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1200年もむかし阿蘇神社から分霊してきた      「熊本県」の目次へ
                      

 肥薩線の人吉駅ば降りて、駅から真っ直ぐ球磨川のほうさい200mほど行った四つ角から、右ば見ると赤い橋が見える。これが平成20年の6月に、熊本県で初めて国宝に認定された青井阿蘇神社(あおいあそじんじゃ)

 茅葺の社寺建築では全国で初めての国宝。また神社が国宝として認定されたとが実に47年ぶり。しかも国宝では日本最南端ていう青井阿蘇神社タイ。むかしから地元では親しみぱ込めて「青井さん」て呼んどった。

 祭神は建磐龍命(たていわ たつのみこと)と、そのお神さんの阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)子どもの国造速甕玉神(くにのみやつこはやみかたまのみこと)が祀ってある。
 この3神は阿蘇三社ていわれ、阿蘇市の阿蘇神社の祭神12柱のなかの3柱タイ。

「ちょっと待った駅長さんもし、なし人吉に阿蘇の神が出張してきとんなるとですな ? 」

「それはね、昔々の大昔、大同元年(806)9月9日にクサ、阿蘇神社の神主大神惟基(おおが これもと)いう人が、神託ば受けとんなると」

「神託ちゃなんですな ? 」
「神のお告げタイ。ある晩のこと惟基の枕元に、阿蘇の神・建磐龍命が立って、"おらぁもう阿蘇には倦きた、大きな川のある人吉いうとこに行ってみたか"て、云いなったとゲナ」

「 ? ? ? 神様がそげなわがままば云いなるやろうか」
「シーッ。1、200年も前の話やケン、だぁーれも見たもんなおらん。いい加減よかと」

「もうちょっと学のあるとこばちらつかせれば、こうタイ。現在の社殿は慶長18年、相良20代の長毎(ねがつね)によって造営されたとバッテン、その当時の棟札に「正是神明相応之勝地也」(まさにしんめいそうおうのしょうちなり)ていう一文がみつかった。神明相応の地とは、東西南北の4つの方向のそれぞれに神がおんなるていうこと。ちょつと難しすぎるかな」
「いいえそんくらいは分かりますバイ」

「これは平安時代、中国から流入してきた陰陽五行の思想(世の中の一切は陰と陽の二気によって生じ、五つの行で説明ができるというもの)に基づくもので、東には青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武という聖獣がいて、その神々はそれぞれ大川、池沼、大道、高山に住んどることになっとると」
「はあはあ それで・・・」

「これば青井阿蘇神社と照し合わせてみると、確かに東に球磨川、南に蓮池、西に道、北方は山に囲まれとる土地であることが分かる」
「なぁーるへそ」

「広か人吉球磨地方で何故この場所に建磐龍命が来たかったとか、ていう疑問も、かつての平安京のごと、四神が守る天然の聖地やったからこそ選ばれたていうと納得でけるかな ?」

 それで阿蘇神社から3神の分霊ばここ球磨郡青井郷に持ってきて祀ったいうとが始まりと伝えられとる。

「駅長さんもし」
「あぁせからしかねえ。こんどはなんや ? 」
「阿蘇から引っ越しなったとは分かりました。バッテン、なし青井いうとがひっついとるとですな ? 」

「古文書に曰く、「此地者林樹深茂シ中ニ小池アリ 之レヲ青井ト云フ」てあるけんタイ」

「今はごじゃごじゃしとるバッテン、むかしは神社建てるとによかったとでっしょうか ? 」

「そうタイ。創建当時のこの付近は木々が林立する鬱蒼とした森で、そこに池があり、その池が、「青か」水ば満々とたたえとったことから、青井ていわれとったっタイ」

 その後天喜年中(11世紀中半)に再興され、建久9年(1198)に領主として藤原一族の
相良長頼(さがらながより)が人吉へ下向した際にも、再びリニューアルして自分の氏神として尊崇した。

 神領として216石ば寄進したりして、相良家は歴代にわたって大切にし、延徳3年(1491)の12代当主
相良為続(ためつぐ)による社殿造営など何回もの造営・修繕が行われとる。

 相良氏は八代衆や球磨衆ていうた国人衆ば家臣団として抱え、その衆議ば踏まえて領国の経営ばしよった。
「八代日記」には永禄元年(1558)に八代衆が妙見宮(現八代神社)で神裁(しんさい・かみのお告げは受けること)の後、球磨衆が「青井に籠もって」って神裁ばしたて書いてあり、当神社で衆議や神裁が行われたものと思われる。
 相良氏にとっての当神社は信仰の対象であるとともに、家臣団ば統制する都合のよか存在やったらしか。

 近
世では相良家20代目に当たる長毎(ながつね)が、文禄の役で朝鮮出兵するとい当神社へ戦勝ば祈願し、無事に帰れたもんやケン、慶長2年(1597)に当神社ぱ球磨郡内の神社250余社の総社と定めた。

