このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
なんでこげん田舎に、こげん立派な教会があるとぉ ? 「福岡県」の目次へ | |
福岡県・指定文化財 | |
江戸幕府が出した禁令で、日本国内のキリシタンはひどか弾圧と迫害ば受けた。 | |
教会の行事があっていない限り、中も拝観できる。9時〜5時。ただし、写真撮影は禁止されとる。 いつごろから、この地にキリシタン信仰が始まったとかは、教育委員会も皆目分からんらしかバッテン、太刀洗の南の久留米はクサ、藩主有馬氏の前にここば支配した毛利秀包の嫁さんが、キリシタン大名・大友宗麟の娘やったケン、もともとこのあたりは支配層がキリシタンに寛容やったとかも知れん。 ふたつの塔ば持つロマネスク風な今の天主堂は、明治41年(1908)、5代目の本田 保神父によって計画され、ドイツ信者からの寄付と、地元信者の労力奉仕で、明治44年(1911)から大正2年(1913)にかけて作られた。 ふたつの尖塔ば持っとる建物は与助にとっても初めての設計やったらしか。 煉瓦造りの教会としては、貴重な存在で全国赤煉瓦造り建築物の番付で、西の横綱(東は東京駅)にランクされとるとタイ。2006年に福岡県の文化財に指定された。 | |
場所・大刀洗町。国道3号線、鳥栖ICの南に曾根崎という信号がある。福岡からやったら、これば左折して県道14号線ば、端間を通り越して、東へ東へと行く。大刀洗町に入って鵜木の信号ば越したら、右側に教会の尖塔が見えてくる。案内板から右折。 | |
待合室へ | 「福岡県」の目次へ |
ところがクサ、例外的に福岡の稲作地帯の真っ只中に、隠れキリシタン集落があった。それがここ、大刀洗町の今村タイ。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |