このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
日本で初めてのダム式水道施設 「長崎県」の目次へ |
国の重要文化財 |
真ん中の石段が特徴的な「本河内高部ダム」の堰堤。 |
築かれた高部ダムは、土でできた「アースダム」。水の浸透ば防ぐため、つぶの大きさが異なる複数の土が使われた。ブルトーザーやらクレーンなんかなか時代やケン、建設作業はすべて人力で行われた。 特徴は堤防の中央部にある階段と、土堤のトンネルの入り口の意匠。いずれも石造りで、伝統的な石工の技術が残っとった頃にしかできん造り。新しか時代ば創るぞ、ていう明治期の気迫が見える。 「本河内(ほんごうち)ダム」の通称で知られる本河内水源地水道施設は、長崎市中島川の上流にある日本初のダム式水道で、明治中期の建築技術の水準ば示しとることで高く評価され、国の重要文化財に指定された。 本河内水源地水道施設は高部(こうぶ)堰堤(えんてい)「高部ダム」と、低部(ていぶ)堰堤「低部ダム」の、上下二つの堤防と、その配水施設などからなる。 中央部に階段があるとが特徴の「高部ダム」がでけたとは明治24年(1891)。長崎市史によると、外国人居留地があっても水道のなかった長崎では当時、コレラやら赤痢など海外から入ってきた伝染病が、井戸水などば通して流行。上下水道の建設が急務やった。 県が招き、ダム建設の指揮ばとったとは、東大工学部の助教授やった吉村長策(ちょうさく)。弱冠25歳で抜擢(ばってき)され、市内の下水道整備にも携わった。 本河内高部ダムは既設ダムの上流側にコンクリートダムば新設し、貯水容量の確保と既設ダムの保全ばし、低部ダムは、既設ダムの上流面にコンクリートば打ち増しして補強ばするとともに、日本初の「竪坑型トンネル式洪水吐き」ば新設することにより、洪水調節機能の追加と既設ダムの保全ばした。 ↑ 平成17年(2005)に完成した改築工事により、高部ダムはリッパなもんになった。 ダムていうとなじみが薄かバッテン、本河内ダムは「市民が建設したダム」で高部ダムの建設費は30万円。これは当時の長崎市の年間予算の7,5倍やった。反対の声もあったバッテン、地元財界の支援などでまかのうたていう。「長崎の水道は、市民の財産」いうとが長崎人の自慢やった。 低部ダムの堤の下に立派な扁額が上がっとる。誰が書いたとか? 低部ダムの堰堤 高部ダムの堰堤 |
場所・長崎県長崎市本河内3丁目。 太宰府ICから九州自動車道・長崎自動車道ば終点の長崎ICまで。136km。1時間半。ETC3,540円。ゲートば出たらそままま真っ直ぐ繋がっとる「ながさき出島道路」ば終点まで走る。3.4kmで100円。終点の「市民病院前」信号ば右折し市電と並行して約500mで「西浜町」信号から左折。「中央橋」信号直進して「県庁前」信号ば右折。電車と一緒に1.2kmの諏訪神社前「馬町」信号で右カーブする。800mで「蛍茶屋」 電車はここが終点バッテン、真っ直ぐ通り過ぎる。 国道34号線ば500mで左手に本河内低部ダムがある。 |
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