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キリシタン3万7千人が皆殺し 「長崎県」の目次へ |
世界遺産登録が決まったキリスト教遺跡 |
原城(はらじょう)は、長崎県南島原市南有馬町乙にあった日本の城。有明海の岬ば利用したこの城は、明応5年(1496)に築かれとって、キリシタン大名有馬晴信の頃は「日暮し城」ていわれるほど美しか城やった。 島原半島の南部に位置し、明応5年(1496) 日野江城の支城として有馬貴純によって築かれた。 昭和13年(1938)、国の史跡に指定されたときの発掘調査で、惨殺された一揆軍の遺骨や鉛の弾丸、クルスなどが出土しとる。 |
島原の乱ちゃなんかいな? さらに幕府の命令で、過酷なキリシタン弾圧ばしたもんやケン、「もう我慢でけん」いうて、キリシタンと農民達が一揆ば引き起こした。 一揆軍の3ヶ月に及ぶ籠城には兵站の補給がなく、弾薬・兵糧が尽き果ててきた。 |
原城のいくさ配置図 |
場所・長崎県南島原市南有馬町乙。九州自動車道ば「南関」で下りる。一般道ば20kmで長州港。有明フェリーで多比良港まで45分。国道251号線へ左折して10kmで島原市ば通過20kmで南有馬町に着く。 取材日 2008.02.20 |
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