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凛として聳える 鉄川与助作 白亜の教会 「長崎県」の目次へ | |
紐差のカトリック再布教は、明治2年(1869)のジラル神父に始まって、6年の解禁後にペルー神父が着任しなったことで本格化する。 | |
建てたとは長崎県内に多くの教会ば建設した鉄川与助。与助が建てた鉄筋コンクリート造りの教会としては、熊本の手取教会に次いで2番目やったゲナ。 上から・紐差教会の裏手にある十字架山。十字架山の回りに14基の石碑が並んどると。そのひとつづつに「十字架の道行き」が刻まれとった。 余談バッテン、ラゲ神父いう人はクサ、旧浦上天主堂の設計もしとんなるし、むかし大名町にあった教会「勝利の聖母」聖堂の設計もげなケン、たいしたもんバイ。余談の余談バッテン、この「勝利の聖母」聖堂は、いま久留米の聖マリア病院構内に「雪の聖母」聖堂として移築復原されとるケン、見ることがでける。 教会の横に「十字架山」いう標識があって、山の方ば向いとったもんやケン、はじめは遠くの山が十字架山ていうとかと思うたら、教会の裏に「十字架の道行」ば刻んだ石碑群があって、そこば十字架山ていうとやった。 | |
場所・平戸市紐差町。平戸大橋を渡って約1.5kmの「岩の上」信号で左折。県道383号線を15km南下すると、右手の丘の上に白亜の教会が見えてくる。坂を登れば教会の下に駐車場。拝観自由。内部も撮影可。 取材日 2008.04.11 | |
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