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230年も昔から回っとる朝倉の三連水車     「福岡県」の目次へ
 国の史跡指定         

 筑後川流域の久留米藩・福岡藩では、米麦の増産ばして年貢の収穫ば高めようと17世紀後半から18世紀にかけて、新田開発ば積極的にすすめた。

 ところが寛文2年(1662年)に旱ばつがこの地域ば襲うた。
 もともと筑後川の中流域は、今でこそ肥沃な水田地帯バッテン、かつては谷間から湧き出る小川などの水ば利用したわずかな水田があるだけで、湿地やら原野、石ころまじりの荒れ地が広がり、農民はたびたび起こる干ばつに苦しめられとった。

 筑後川の水が欲しか。
 生活の窮乏から脱出するため開田への希望は農民の側からも高まっていき、旱ばつの被害ば防止して安定した生産ば確保するためには、筑後川の水ば引き入れるよりほかに方法はなかていうことになった。こうした時代背景の中で山田井堰やら堀川用水が誕生した

 
この辺のことについては本編の58番線・ドキュメント筑後川No8 「山田堰」に詳しゅう取りあげとるケン、いったんそっちば見てから、また戻ってきてもらえば、さらに分かりやすかて思う。
            http://www.geocities.jp/tttban2000/SL6558/index.html

 こうして先人が筑後川の水ば堀川用水に取水したとバッテン、一部では土地が高っかとこにあったケン、約230年前に自動回転式の重連水車が設置された。

 これが日本最古の水車として全国的にも有名な
「朝倉の楊水車群」ていう訳タイ。

 市によると、寛政元年(1789)にはもうここにあったていう記録があるげなケン、日本最古は間違いなかし、まだ稼働しとるいうケン、たまがるじゃなかね。

 いまでもここ
「菱野三連水車」・「三島二連水車」・「久重 (ひさしげ) 二連水車」のみっつが約200m間隔で並んどって、このみっつの水車で農地ばうるおしとる面積は合計35haにもなるとゲナ。

 平成2年(1990)「堀川用水」といっしょに国の史跡に指定されとる。

  菱野三連水車
   九重(ひさしげ)二連水車
  三島二連水車

 そしてこの「山田堰」や水車の技術は、アフガニスタンで広大な砂漠ば農地に作り替えよんなる中村 哲さんとペシャワール会による「緑の大地計画」のモデルにもなっとると。

 
中村 哲(なかむら てつ)さんは、駅長が出た福岡県立福岡高等学校の10年後輩で、お医師さん。
 昭和59年(1984)、パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。以来、20年以上にわたってハンセン病ば中心とする医療活動に従事しとんなった。
 登山と昆虫採集が趣味で、1978年には7000m峰ティリチミール登山隊に帯同医師として参加しなった。

 アフガニスタンから大量の難民が発生しとる大きな原因は旱魃で食うもんがなかこと。

 ユニセフによると、アフガニスタンの子ども6人に1人が5歳以下で死亡し、そのほとんどが慢性的な下痢が原因で命ば落としとるとゲナ。

 これはどうしてかていうと、水源が確保できないために上下水の区別ができず、不衛生な水ば飲んどるけんタイ。





 
紫陽花が咲き、さつきがまだ残っとる川岸は、玉石の護岸でなかなかの風情がある。

 ペシャワール会ではアフガニスタン北西辺境州の飲料水と、農業用水の問題ば改善するために、地元に伝わる昔ながらの工法ば用いて井戸ば作ったり、また、2003年3月には「山田堰」と「堀川用水」ば参考にして、灌漑用水確保15ヵ年計画ば始め、全長20kmの大規模な用水路建設ば開始した。2007年3月15日には第一期の13kmば完成させた。

 
これまでに砂漠約1万6千ヘクタールの農地化に成功。農地と働き口が増えたことで隣国パキスタンなどから約 30万人の難民が帰ってきた。

 ペシャワール会ではコンクリートや重機のなか現地で、山田堰のような伝統的な工法ばマネさせて貰うたとがよかったて、古人の技術に感謝しとんなる。それでその後の農業も順調に育っとるゲナ。

