このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

用作公園
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場所・大分県大野市朝地町

 用作(ゆうじゃく)ていう地名は、鎌倉時代に、大友能直(よしなお・豊後の守護職)の八男・能郷(よしさと)が、隣接地の「背子(せこ)」に地頭屋敷ば構えとって、その所有する用作田(ようさくでん)いうとがなまって伝わったらしか。

 文禄3年(1594)竹田には中川秀成が、秀吉から7万4000石ば与えられて入府し、岡藩ば統治するごとなった。

 この秀成、関ヶ原の戦いでは家康の東軍に加担して戦功ががあったもんやケン、戦の後もここの所領は安堵されたていう。

 岡藩三代目の久清(ひさきよ)は、くじゅう大船山に何度も登り、号ば「入山」て称したぐらいに山好きの殿様として有名バッテン、寛文4年(1664)岡藩の筆頭家老・中川平右衛門にこの地ば与えて別荘地とさせたていう。 

 平右衛門は、ここに書院造りの屋敷ば構え「心字池・丹字池」ば作らせた。

 さらに全山、楓と松ば植えさせたていう。

 それが今日まで残って、公園になっとるていう訳タイ。

 当時ここには、南画家の田能村竹田やら、儒学者の頼山陽など、文人墨客がよく訪ねてきて、岡藩の迎賓館としての役目も果たしとったらしか。

 その紅葉ば、近辺の福祉施設から何台ものマイクロバスば連ねて、ばあちゃんが見にきとんなつた。

 分かっとんなるとかどうかは知らんバッテン、池の周りの紅葉ば、うっとりと眺めて、至福の時ば過ごしとんなった。

 アルペン大名の久清さん、なかなかよかもんば後世に残してくれたもんタイ。

 国道57号線で竹田ば通過して東へ約3km「用作公園・普光寺」の標識で右折。

 しばらくで普光寺はさらに右折せないかんバッテン、用作公園はそのまま直進する。

 あとは狭かけど一本道ば1km弱で右手に駐車場が見えてくる。

 紅葉の期間中は、茶店も出とるし、土・日・祝日にはライトアップもある。  

取材日 2004.12.02/2005.11.07
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