軍によって攻め滅ぼされとる。
討伐軍の大将が第12代景行天皇で、九州の熊襲征伐ていう伝説になっとる訳タイ。
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| 七つ森古墳のすぐ近くに禰疑野(ねぎの)ていう地名があって、禰疑野神社ていう古か神社と神楽が伝わっとる。
景行天皇はこのあたりにおった「打サル・八田・国摩侶」ていう土蜘蛛ば討とうと思うてこの野に来なつた。
土蜘蛛たちば見事退治して、味方した豪族やら兵士全員に、ねぎらいの言葉ばかけてなったケン、ここの地名が禰疑野になった。(ウソのごたるウソか本当か分からんシャレ)
駅長が推理するに、その天皇と関わりがあると思われるとが、どうもこの七ッ森古墳タイ。
そげな歴史のある古墳バッテン、いまの七ツ森は古墳としてよりも、その周囲に植えられた20万本ていう彼岸花の名所として知られてきとる。
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| 古墳群に自生しとった花ば、地元の人たちが草刈りなど一生懸命に世話して、ここまでに育てとんなるとよ。
ケヤキやらイチョウ、ツバキなどの林床に咲く彼岸花は、直射日光から保護されとるケン、見ごろが長か。
「彼岸花祭り」の日には、神楽の奉納やら地元野菜の即売があっておおいに盛りあがつとる。
見ごろは、彼岸花やケン、いわんでも分かっとろうもん、彼岸の間が一番タイ。
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ちょっと古墳の南側に回ってみたら、白壁の納屋と森の向こうに祖母山系が、純日本風の景色ば展開しとった。
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| 禰疑野神楽(ねぎのかぐら)が伝承しとる深山流(ふかやまりゅう)岩戸神楽は、江戸時代中期に豊後大野市朝地町市万田和田に鎮座しとんなる「深山八幡宮」が発祥の地ゲナ。
深山流岩戸神楽には「神楽大事」ていう神楽の解説書(マニュアル本)が残っとってクサ、全36番の人数・装束・採物・舞方までチャーンと記録されとるとゲナ。 |
| お手本が残っとったケン、明治以降になって急速に周辺地域に流行した訳。
奥豊後地域の岩戸神楽には、深山流・御嶽流・浅草流の3流派があって、深山流は囃子や舞方、衣装に他の流派とは違う独特なものがあるげなバッテン、素人にはその区別はつかん。
禰疑野神楽の創始については、明らかな文献は残っとらんけど、明治35年には既に神楽が行われとったていう記述があるらしか。
大正8年には、禰疑野神楽保存会がでけて、今日まで禰疑野神社ば氏神とする竹田市今地区の人たちが伝承してきとんなるていう訳。
昭和54年には竹田市指定無形民俗文化財に認定されとる。秋祭りの時期には、あっちこっちに引っぱりだこゲナ。 |
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駅長が行ったこの日この時間、マンのよう神楽舞いがありよつて、天狗さんの竹竿登りやら、餅撒きならぬキャンデー撒きまで大サービスやった。
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| 国道57号線の阿蘇市「坂梨」信号から竹田へ約12km。菅尾の「石井」信号から1km。
竹田からは、熊本へ国道57号線ば約8kmの左。
やまなみハイウエー(今は県道11号線)の瀬の本からは、竹田へ向かう北滝ロマン街道ば約10km。気分良う走ったら久住町「牧の元」信号ば右折。
旧豊後街道ばぐねぐねと約12kmで国道57号線「石井」の信号に出る。左折1kmで右側が古墳。
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取材日 2009.09.20 |
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