 こうしてパキスタン・アフガニスタン地域で長く活動してきたとやが、パキスタン国内では政府の圧力で活動ができにくうなったいうて、今後はアフガニスタンに現地拠点ぱ移して続けるていう。

 
2003年にはマグサイサイ賞受賞。
 マグサイサイ賞とはなんかいうたら、フィリピン大統領ラモン・マグサイサイば記念して創設された賞で、毎年アジア地域で社会貢献などに傑出した功績ば残した個人や団体に対し贈られもんで「アジアのノーベル賞」とも呼ばれとる。

 2004年には、皇居に招かれ今上天皇・皇后にアフガニスタンの現況報告ばしなった。真の平和構築ば目指す活動は国際的に高く評価されとるとタイ。

 今年3月には、アフガニスタンのナシール・アフマド・ドゥラニ農村復興開発大臣が来て「山田堰」ば視察しなった。

 これは「山田堰」がクサ、「ペシャワール会」がアフガン東部に建設した取水口のモデルとなった堰やったけんタイ。

 ドゥラニ大臣は、水の流れに逆らわず斜めに石を敷き詰めた山田堰と堀川用水の、安定した取水に感心しとんなったゲナ。

 11ヘクタールが恩恵ば受けとる。

最後に中村さんの著書にあった文章ば紹介しときます

作業地の上空を盛んに米軍のヘリコプターが過ぎてゆく。
彼らは殺すために空を飛び、我々は生きるために地面を掘る。
彼らはいかめしい重装備、我々は埃だらけのシャツ一枚だ。
彼らに分からぬ幸せと喜びが、地上にはある。
乾いた大地で水を得て、狂喜する者の気持ちを我々は知っている。
水辺で遊ぶ子供たちの笑顔に、はちきれるような生命の躍動を読み取れるのは、我々の特権だ。そして、これらが平和の基礎である。

   おまけ三連水車の里あさくらモニュメント水車

 国道386号線ぞいに「三連水車の里あさくら」がある。道の駅かと思うたらそうじゃなくて株式会社。農産物の直売で付近の農家600人が新線な野菜ば持ち込んでくるゲナ。

 でけてもう8年になるけど、これまでにきたお客さんの数が450万人ば突破したいうケン、たいしたもんタイ。年間にすれば55万人ば集めとることになる。2013年には「直売所甲子園」ていうコンテストで決勝までいったこともあるゲナ。

 直売所の裏手に芝生の公園が「堀川用水」まで広がっとって、ここに三連水車そっくりに作った鉄製のモニュメントがあって、これは観光用に年中回っとる。
 大人も子どもも喜ぶ憩いの場として、集客にも役立っとる。
 

 水車は5年に一度パーツ総てば取り替える。2015年が交換の年で慣れた水車大工さんが手際よう取り替え、6月17日から回り出した。10月の中旬までは休みなしに働く。

 今の堀川用水は九州農政局によって昭和56年(1981)から15年の歳月と10億円ばかけ、平成7年に完成したもの。
 全長4,600mの「玉石護岸」が素晴らしか。

 水車の作りは菱野の三連とまったくいっしょ。三連が二連になっただけ。
 これで10.5ヘクタールの水田ばうるおしとる。
 
 1ヘクタールは1町・10反・3,000坪やケン、10ヘクタールいうたら、10町・100反・3万坪の土地ば活かしとるいうことになる。

 場所・福岡県朝倉市菱野。大分自動車道の朝倉ICば下りて、県道80号線ば南へ左折、1Km弱の最初の信号ばまた左折、東向いて「堀川用水」沿いに約2kmで三連水車群に到着。
 インター下りて逆に右折。200m走って「比良松」の信号で右折し国道386号線ば東へ、高速の下くぐって2kmで「三連水車の里あさくら」の前に到着する。どっちでも好きなほうを・・・・取材日 2015.6.15

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