相良寺がいまの場所に移ったとは、正平21年(1366)で、菊池一族の発願(ほつがん・自分たちの幸せば願うために寺院や仏像ば造って寄進すること)で本堂ば建て、千手観音と、その両脇に不動明王・毘沙門天王の二体ば安置したていう。さらに楼門・仁王門・護摩堂・阿弥陀堂・山王社・庫裡・書院・客殿などば建立したらしか。
菊池一族が肥後で勢力ば保っとった14世紀から16世紀あたりが、最も栄えとった頃やったろう。
源平時代、菊池隆直(たかなお)が平家についとったもんやケン、源氏方の武将、緒方三郎惟栄(これよし)に攻められて、この地方は戦場になった。そんとき本堂は火ばつけられ、99もあった坊の全てが焼矢してしもうたて云われとる。このことから考えても、ものすごか規模のお寺やったことが想像でける。
そうやろう、なんせ石柱の立っとる南大門跡から、車でもたいがい村ん中ば走らな駐車場につかんやったもん。
寺が再び活気ば取りもどしたとは江戸時代。細川が肥後の国ば治めるごとなって、相良寺ば細川家の祈祷所にしたけんやった。そして現在まで広く庶民の祈祷寺になっとるいう訳タイ。いまでも天台宗の総本山、比叡山延暦寺(えんりゃくじ)末寺いうことになっとる。現在の本堂は明治13年に再建されたもんゲナ。
寺が古かばかりやなか。本尊の千手千眼観自在菩薩が、これまた古うて大きか観音さんで有名かとタイ。
どんくらい古かかて云えば、750年ば超ゆる歴史をば持っとんなるとゲナ。大きさは丈六座身(じょうろくざしん)ていうケン、一丈六尺いうたら4m85cm。
時代によって基準が違うバッテン、だいたい人間の背丈の倍ば云うた。これはお釈迦さんがそんくらいの背丈やったけんゲナ。座ってそれだけやケン、こらやっぱぁ「とつけむにゃー太か」
木彫坐象としては国内最大。歴史価値からいうても、こらひょっとしたら国宝級の観音さんかも知れん。
本堂が焼かれた後、再興された千手観音は、廃仏毀釈の法難も逃れて今日に至ってとる。
本尊は、金箔ば張ったりしての修復が、昭和54年までに4回施されたとげなバッテン、美しい姿ば取り戻しなった反面、重要文化財には指定されとらん。
なしそげな「とつけむにゃー古うて立派なもん」が、文化財じゃなかとかいな。
それはね、重要文化財いうとは、勝手に修理やらしたとは、登録がでけんとゲナ。もっとも逆にいえば、重要文化財として指定ば受けたら、勝手には扱われん。入れもんの中に押し込めたりして、人が近づかれんごとする必要もあってなにかと制約が多かとらしか。それではせっかく来てもろうた参拝者が、観音さんば近くで拝めんケン、申し訳なかていうとがこの寺の考えタイ。
重要文化財の指定受けたお陰に、窮屈な思いばしよる持ち主は多かもんやろう。金は出さんで「あれもいかん、これもいかん」いうとは、文科省の得意技やもん。
ここの場合、それだけ云えるとは、信者さんにしっかり支えられとんなるけんタイ。昔から安産、子授けにご利益があると言われて人気ば絶大。
その由来は、61代朱雀天皇の時、皇后が子宝に恵まれんやったケン、皇室の勅使がこの地に来て7日間も本堂に籠もって折願しなったとゲナ。そしたらクサ、無事に赤ちゃんが生まれなったとよ。それが62代村上天皇やった。
そやケン、いまでも、安産、子授けに霊験があるていわれ、遠くからもお参りの絶えることがなか。
3月の相良観音春季大祭には他県からまで多くの参拝客がバスで押しかけるていう。
本堂にはほかに多くの仏像も祀られ、中でも市指定文化財「菊池武光陣中矢除守本尊不動明王」は見逃す訳にはいかん。出陣の時の携帯用お守り、ていうとが珍しか。
折りたたみ式の箱に貼り付けた薄型の不動さんタイ。駅長の守護神は不動さんいうこともあって、特に表情が気に入ったもんやケン、2枚も写真ば撮ってきた。写真右と下。
また参道にある天然記念物のアイラトビカズラ。5月には赤紫色の花が咲くマメ科の植物バッテン、これには源平時代の合戦の時に、観音さんが奮戦しなったていう故事が言い伝えられとる。
詳しく云うとこうタイ。壇ノ浦の合戦で敗れた平家の残党が相良寺に立てこもったさい、豊後竹田の源氏方の武将緒方三郎が寺ば焼討ちにした。こんとき寺の観音さんは、飛びあがってこのカズラに飛び移り、危うく難ば逃れなったていう。
また、ある時は、カズラに姿ば変えた観音さんが飛んできて、戦いよった緒方三郎の馬の足にからみつき、落馬したところば菊池の兵が討ち取ったてもいわれとる。トビカズラの名の由来はここからきとるとゲナ。
駅長に疑問がある。寺に行くが行くまで「さがら寺」て思いこんどった。熊本いうたら人吉が相良(さがら)藩で相良(さがら)氏が有名やろう。ここと何の関係があるっちゃろうか、ていう関心は肩すかしされて、ここは「あいら」
なし「さがら」じゃのうて「あいら」なのか。答えは簡単。ただ単に地名が「あいら」やけんタイ。もっというなら、相良山(あいらやま)の麓にあるケン、相良寺やった。人吉の相良(さがら)とはなんの関係もなかった。。
本尊・千手観世音の脇仏。左・毘沙門天。右・不動明王。いずれも室町あたりか。とになく古かった。
アイラトビカズラ
アイラトビカズラ(飛び葛)は、つる性の豆科の植物で学名はムクナセンペルビーレンスていう。1回や2回聞いたっちゃ覚えきらんし、声出して云えていわれたら舌噛み切るごたあ名前。
つるは黒褐色で、葉は楕円形の先が針のようにとんがっとる。4月下旬から5月上旬にかけて黒紫色の房状の花ばつける。
樹齢1000年ていわれてとって、日本ではここの1株しかなかとゲナ。国指定天然記念物に指定されとる。
また、このトビカズラは霊華「優曇華(うげんど)」とも呼ばれとって、仏教の世界では3千年に一度開花してクサ、その花が咲いたときには、とつけむのうヨカことの起こるとゲナ。
そげな話があるいうことは、そげんめったにしか咲かん花やけんタイ。ところが、ここ相良町のトビカズラは、近年、毎年たて続けに咲いとるいうケン、おかしかろう。かいうて、そげんヨカこともなかごたるバッテン、今年も咲くようやったら、見に行ってみようやなかね。
相良観音の南約1キロのところに公園があって、アイラトビカズラの巻き付いた棚がある。咲くか咲かんか分からんトビカズラのために駐車場もトイレも立派なもんの整備されとる。
左・むかしから「チャーモン」で呼んどる相良寺の「南大門跡」ここからが境内やったと思われる。
緒方三郎が討ち取られたのもこのあたりらしか。
左下・天女の浮き彫りがある梵鐘。
下・子供が欲しかていう願い事の絵馬がいっぱい。
特徴のあるアイラトビカズラの葉っば 日本にはこの一株だけ これに紫の花房がぶら下がるとは5月