このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

筑豊・京築ば結ぶ初代トンネルは幽霊が出る      「福岡県」の目次へ
 国指定 登録有形文化財

 新日本書紀によれば、三韓征伐(こげな言葉はほんなことは使うたらいかんとゲナ)の時、九州に来た仲哀天皇が、この峠ば通んなったケン、ここば仲哀峠(ちゅうあいとうげ)ていうと。

 奈良時代には、北側の障子ヶ岳(427.3m)、と南側の大坂山(573.0m)の間に、太宰府官道が通っとって、標高330mの峠道にはみんな苦労しよったらしか。

 明治になって、石炭・石灰岩の輸送需要が高まったもんやケン、明治17年(1884)、中腹にトンネルば掘ることになった。

 両方から掘りかかって、明治22年に貫通、明治23年(1890)10月18日に開通した。

 工事費がいくらやったかていうと23,880円3銭3厘やったゲナ。

 仲哀峠は心霊スポットとして有名で、県内では犬鳴峠に次いで幽霊が出る。特に旧道トンネルにはその話が多か。

 夜中に4人で車に乗り、旧トンネルに向かうた男達が、車でトンネルの中に入り、半分位まで来たらエンジンが止まってライトが消えた。

 車が小刻みに揺れはじめた。だんだん揺れが大きくなったケン、逃げようとして車のエンジンばかけ、ライトばつけたら、目の前の壁にぶっつかりそうになった。揺さぶられて車の方向が90度変わっとったゲナ。

 トンネル走りよって、親子連れの幽霊が宙に浮いとったとば見た人もある。

 タクシーが客ば乗せて、トンネルに入ったら、女の泣き声がした。振り返って座席ば見たらクサ、だぁーれも乗っとらんで、シートがじゅっくりぬれとった話しもある。。

 それもあってか、いまは車での通行はでけん。物好きにも駅長は通行止めのガードレールの間から、薄暗いトンネルに入っていった。

 維持管理はされとらんもんやケン、途中落盤があったりして、岩が道ばふさいどる。

 香春町側は、西日が当たって明るかったバッテン、みやこ町側は影で湿気が多くて陰気くさか。
 ポータルの石額は「道隧哀仲」と右書きになっとった。当時はこれが当たり前やろう。

 トンネル内ば往復して出てきたら(期待した幽霊は出てこんやった)、バイクで九州ツアーばしよるていうお兄ちゃんが待っとった。

 心霊スポットの情報ば知っとって訪ねてきたらしか。
「向こうまで行ってこんね、バッテン、出るかもしれんバイ」ておどしたら、考え込んどんなった。

 大正14(1925)軍の要望で拡張工事ば始め、昭和4年(1929)にいまの形になった。

 昭和42年(1967)になったら、2代目の新仲哀トンネル(1220m)が完成したバッテン、新仲哀トンネルも1日約20,000台もの車が通り、大型車も多なったもんやケン、自転車・歩行者が危のうなった。

 これに対応するには3代目が要るいうことになって、2代目の南隣に全長1365m、幅11m(道路幅員14m)、片側1車線で歩道のある「新仲哀トンネル」が建設されたワケ。

 この工事は1990年に開始され、2005年にトンネルが貫通した。そして今年3月5日、仲哀峠に3代目の「新仲哀トンネル」がでけた。これでやっと、歩行者や自転車も安全に通行できるようになった。
 2代目から数えて40年後のことやった。

 いまはもう、3代目の新仲哀トンネルしか通られんケン、役目の終わった古かトンネルは、ふたつとも遊んどる。なぁーも使わんたぁ勿体なかケン、酒の貯蔵庫とか、キノコの栽培とかチエば絞ればよかとに、国交省は鷹揚なもんタイ。

 初代の仲哀トンネルは、長さが432m、高さが5.1m、巾が6.1m。香春側の半分が掘ったまま岩がむきだしで、みやこ町側の半分はコンクリート仕上げになっとる。

 ポータル(入口)の壁は赤煉瓦のフランス積みで、端の縁取りには花崗岩の切石が使うてある。
 香春町側の入口右手は、自然の岩が利用されとって、蛇紋岩がかっこよか。

みやこ町側の旧道は、七曲峠ても呼ばれ、むかしは仲哀公園が桜の名所やった。

入口の上に掲げられた石額の文字は右書き

初代の仲哀トンネル。車止めがしてある
みやこ町側の入口。午後は陰気くさい

2代目仲哀トンネルも3代目がでけてお役ご免
香春町側の入口から半分ぐらいまでは、素掘りのため自然の岩がむき出しで不気味    みやこ町側の入口

まだ仲哀トンネルが通れた時代、香春から行橋に出るため仲哀峠ば登った種田山頭火は、ぐねぐねと峠道ば上がってきて
 
「登りつめてトンネルの風」ていう句ばものにしとる。

 場所・香春町〜みやこ町。香春町の国道322号「唐子橋」信号から、国道201号を行橋方向へ2.5kmで新仲哀トンネル。その直前からら右へ旧道をジグザクに登っていったら、旧仲哀隧道に突き当たる。      取材日 2007.09.06

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