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唐の高僧・善導禅師の木像ば安置 「福岡県」の目次へ |
福岡県指定文化財 |
善導寺(ぜんどうじ)は、福岡県福岡市博多区にある浄土宗の寺院。山号は光明山。院号は悟真院。本尊は阿弥陀如来。 |
いまから800年もむかし、建暦元年(1211)のこと、 中国から博多さい向かう船に、ひとりの坊んさんが乗っとんなった。 善導寺の門ば入った所に細長い3メートルほどの石の柱(全長246cm、推定重量330kg、花崗岩製)が建っとる。 善導禅師渡来 この荒れ寺、もと法相宗の廃墟やったとバッテン、以後浄土宗の寺となり、聖光上人の百日説法が行われたりしたもんやケン、博多談義所ともいわれるごとなった。 善導寺の歴代は天皇および大内家、小早川家、黒田藩などから崇敬ば受けとつて、廃藩置県まで深いつながりがあったていう。現在の本堂や庫裡などは、黒田藩主の建築らしか。 福岡県指定文化財 木造善導大師立像 木造鎮西大師坐像 梵鐘附銘文巻子1巻 蒙古碇石 市指定文化財 |
もともとこの辺り、蓮池町いうとは、少し南にあった栄西ゆかりの聖福寺の蓮池があったケン、蓮池ていわれとった。 そして聖福寺の裏から善導寺の東側ば流れる石堂川は、中世末、御笠川の流ば人工的に変えたもんで、博多の東の要害として「松原の堀切」ていわれとった。 それまでは博多は箱崎松原と連続しとったらしか。 駅長が子供の頃は石堂川ていいよったとい、最近気がついたらまた御笠川に変わっとった。 ここにお寺が固まってあるとは、秀吉が博多町割ばした頃石堂辺りは、入江やった。 そして、本来御笠川の本流ていうとは、鐘紡の工場跡地の方にあった。 現在の博多駅付近から御供所小学校辺りまで湿地帯で、秀吉が町割をして家を建てても、雨が降るとすぐに浸ってしまうので、御笠川の流ればまっすぐにしてしまい、その西岸にお寺ば集めた。 また、代々福岡城の城主は元寇の仕返しば非常に恐れとった。それで藤崎あたりから、西公園、今川、長浜、昭和通り、石堂大橋辺りまでの浜側、それに御笠川の西岸はお寺がずっと並んどる。 結局、お寺いうとは広くて、大勢寝起きができるだけでなく、お寺ば創ることによって墓地ができるわけ。つまり、いざという時にには墓石ば積み上げ石垣ば造って、元寇の襲来から福岡城ば守るために、防衛線ばお寺で固めとったていう訳。 ←本堂の裏に4階建てのエレベーター、バリアフリーのモダンな納骨堂がでけた。 |
場所・福岡県福岡市博多区中呉服町6。天神から東へ明治通りば約1.4km。「呉服町」信号の二つ先の信号の左手に山門がある。 取材日 2009.5.30〜2010.12.9 |
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