このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 ご本尊は旱魃ば救うた水引不動         「熊本県」の目次へ
 

 木原不動尊(きはらふどうそん)の通称で親しまれとるけど、正式には比叡山延暦寺の末寺で長寿寺(ちょうじゅじ)ていう天台宗の寺院。熊本県熊本市南区富合町木原にある。

 千葉の成田不動尊、東京の目黒不動尊と並ぶ日本三大不動尊のひとつ。毎年2月28日の大祭には、修験者が素足でおき火の上ば渡る「火渡り」や、煮えたぎった釜の熱湯の中に座る「湯立て」の荒行が行われ、数万人の参拝客でにぎわう。

 延暦(782〜806)年中、伝教大師最澄の開基と伝えられとる。本尊は最澄が一刀三礼して刻んだて伝えられる不動明王立像。像の胎内には最澄真筆の法華経寿量品が奉蔵されているていう。
保元のころ、九州に下向し肥後に入った鎮西八郎為朝こと源為朝が木原山の要害に城ば築いたとき、鬼門の方角に当るこの寺の不動尊ば深く信仰したていう。
 
雁回山から熊本市方面。左奥は金峰山

 文治年間には、源頼朝が堂宇ば再興、寺領水田18町歩、寺床8畝歩ば寄進し祈願所とした。

 天正に入り、キリシタンやった小西行長がここの領主になったとき、焼き討ちに遭うたバッテン、関ヶ原の戦いで行長が敗れた後は、行長の所領ば引き継いだ加藤清正によって再興された。

寺の山号は雁回山(がんかいざん)ていい、寺の後背地にある山(木原山)も雁回山と呼ばれている。

 これは、この山に城館を設けた源為朝が、自慢の弓で山上ば飛ぶ雁ば射落としもんやケン、雁が山ば迂回して飛ぶようになったとの伝説による。

 本尊の不動明王立像は「水引不動」と呼び習わされとる。

 かつて、大旱魃のため山下の田が干上がり、里人が難渋していたとき、里人が本尊の不動明王に祈ると、その後、不思議なことに田の中に水が引き上げられ、不動尊の足には泥水の痕が付いとったていう伝説による。

  平安時代末期の武将・鎮西八郎為朝が木原不動尊に武運長久ば祈願したとも伝えられとって、雁回山の伝説とともに鎮西八郎とは縁が深かごたるバッテン、鎮西八郎がここにおったていう証拠はなぁーもなか。

 毎月28日の縁日以外は静かなお寺で、駅長が行った日も夕方いうこともあったバッテン、境内に人影はなかった。

 場所・熊本市南区富合町木原。九州自動車道ば太宰府から城南スマートまで1時間普通車2.990円で走る。取り付け道路から県道38号線へ左折。西へ2.5km行くと左手に六殿神社の看板と鳥居が見える。通り越して400mで左折すれば、正面石段前の駐車場に着く。    取材日 2011.5.15

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