諏訪神社(すわじんじゃ)は佐賀県唐津市浜玉町浜崎にある神社。
平安時代直前の延暦3年(784年)、宣化天皇の時代、大伴狭手彦(おおとものさでひこ)の新羅征伐が、うまくいくごと祈願して創建された。御祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)・諏訪前命(すわのまえみこと)。
建御名方神いうたら大国主命の子で、「古事記」の国造りにでてくる神様。諏訪前命については、このあと残されとる言い伝えば書く予定。
長崎の諏訪神社には名前が一緒やケン、ここの諏訪神社ば勧請したとやなかかていう説がある。
諏訪前命に関する言い伝えは、今から1200年以上も前、百済から誓来(せいらい)ていう鷹使いが、大和朝廷に鷹ば献上するために渡来した。
朝廷からは重臣・大矢田連(おおやだの むらじ)の娘やった諏訪姫(すわひめ)いうとが、この鷹ば受け取るために浜崎まで遣わされた。鷹ば受け取るためだけじゃのうて、鷹狩の技術ば学ぶとも目的やった。
誓来と諏訪姫の2人は、いっしょに鷹狩りばしよるうち、恋愛関係になってしもうたとバッテン、誓来は帰国せんならんごとなり、お別れに行われた鷹狩でなんと鷹がマムシに絞め殺されてしもうた。
これば嘆き諏訪姫が自害してしもうたもんやケン、、これば悼んだ地元のもんたちが、諏訪姫ばここに祀ることになった。境内の御神苑にある築山が諏訪姫の墓であると伝わる。
御神苑の中に幹の捻れた松の木がある。これはここに眠っとる諏訪姫に、鷹ば絞め殺したマムシが、のたうち回って謝罪ばしとるとゲナ。それで「謝罪の松」ていわれとる。
これらのことから、諏訪神社の砂にはマムシ除けのご利益があるていわれとる。
さらにここでは、マムシは、単にヘビのマムシのみば指すちゃなく、種々の病気やら害ばなすもの総ての意味て考えられとる。
また、誓来も結局は帰国がかなわず、この地で客死したていう。誓来としてここに祀られとる。誓来社の隣には、殺された鷹ば祀った鷹社いうともある。
「抱擁の樹」諏訪姫と誓来の愛が成就したとば表した根がひとつの樹。インド密教では「歓喜仏」いうて、商売繁盛・子宝などに大きなご利益があるとゲナ。
応仁の乱の頃に戦火で焼けてしまい、その後規模ば縮小して再建されたていう。
豊臣秀吉が文禄・慶長の役のため、名護屋城に向かう途中で戦勝祈願のために参拝したて伝えられとって、そのとき地元民が献上した餅菓子の「けえらん」は、現在でも周辺で土産物として売られとる。
鷹にまつわる神社やケン、また軍神である建御名方神ば祀っとることから、福岡ソフトバンクホークスの関係者が戦勝祈願ばしたこともある。
主な行事は諏訪神社春祭り(5月)で、マムシ除けの砂ば取りに、周辺の多くの農家からの参拝がある。
秋季例大祭(11月23日)は、浜崎くんちて呼ばれ、収穫ば感謝して獅子、稚児行列、神輿と神主ば載せた台車などが奉納される。
境内社には須賀神社(祇園社)がある。
須賀神社(すがじんじゃ)いうとは、牛頭天王・須佐之男命(すさのおのみこと)ば祭神とする祇園信仰の神社で日本全国にある。「すが」は「須我」「清」「酒賀」「素鵞」などとも表記される。
日本神話において、スサノオが八岐大蛇(やまたのおろち)ば退治してクシナダヒメば妻とした後、出雲国の須賀に住んで「吾此地に来て、我が御心すがすがし」と言ってそこに宮ば作ったことに由来するていう。
浜崎祇園山笠(7月海の日過ぎの土日)は境内社須賀神社の行事。浜崎の内町3地区(濱、東、西)が大漁、商売繁盛、五穀豊穣ば祈願して3台の山笠ば奉納する。
浜玉町(はまたまちょう)は佐賀県東松浦郡に属しとった町。昭和31年(1956)9月30日、浜崎町と玉島村が合併して誕生した町である。発足当初の町名は浜崎玉島町やったバッテン、昭和41年(1966)11月1日、浜玉町に改名された。
平成の大合併で、2005年1月1日に唐津市・東松浦郡厳木町・相知町・北波多村・肥前町・鎮西町・呼子町と共に合併し、「唐津市」になったもんやケン、浜玉町は消滅した。合併後の住所表記には浜玉町という名前が残っとるけど、読みが「はまたまちょう」から「はまたままち」に変更された。
佐賀県の北部にあり、東は福岡県二丈町に接しとる。
北部は玄海国定公園の松浦潟に面し、北部より東部にかけて筑紫山地の城山(じょうやま)(377m)、十坊山(とんぼやま・535m)、南東部は椿山(760m)、南西部は白山火山脈の鏡山(283m)などの山に囲まれ、美しい自然に恵まれとる。
河川は玉島川、横田川などが流れ、日本三大松原のひとつ「虹の松原」もある。
古くは末盧国の存在した地域で、谷口古墳や横田下古墳ばはじめ、無名の古墳も数多くある。
また、玉島川で神功皇后が鮎を釣って武運ば占うたていう伝説や、鏡山については松浦佐用姫(まつうらさよひめ)の伝説も残されとる。
中世には松浦党の一派の拠点があった。江戸時代は対馬藩の飛地である浜崎以外は唐津藩となっており、虹の松原一揆の首謀者はここの町内平原地区の庄屋やった。
上・諏訪神社の正面。
下・幹が捻れのたうちまわっとる「謝罪の松」
境内には夫婦岩いうとが奉斎されとる。近くの野田ていう部落にあった「女岩」が夜毎にすすり泣くていわれた。
当時の宮司と村人が相談の上、神社に前からあった「男岩」に嫁入りさせたところ、その後鳴き声は聞こえんごとなったていう。
今は「道祖神」として祀られ、「縁結び・夫婦円満・子授け」の神として信仰されるごとなった。
浜玉町