このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

800年以上も前にでけた浄土宗の大本山         「福岡県」の目次へ
国指定重要文化財

 善導寺(ぜんどうじ)は、福岡県久留米市善導寺町にある浄土宗大本山の寺院。山号は井上山。院号は光明院。本尊は阿弥陀如来。

 建長2年(1191)聖光上人(弁長)の開山、筑後の国司・草野永平の意向により創建されたていう。当初は光明寺ていいよったとバッテン、建保5年(1217)善導寺て改められ、浄土宗鎮西派の拠点となった。

 室町時代には兵火により焼失したけど、江戸時代初期に柳河藩主田中氏の帰依ば得て復興された。ところが筑後国が柳河藩と久留米藩に分割されたもんやケン、久留米藩になり、久留米藩主有馬氏の庇護ば受け、浄土宗の九州大本山として栄えた。現在も広大な境内に多くの江戸時代建立の堂宇が残っとる。

 善導寺の現在の敷地は約15000坪(東京ドーム1個分) 本堂、庫裏などの建物から正面境内だけでも約5300坪ある。

 実際行ってみて、境内ば歩いて見るとその広さ加減が分かる。

本堂 善導寺は、度々兵火の難に遭って焼失しとる。
 現在の本堂は天明6年(1786)の建立。入母屋造本瓦葺き。棟梁は豊後臼杵の山崎英十郎と伝えられとる。
 正面7間、側面8間(「間」は柱間の数を表す)の大規模な仏堂で、九州地方に残る木造仏堂としては最大級のもの。

大門 切妻造四脚門。慶安4年(1651年)の建立。

 聖光上人が初めてこの土地に来なった時、山林の中に6人の盗賊が巣くうとった。

 聖光上人が「そんなこっちゃいかん」いうて一生懸命に説得しなったもんやケン、盗賊たちは改心して弟子になった。

 善導寺の建立に際しては材木ば運んだり、いろいろ上人の手助けばしたていう。その6人の姿ば六地蔵として祀ったとゲナ。


           六地蔵

 平成28年(2016)以前から古文書には書かれとったもんの所在不明やった「立花ぎん千代」の墓が発見された。

 
立花ぎん千代(たちばな ぎんちよ) いうたら戦国時代の女性武将で、大友氏の有力家臣やった立花道雪の一人娘として筑後国山本郡(現・久留米市草野)の問本(といもと)城で生まれた。

 名前に含まれる「ぎん」の字は当用漢字にはない、門構えに「言」で“慎み 人の話ば聞く”ていう意味合いば含めて肥前の高僧、増吟(ぞうぎん)が名付けたていう。

 道雪には後継ぎの息子がおらんやったもんやケン、ぎん千代が7歳の時に立花城の城ば継いだ。

弥陀三尊
本尊は阿弥陀如来で、鎌倉時代の作。
像高90.3CMで上品下生印ば結ぶ。

 両脇侍は、向って右に観世音菩薩、左に勢至菩薩、いずれも座像。

 阿弥陀如来は極楽浄土の仏さまで、「南無阿弥陀仏」て念仏ば称えたら衆生ば救ってくれる。
釈迦堂
 比叡山延暦寺の中堂ばまねして昭和2年に再建された。戒壇院てもいわれとる。

 釈迦如来像は高さ5m
横2m、奥行き1.5m。
大楠(おおくす)
 
聖光上人の手植えていう大楠が2本。樹齢800年。
 天然記念物に指定されとる。
大木魚(おおもくぎょ)
 
慶応2年(1866・江戸時代末期)の作。本堂の外陣南東の端に置いてある。
三祖堂は安産祈願所。
 妊婦さんが三門から、三祖堂まで歩いてくるときに「最初に男性に会えば男の子が、女性に会えば女の子が生まれる」ていう話がある。
鐘楼(しょうろう)
 
鐘楼の梵鐘は寛文元年(1661)鋳造で、県内一の大きさを誇る。毎年12月31日には、4人1組で除夜の鐘ば突くことがでける。

        ぎん千代の墓
 聖光上人いうとは、応保2年(1162)、筑前香月(現在の北九州市八幡西区)に香月城々主の甥として誕生した。母は出産のため落命。

 幼少にして出家、やがて法然上人との出会いにより師事すること8年、その後九州に下って48ヶ寺ば創建したていう。
(博多の善光寺に出てくるとも同じ聖人やケン、参照して)

 聖光上人の呼び名のほかに、「鎮西(ちんぜい)上人」「弁長(べんちょう)上人」てもいわれとった。

 場所・福岡県久留米市善導寺町。博多駅からJR久大本線で久留米経由。久留米から4つめの善導寺駅で降りて、国道210号線の「善導寺駅前」信号ば横切ってまっすぐ500m歩けば左に入り口がある。車やったら太宰府ICから九州自動車道ば久留米ICで下りる。25km。16分。840円。国道210号線ば西へ約5kmで「善導寺駅前」信号ば左折。      取材日 2008.7.2

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