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芸術品バッテン、やっぱあ厳めしか        「鹿児島県」の目次へ




 これらのうち、いまでもほぼ当時のままで現役の刑務所が奈良。

 房舎(つまり牢屋)は建て 替えられたバッテン、門やら一部の建物が残っとるとが千葉。

 金沢は解体されて建物の一部が、愛知県の明治村に移築された。

 長崎刑務所も、平成4年(1992)新しか場所に移転して廃墟になっとったとバッテン、2007年に門と外壁の一部だけ残し壊してしもうた。

 
鹿児島はどうかていうと、刑務所自体は昭和61年(1986)吉松に移転し、旧刑務所は「明治期最大の石造り建築やケン、保存しょうや」ていう声もあがったとバッテン、全面解体された。


右・さくらの飾りの入った正面の大鉄扉は貫禄充分。

 明治政府が作った初期の刑務所建築ば、建築学では「明治の五大監獄」ていう
とゲナ。その5カ所とは千葉・奈良・金沢・長崎・鹿児島やった。

 せめて正門だけでも残そうて、市民からの要望が強く、跡地に作った鹿児島アリーナの前庭噴水池の中に、この石門ばやっと残した。かつての記憶をとどめるためのメモリアル・ゲートていう訳タイ。

 ところで、この五大監獄の設計ば一手に引き受けなったとがクサ、ジャズピアニスト山下洋輔のじいさんで、当時司法省(現・法務省)の営繕課長やった鹿児島生まれの山下啓次郎さんタイ。

 欧米の監獄ば視察した彼の設計に対する考え方は、それまでの刑務所の暗かイメージば変えるために「できるだけ明るく」やったゲナ。

 五大監獄の中で鹿児島だけが石造りで、全体の配置は敷地の中心軸に対して左右対称。正門と本館が一直線に並び、そのうしろに五棟の房舎が扇型に展開しとったらしか。

 本館庁舎も正門と同じ二階建てで、切石積みのゴシック風の建築物やったゲナ。重要文化財の尚古集成館(磯庭園の隣)とともに、鹿児島の石造文化の伝統ば受け継ぐ貴重な建造物やった。竣工したとは明治41年(1908)

 いまでこそ住宅がびっしりバッテン、城山より西側の、繁華街から離れたこの土地は、草牟田て云いよったぐらいで、当時としては墓ぐらいしかなかったろうケン、刑務所にはもってこいの場所やったとやろう。
 牟田ていうとはクサ、じめじめした湿地帯のこと。田圃も作られん土地やケン、無田てもいう。

 入ったことはなかケン(当たり前タイ)、ようは分からんバッテン、房舎は監視施設が中央にあって、囚人の房が放射状に配置され、監視員は囚人ば一望できるけど、囚人からは監視員が見えんごとなっとったらしか。

 残されとる正門についていうと、ヨーロッパ中世の古城の城門のごたって、堂々としたもんバイ。
 中央上部のローズ・ウインドウ (バラ窓 )は教会かと思うほど優美やし、 中央部に桜の花をあしろうた鉄製門扉の華麗な文様は、刑務所とは思われん。まるで美術作品タイ。

 でけた頃は、甲突川の右岸に西洋の城のごたあ偉容ば見せとったに違いなか。こげな立派な門なら、いっぺんは入ってみたかつた。(バカこくな)

 孫のジャズピアニスト山下洋輔氏の自伝的小説によると、この石門のことば
「ドバラダ門」いいよったらしかバッテン、なし「ドバラダ」なのかは分からん。このことについて研究したか人は、インターネット・アマゾンの通販で山下洋輔の「ドバラダ門」ば買うて、この本ば読んでみんしゃい。
 アマゾンのURLはhttp://www.amazon.co.jpです。

上・鹿児島アリーナの正面に鎮座しとる旧鹿児島刑務所の正門ば裏から(昔やったら刑務所の中から)見たところ。壁が表と違うてツルツルのノッペラボー。凹凸がなかとはよじ登って逃げられんごと考えられとうとやろうか。
左手の建物はメインアリーナ。


 いま跡地にある鹿児島アリーナ(かごしまアリーナ)いうとは、鹿児島市が管理しとるスポーツ施設で、周辺には多目的広場や公園がある。竣工は平成4年(1992)10月。

 古代円形劇場ばイメージしたていう5,700席のメインアリーナは、国際大会、全国大会など大規模のスポーツ大会ばすることもできるし、舞台音響、舞台照明、舞台機構、空調などもあるケン、コンサートやら講演会、展示会の会場としても利用できる多目的(ようするに欲張った)施設ゲナ。

 ほかにサブアリーナ、武道場、弓道場、トレーニング室なども揃うとって、広か広か。たまがるごと広か。そらそやろう。刑務所の跡地ば全部使うとっちゃもん、土地はいくらてもあるタイ。

 駅長が取材に行った日は、日赤の献血車が来とった。

左・石造りの正面。工夫されたデザインやが、刑務所と思うて見るケンか、やっぱあ厳めしか。

下左・教会ならさしづめ「バラ窓」やろうバッテン、ステンドグラスていう訳にはいかん。

下右・監視塔の役目もあったとか ?  中世の騎士が出てきそうな城の雰囲気がある。

右・囚人が真ん中から堂々と出入りするはずはなかケン、脇の出入り口からやったろうバッテン、都合何人が罪ば背負い、手錠掛けられて出入りした門やろうか。

 場所・鹿児島市永吉町。照国通りば「照国神社前」信号で左折。国道3号線ば西へ600m走り「平田町」信号で右折。3号線ばそのまま2kmで「中草牟田」信号。左折して甲突川の橋ば渡って突き当たり。     取材日 2008.07.09

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