このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 平成5年補修ば受けた250年のMy石橋          「長崎県」の目次へ
 島原半島ジオパーク登録         

金浜集落の中にある「金浜眼鏡橋」。金浜川の河口やケン、すぐそこはもう橘湾。

 藩政時代の金浜川はしょっちゅう氾濫しよったらしか。そのたびに木橋は流され、土地のもんはその復旧に難儀しとったていう。

 それば見かねて前述の岡右衛門が、土地の人の難ば救おうと、当時としては最高の石橋技術者ば集め作り上げた。

 以来、250年この石橋は風雪に耐え、橋の傍のアコウの木とともに、時代の流れば見守り続けてきた。

 しかし、長い年月の間に石材は風化し、欄干や橋底が落ちるなどして、昔の面影が無かとこまで痛んでしもうた。

 もう生活道路としては使われとらんやったバッテン、藩政時代この道は「殿様道路」いうて重要な街道やった。

 町と市は「昔の人の遺徳ば大切にし、後世に残さないかん」いうことで、大改修踏み切った。

 「えらい、ようやった」て岡右衛門も喜んどろうや。

 長崎の小浜温泉からちょっと西に行ったとこにある「金浜眼鏡橋(かなはまめがねはし)」は弘化3年(1846)に土地の有力者やった岡右衛門が架けたアーチ型の石橋で、穏やかな橘湾へ流れこむ金浜川のほとりにかけられとる。

 平成5年に大改修され今の橋は全面的に新らしゅうなった。周辺の川も整備され、橋の下ば流れる川にはコイが放流され、川遊びもできるごとなった。夜間は橋の両面からライトアップまでしとる。橋は全長が14m、高さ3.6mの可愛かもん。

 「眼鏡橋」は英語でいうと、TWO-ARCHED BRIDGE(2つの半円の橋)
 ここんとはアーチがひとつやケン「片目橋」やろう。
 ←↓「金浜眼鏡橋」と橋ば見守ってきた「アコウ」の木。
アコウ(アコギ・アコミズキ・赤榕)は、クワ科の半常緑高木。

 樹高は約10 - 20m。樹皮はきめ細かい。幹は分岐が多く、枝や幹から多数の気根を垂らし、岩や露頭などに張り付く。新芽は成長につれ色が赤などに変化し美しい。葉は互生し、やや細長い楕円形でなめらかでつやはあまりなく、やや大ぶりで約10 - 15cm程である。

 5月頃、イチジクに似た形状の小型の隠頭花序を、幹や枝から直接出た短い柄に付ける(幹生花)。果実は熟すと食用になる。

 アコウの種子は鳥によって散布されるが、その種子がアカギやヤシなどの樹木の上に運ばれ発芽して着生し、成長すると親樹のほうば覆い尽くし、枯らしてしまうこともあるゲナ。

 そやケン、「絞め殺しの木」とも呼ばれとる。 日本では、紀伊半島及び山口県、四国南部、九州、南西諸島などの温暖な地方に自生する。

 主として低地に生育し、防風樹、防潮樹、街路樹として利用される。日本では国の天然記念物に指定されとる巨樹、古木も多か。
  信介岩

 むかしここには、同じような岩がふたつあり「両子岩(ふたごいわ)」と呼ばれとった。
 しかし、松の木が生えて大きかったほうの岩は、大正11年(1922)の島原地震(震源地・橘湾。想定震度;M6.9)やら海水の浸食などによって崩壊してしまい、今はこの奇岩だけが残っとる。

 残されたこの岩塔は、角度によっては元首相の岸信介さんによく似とるということで、地元の人は「信介岩」と呼んどる。

 岸信介さんいうたら第56・57代内閣総理大臣タイ。 生まれは明治29年(1896) 死になったとは昭和62年(1987)91才やった。

 出生地は現山口市。弟が第61・62・63代の佐藤栄作内閣総理大臣で孫が安倍晋三内閣総理大臣ていう総理大臣一家やった。

駅長 ! ! そっくりバイ。て声がかかりそう。

 場所・長崎県雲仙市 小浜町金浜 太宰府ICから九州自動車道・長崎自動車道で諫早まで、120km。1時間14分。ETCで2,250円。諫早IC出たら国道57号線ば島原の方へ17kmで「愛野」の信号ば右折。11kmで小浜温泉。そのまま3km走ると左「金浜」のバス停。スグ先の小さな橋から左ば見ると30mに眼鏡橋が見える。  取材日 2008.2.19

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