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目抜き通りに頑張る明治の赤レンガ館      「大分県」の目次へ

 

 大分銀行赤レンガ館は、大分市府内町の中央通り沿い、パルコとトキワの間にある建物。
 大分駅からは歩いて5分もかからん。

 大正2年(1913)に
旧第二十三国立銀行本店として建てられて、のち大分銀行本店やったとバッテン、現在は大分銀行のローンプラザ支店として使われとる。

 ローンプラザ支店いうたらなんかいなて思うたら、銀行の個人ローンば扱う専門の支店ゲナ。

 設計は、東京駅などば設計した辰野金吾さんタイ。大分県で辰野金吾の作品はこのひとつだけ。そしてこれは大分市中心部に残るただひとつの洋館でもあると。

 英国から輸入したていう赤レンガに白か御影石の帯ば巡らせて、屋根にはドームば乗せた典型的な辰野式デザインタイ。

 第二次世界大戦の終わりがけには、空襲で壁だけ残して焼けてしもうたとバッテン、戦後修復され、昭和41年(1966)8月まで大分銀行本店として使用され続けとった。

 本店が200mばかり北の昭和通り角に移転した後は、貸しホールなどに使われとったバッテン、大分銀行の創立100周年ば記念して改築され、平成5年(1993年)1月に赤レンガ館として再お目見えしたと。

 建物はRC(鉄筋コンクリート)造りで2階建。建築面積は約235坪。
有形文化財に登録されたとは、平成18年(1996)12月。
 平成6年(1994)には、通商産業省グッドデザイン施設部門賞。平成7年(1995)には、 第1回大分市建築大賞やらば受賞しとる。

 ところでなし旧二十三国立銀行て、但し書きのついとるかていえば、

 明治5年(1872)にクサ、時の大蔵大臣・伊藤博文のもとで「国立銀行条例」いうとが創られとるとタイ。外国かぶれの博文がアメリカのNational Bankば真似して、国立て訳しとるバッテン、国が作ったっちゃなかと。民間が開設する銀行に、設立順の番号ば振って銀行の名前にしたとタイ。こればナンバー銀行ていいよったゲナ。

 明治9年(1876)各銀行で紙幣の発行が認められるようになったら急増して、明治12年(1879)までに全国で153の国立銀行いうとが開設されたいていう。

 ところが明治15年(1882)になって、本物の国立、日本銀行がでけたもんやケン、それまでの国立銀行は民営化して普通銀行になった。紙幣の発行も日本銀行だけが行うようになったていう訳タイ。

 こんときでけた国立銀行が、みーんな、いまある銀行の母体になっとるとよ。たとえば、みずほ銀行ば遡ると第一勧業銀行〜第一銀行〜帝国銀行〜第一国立銀行やったていう訳。

 長崎の十八銀行は、なし十八銀行かていえば、18番目に開設した第十八国立銀行が、民営化されて名前もそのまま、現在にいたっとるとるていう珍しか銀行タイ。福岡銀行のご先祖さんなぁ、第十七国立銀行やったと。

 第一から第百五十三国立銀行まで、全部遡りよったら、HP「「ふる里駅」のメモリーの足らんごとなるけん止めとくバッテン、本題の旧
第二十三国立銀行がどうかていえば、二十三番目で大分に開設された銀行で昭和2年(1927)に大分銀行と合併して大分合同銀行になっとったとやが、昭和23年(1953)に大分銀行て名前ば変えとんなるていう訳タイ。

 金吾さんの建てもんはそっちのけにして、銀行好かん駅長が、今回は銀行の話しで草臥れた。

 場所・大分市府内町。大分駅ば背にして、駅前の中央通りば北へ200mの右側。赤煉瓦やケンすぐ分かる。夜はライトアップされとるケンなお分かりやすか。           取材日 2006.7.6

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