このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 撃たずの砲台            「長崎県」の目次へ
 戦争遺産

 壱岐の観光では、誰もが行く「猿岩」の、駐車場そばのお店の横から、5分とかからず歩いていけるとが、この黒崎砲台跡

 いまは、解体されてしもうて、コンクリの大きな穴ばっかししか残っとらん。

 以前は砲台跡の下の入り口から入って行かれよったとバッテン、福岡西方沖地震のあと、危なかケン、いうて下からは入られんごとしてしもうとんなる。そやケン、上から覗くしかなか。

 もっとも、わるそうの駅長のこっちゃケン、こそーっと柵乗り越えて下から入っていってクサ、下から撮ったとがこの写真タイ。

 この砲台が作られたとは、昭和3年からで、なんと8年もの歳月と多額の金ばかけて竣工した。
 何のために作ったとか ?





 それはねぇ、対馬海峡ば制圧するためタイ。
 設置された砲台は、戦艦「土佐」に搭載されとつた主砲やったゲナ。
 なし戦艦の主砲ば、据え付けたとか ?  それにはね、こげな理由のあったとタイ。

 明治維新以降、富国強兵いうて海軍増強に努めるジャパン、ほかの主要国も負けん気だして軍備増強ば進めよったとバッテン、軍備に金のかかり過ぎて、各国とも台所は火の車やった。

 そこで大正11年(1922)のワシントン軍縮会議でクサ「もうたいがいにしときまっしょうや」いうことになって、米、英、日が主力艦の所有率ば「5:5:3」てすることで調整が成立。それに合わせてオーバーしとる主力艦ば廃棄することいなったと。

 ちょうどこの頃、日本で建造中やったとが戦艦「土佐」タイ。当時世界最大の戦艦やった「長門型」ば、さらに大きゅうした最新鋭戦艦やったとバッテン、会議で「手一本」ば入れてきた以上、キマリはキマリ。軍縮の取り決めば守って「土佐」は実験標的として沈められてしもうた。

 本来なら主砲も解体せないかんとやろうバッテン、そこはそこ、主砲だけはなんとかゴマクラカシて隠しとったらしか。そして、この砲台に据え付けたちゅう訳よ。

 黒崎砲台は昭和8年に完成。ミサイルやなかけん、当たるか当たらんかはともかく、この大砲、射程距離が35kmもあったげなケン、近くば通る船には脅威やったに違いなか。



 砲身の全長 18m 
 砲身の重さ 150t 
 砲の口径 40cm
 弾丸の直径 40cm
 弾丸の重量 1000kg

 ただし実際には一回も使わんまま、ということは弾は一発も撃たんまま、太平洋戦争に負けて、昭和25年には、ほんなことい解体されてしもうた。

 戦艦「土佐」の主砲として生まれながら、なんとも不運な砲門やった。

 とんでもない飛距離から東洋一の砲台て呼ばれとったバッテン、壱岐では「いかず後家」じゃなかバッテン、
「撃たずの大砲」て、のちのちまでひやかされるハメになつた。

 砲台は普段、地下に隠し、必要時に大きな穴ばエレベーターのように移動して、地表へ出す構造やったようで、まさに地下要塞タイ。

 戦時中は、住民でさえこの付近への立ち入りは禁止されとったゲナ。

 馬鹿馬鹿しか戦争の遺産であることには、間違いなか。

 場所・厳原から壱岐の中心ば北上しとる382号線ば2kmも走ると、柳田の交差点。ここば左折して北西へ約5kmで猿岩の駐車場に着く。ここからはもう目と鼻の先。                     取材日 2007.5.4.10

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