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筑豊・京築ば結ぶ初代トンネルは幽霊が出る 「福岡県」の目次へ | |
国指定 登録有形文化財 | |
新日本書紀によれば、三韓征伐(こげな言葉はほんなことは使うたらいかんとゲナ)の時、九州に来た仲哀天皇が、この峠ば通んなったケン、ここば仲哀峠(ちゅうあいとうげ)ていうと。 奈良時代には、北側の障子ヶ岳(427.3m)、と南側の大坂山(573.0m)の間に、太宰府官道が通っとって、標高330mの峠道にはみんな苦労しよったらしか。 | |
明治になって、石炭・石灰岩の輸送需要が高まったもんやケン、明治17年(1884)、中腹にトンネルば掘ることになった。 仲哀峠は心霊スポットとして有名で、県内では犬鳴峠に次いで幽霊が出る。特に旧道トンネルにはその話が多か。 夜中に4人で車に乗り、旧トンネルに向かうた男達が、車でトンネルの中に入り、半分位まで来たらエンジンが止まってライトが消えた。 トンネル走りよって、親子連れの幽霊が宙に浮いとったとば見た人もある。 タクシーが客ば乗せて、トンネルに入ったら、女の泣き声がした。振り返って座席ば見たらクサ、だぁーれも乗っとらんで、シートがじゅっくりぬれとった話しもある。。 それもあってか、いまは車での通行はでけん。物好きにも駅長は通行止めのガードレールの間から、薄暗いトンネルに入っていった。 トンネル内ば往復して出てきたら(期待した幽霊は出てこんやった)、バイクで九州ツアーばしよるていうお兄ちゃんが待っとった。 大正14(1925)軍の要望で拡張工事ば始め、昭和4年(1929)にいまの形になった。 昭和42年(1967)になったら、2代目の新仲哀トンネル(1220m)が完成したバッテン、新仲哀トンネルも1日約20,000台もの車が通り、大型車も多なったもんやケン、自転車・歩行者が危のうなった。 これに対応するには3代目が要るいうことになって、2代目の南隣に全長1365m、幅11m(道路幅員14m)、片側1車線で歩道のある「新仲哀トンネル」が建設されたワケ。 いまはもう、3代目の新仲哀トンネルしか通られんケン、役目の終わった古かトンネルは、ふたつとも遊んどる。なぁーも使わんたぁ勿体なかケン、酒の貯蔵庫とか、キノコの栽培とかチエば絞ればよかとに、国交省は鷹揚なもんタイ。 みやこ町側の旧道は、七曲峠ても呼ばれ、むかしは仲哀公園が桜の名所やった。 入口の上に掲げられた石額の文字は右書き 初代の仲哀トンネル。車止めがしてある みやこ町側の入口。午後は陰気くさい 2代目仲哀トンネルも3代目がでけてお役ご免 香春町側の入口から半分ぐらいまでは、素掘りのため自然の岩がむき出しで不気味 みやこ町側の入口 まだ仲哀トンネルが通れた時代、香春から行橋に出るため仲哀峠ば登った種田山頭火は、ぐねぐねと峠道ば上がってきて | |
場所・香春町〜みやこ町。香春町の国道322号「唐子橋」信号から、国道201号を行橋方向へ2.5kmで新仲哀トンネル。その直前からら右へ旧道をジグザクに登っていったら、旧仲哀隧道に突き当たる。 取材日 2007.09.06 | |
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