 また翌年には、田地1町1,000歩(約4,000坪)ば寄進したり戦勝祈願のお礼として社殿の大造営ばしたりしとる。

 明治5年(1872)8月に郷社に列し、昭和10年(1935年)11月県社に昇格した。

 慶長18年に竣工した楼門は禅宗様式に桃山様式ば取り入れた寄棟造茅葺の三間一戸八脚門。

 組物は初層ば二手先、上層ば三手先とし、柱間は地覆と貫で固め、柱上には初層・上層ともに台輪ば渡す。

「またすんまっせんバッテン、二手先ちゃなんのことか分かりまっせん」

「ふたてさき いうとは柱から外に突きだした二つ目の斗(ます)で、桁ば支えるもんタイ」

「地覆いうとも分からんとですが」
「じぶくいうとは建物のいちばん下に、地面に 接して取り付ける横木のこと、家の入り口の敷居のことて思えばよか」

「ついでに台輪ちゃなんですかいな」
「台輪いうとは、簡単に云うと上のもんば支える横木のこっタイ。もうよかや ? 」


 上層四隅の隅木下に陰陽一対の鬼面を嵌め込んだとが珍しく、これは当地方独自の人吉様式と呼ばれる。

 また、初層の組物の間には二十四孝などの彫刻が施され、初層の天井には雌雄の龍が描かれとる。

 楼門に掲げられとる神額は、人吉藩3代藩主相良頼喬(さがら よりひろ)が延宝5年(1677)に奉納したもんで、後水尾天皇の第十皇子で天台座主やった堯恕法親王(ぎょうじょ ほっしんのう)の揮毫ていう。

 軒下の隅にまるで何かば守るごとして嵌め込まれとる鬼面や、天井の龍の絵が描かれているのがこの地方ならではの文化。この手法は、地名を取って「人吉様式」ていう。

←天井の夫婦龍は。もう塗料がはげかかって確認でけんごとなっとる。

    国宝

  楼門

 本殿は三間社流造銅板葺。側面と背面の桟ば×型とする点や長押上の小壁に格狭間(ごうざま)ば設ける点などに球磨地方の社寺建築の特徴が見られるとゲナ。
 
格狭間いうたら須弥壇 (しゅみだん) や仏壇などの基壇部の側面ば飾るために施された刳 (く) り物のこと。

 廊は本殿と幣殿を連絡する社殿で、梁間1間、桁行1間切妻造銅板葺。左右両柱の持ち送りに龍の彫刻が施されとるが、これは南九州の社寺建築に影響ば与えたとされとる。

 
幣殿(へいでん)は梁間3間、桁行5間の寄棟造妻入茅葺で前面は拝殿に接続する。
 内部外部ともに華麗な装飾が見られるバッテン、内部小壁の装飾彫刻の図様が柱間内で完結せずに柱ば超えて繋がっとることや、餝金具の技法に特徴があり、これは当時の最先端技法ばいち早く取り入れたもん、て専門家がいうとんなる。

 幣殿とは
参詣者が幣帛(へいはく)ばささげる社殿。 拝殿と本殿との中間にある。幣帛とは、神前に供える物の総称で「幣物(へいもつ)」てもいう。

 以上3棟は慶長15年の竣工。拝殿は慶長16年の竣工で、桁行7間、梁間3間、寄棟造平入茅葺。前面に1間の唐破風造銅板葺の向拝(こうはい)がつけられとる。

 梁間3間のうち手前1間通りば吹き放しとし、その奥は拝殿、神楽殿、神供所(じんくしょ)の3つに仕切られ、当地方独特の舞台装飾が施された神楽殿では、10月8日の夕刻に球磨神楽が演じられる。

 御供所とは、神様にお供えする供物ば盛りつけて準備するための専用の建物タイ。

 初めてこの神社ば造った大神惟基ば家祖とする青井氏が大宮司として歴任しとって、江戸時代では当地方一帯の神職ば統括するほどの存在やったとバッテン、大正14年(1925)に第60代の青井淑人が死んで後継ぎが無かったもんやケン断絶してしもうた。

 
いま、神社に隣接しとる青井氏の邸宅と庭園は、平成22年(2010)から「文化苑」として一般に公開されとる。

 鳥居の向かいには、蓮池と禊橋(みそぎばし)。真っ赤な禊橋と蓮池。
 蓮は、6月〜7月が見頃。白い花が咲く頃には、初夏ば感じさせる景色となり、楼門天井に描かれとる雄雌の龍がクサ、夜毎に天井から抜け出し、連れ立って水ば飲みに来たていう言い伝えがある。

 人吉市は四方八方ば切り立った山々に囲まれた盆地で、その地形が幸いして、敵が攻めてくることもなく、相良氏700年の世が続いた。あの加藤清正でさえ球磨川ば途中まで攻め上がっといて、山また山に嫌気が差して引き返しとる。

 
青井阿蘇神社をはじめ、人吉球磨地方にはこげな歴史的建築物が多く残されとって壊されとらん。
 これは、相良氏が室町から江戸時代にかけて数多くの社寺ば建設したことがひとつと、700年ていう長い間、藩主が変わらんやったていう特異な地域性が大いに関係しとる。

 また、先祖が伝えたものをば、子孫が大事に守ってきたていう、「水よし米よしお人良し」の歴史が大きかとかも知れん。

↑ 駅長はなしか知らんバッテン、この拝殿横の燈籠が気に入って、昼と翌日の朝早う撮しに行った。屋根に苔むしとって、なんとも云えん風情があった。
↓ 拝殿側から見た楼門と拝殿に向かって右側から見た楼門。「国宝・青井阿蘇神社」のヒラヒラ旗が目立つ。

 場所・熊本県人吉市上青井町118。熊本まで新幹線で行って、金・土・日やったら9:45発のSL人吉に乗れば、途中も楽しんで12:13には人吉駅に着いとる。駅ば出て5分ばかり真っ直ぐあるきよったら、右手に赤い「禊橋」が見える。 車やったら九州自動車道ば「人吉IC」で降り、県道54号線ば2Kmちょいで国道445号線「五日町」の信号ば右折。約600mで駅前通過したら100m足らずで「禊橋」                取材日 2014.03.18

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