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芸術品バッテン、やっぱあ厳めしか 「鹿児島県」の目次へ | |
| 明治政府が作った初期の刑務所建築ば、建築学では「明治の五大監獄」ていう とゲナ。その5カ所とは千葉・奈良・金沢・長崎・鹿児島やった。 |
せめて正門だけでも残そうて、市民からの要望が強く、跡地に作った鹿児島アリーナの前庭噴水池の中に、この石門ばやっと残した。かつての記憶をとどめるためのメモリアル・ゲートていう訳タイ。 残されとる正門についていうと、ヨーロッパ中世の古城の城門のごたって、堂々としたもんバイ。 上・鹿児島アリーナの正面に鎮座しとる旧鹿児島刑務所の正門ば裏から(昔やったら刑務所の中から)見たところ。壁が表と違うてツルツルのノッペラボー。凹凸がなかとはよじ登って逃げられんごと考えられとうとやろうか。 左手の建物はメインアリーナ。 いま跡地にある鹿児島アリーナ(かごしまアリーナ)いうとは、鹿児島市が管理しとるスポーツ施設で、周辺には多目的広場や公園がある。竣工は平成4年(1992)10月。 古代円形劇場ばイメージしたていう5,700席のメインアリーナは、国際大会、全国大会など大規模のスポーツ大会ばすることもできるし、舞台音響、舞台照明、舞台機構、空調などもあるケン、コンサートやら講演会、展示会の会場としても利用できる多目的(ようするに欲張った)施設ゲナ。 ほかにサブアリーナ、武道場、弓道場、トレーニング室なども揃うとって、広か広か。たまがるごと広か。そらそやろう。刑務所の跡地ば全部使うとっちゃもん、土地はいくらてもあるタイ。 駅長が取材に行った日は、日赤の献血車が来とった。 左・石造りの正面。工夫されたデザインやが、刑務所と思うて見るケンか、やっぱあ厳めしか。 右・囚人が真ん中から堂々と出入りするはずはなかケン、脇の出入り口からやったろうバッテン、都合何人が罪ば背負い、手錠掛けられて出入りした門やろうか。 | |
場所・鹿児島市永吉町。照国通りば「照国神社前」信号で左折。国道3号線ば西へ600m走り「平田町」信号で右折。3号線ばそのまま2kmで「中草牟田」信号。左折して甲突川の橋ば渡って突き当たり。 取材日 2008.07.09 | |
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