滝の入口には、石造の沈堕発電所跡がある。沈堕の滝の落差ば利用して、ここに水力発電所が造られたとは明治42(1909)年のことやった。
日本の水力発電所でいちばん始めにでけたとは、明治41年(1908)2月に運用開始した中部電力の盛岡発電所(愛知県) やった。九州ではどこがいちばん早かったかていうと、同じ明治41年10月に運用開始した大田発電所やった。これは薩摩島津家の自家用発電所で鉱山に電気ば送りよったらしか。伊集院にあって、いまも跡が残っとる。
その次が、同じ年、同じ月の佐賀広滝第一発電所タイ。これは別項で紹介済み。明治42年(1909)の曽木発電所(鹿児島県・これも紹介済み)ばはさんで、九州4番目が、ここ沈堕発電所やった。明治43(1910)に発電ば開始しとる。
ここの電力はなんに使うたかていうと、大分〜別府間に電車ば走らせるために使うた。そやケン、発電所ば作ったとも豊後電気鉄道株式会社やった。この豊後電気鉄道は大正5年に九電と合併したとバッテン、結局、鉄道部門は切り離され別府大分電鉄株式会社に移された。この別府大分電鉄がいまの大分交通の前身ていう訳タイ。
ところが下流に新らしか沈堕発電所が出来ると建物はクサ、この石造りの壁面だけば残して、あっさり解体されてしもうた。
電車ば走らせよった明治の発電所も、いまは物言わんコンクリートの壁だけが残っとる。
廃墟となっても水路とか水槽部分、排水口など、施設の位置が分かりやすうそのままで残っとる。
壁もしっかりしとって、天井ば乗せたら今でも使えそうな感じタイ。
新しか沈堕発電所は大正12年(1923)9月に完成して、今でも8,300キロワットの電力ば供給しよるとゲナ。
九電はこんとき、取水用の堰ばかさ上げして滝の上にダムばつくった。そのため昔からの滝の景観ばひっちゃんがっちゃんに壊されてしもうた。
あっちこっちで自然環境破壊が取りあげられるごとなって、九電も景観にも配慮せないかんていうとに気がついたとか、平成8年(1996)からダムの堰堤補強工事ばして「景色ば元通りにしましたバイ」ていいよる。
いくら公共の電力会社いうたっちゃ、もともとあった自然の景観ば守るとはあったり前のこっタイ。
それくらいこの滝は昔から有名で、室町時代の文明8年(1476)には、かの有名な雪舟が訪ねてきて「鎮田瀑図」ば描いとんなるとゲナ。
雪舟は文明元年(1469)に明から帰国したとバッテン、京都は応仁の乱のまっ最中やったもんやケン、しばらく山口の大内氏のとこに居候しとったらしか。
その後しばらくは豊後大分(大分市)に画廊ば構えて滞在しとったていうケン、こんときに沈堕の滝ば描きに来とんなるとやろう。文明8年(1476)のことていうケン、もう500年も前のこっタイ。
この「鎮田瀑図」の左が雄滝で、右の滝が雌滝タイ。力強いタッチで自然に描かれとって、山水画の真髄を結集した作品といわれとる。原画は京都の美術館にあるとゲナ。
駅長がいっちょ分からんことがある。
「田ば鎮めるケン、鎮田の滝」ていいよった昔の名はよう納得できるバッテン、それが何で「堕ちぶれて沈んだ滝」になったとか。知っとったら教えて。
上・大野川の右岸から近づいて見たオチンダ。
右上・雪舟が描いた絵のレブリカ看板。
右下・オチンダのアップ。滝の上部に取水のためのダムの堰堤が見えとる。
沈堕の滝の伝説
むかし、佐賀関の早吸日女神社(はやすいひめじんじゃ)の神主夫婦に子供がなく、いっつも「子供を授けてつかあさい」て神に願い続けよんなった。
ある日、神主が用事で大野郡に出かけてきて、沈堕の滝の近くば通りかかったらクサ、子供たちが蛇ば捕えて殺そうてしよった。かわいそうに思うた神主は「そげなことしやんな」いうて蛇ば逃がさせてやった。
そしたらその年の暮れ、どうしたことか夫婦にかわいか女の子が生まれた。神主夫婦は大喜びして、そらうもう大事に育てた。娘は成長するにつれてますます可愛ゆうなったとバッテン、ある晩、一緒に風呂に入っとった母親が、娘の背中にクサ、きれいに三枚並んだウロコば見つけた。しかもそのウロコは怪しゅう光っとる。
「こらなんな、娘の身にウロコやらついとったら、いかんやろうもん」て、一枚ずつ剥がしていったら、それはきれいにとれた。
やれやれ一安心て思うて、何日かたってみたら、また三枚のウロコが並んどる。剥いでも剥いでも新しかウロコができる。ついには親子ともあきらめて、そのままにしとった。
数年たって、娘も19才。番茶も出花。いまや花の盛りになった。
そしてある嵐の夜のこと、神主の家に女の六部が訪ねてきて。「嵐に逢うて困っとります。どうか一夜の宿を‥…」て頼んむもんやケン、泊めてやった。
翌朝、嵐はおさまったとい、女六部は起きてこん。部屋ばのぞくいたら、もぬけの殻。
「失礼バイ。あいさつもせんで」て腹かきよったら、娘がびっくりするようなことばいい出した。
「私は娘としてこの家に生まれましたバッテン、実は沈堕の滝のそばで助けられた蛇の化身です。昨夜の女六部は滝から来た使いの者で、今から滝に帰ってこいていうことでした。別れるとは悲しかバッテン、これには逆らええません」
神主夫婦は唖然としながらも、娘の身体にウロコがあること、さらに神主が蛇ば助けたことなど、納得することばっかりで、どうもでたらめじゃあなからしかて納得した。
別れば覚悟した両親は、娘に晴着ば着せ、沈堕の滝まで送って行った。娘は「お世話になりました。御恩は忘れまっせん」いうて、滝壷に入っていった。
夫婦が泣きながら娘の沈んだあとの波紋ば見つめとったら、突然、水面が逆巻いて大蛇がさっと頭ば出してきた。「お父さん。すみませんが脇差の刀ば貸してつかあさい。滝壷に入ってみたら、すでに滝には他所から入り込んだ主がおりました。それば退治せな私がこの滝で竜になることができまっせん」ていう。
神主の脇差しば借りて、大蛇は再び水に潜っていった。やがて、水底から赤い血の水が噴き上がり、脇差ば口にくわえたみごとな竜が水面に姿ば現したとおもうたら、神主夫婦に深く頭ば下げて水中に消えていった。
それから毎年、六月の大祓の日になると、竜になった娘はクサ、大野川ば佐賀関まで下って、早吸日女社の宮の池に姿ば見せたていう。その日は雨が降らんでも大野川の水は濁り、佐賀関の子供たちは橋から川ばのぞき込んで「竜が渡って行く」云うて見送る習慣のあったゲナ。