このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 宇佐神宮より古か神            「大分県」の目次へ
国指定重要文化財

 養老3年(720年)大隅・日向の隼人の反乱で大伴旅人が率いる大和朝廷軍および宇佐神宮の辛島波豆米(からしまのはづめ)率いる宇佐「神軍」が、薦神社の三角池に自生する真薦(まこも)ば刈って作った枕形の御験(みしるし)、薦枕(こもまくら)ば神体に、神輿(みこし)ば奉じて日向まで行幸し、乱ば鎮めたて言われとる。
 
 薦神社と三角池は、「三角池と薦神社」として昭和51年(1976年)大分県指定史跡、朱色の鳥居が池の中にあるのも独特の風景。

 神門は元和8年(1622)に細川忠興の造営で、国の重要文化財に指定されとる。社殿は江戸時代末期の建造ていう。

 源平の争乱時に社殿が破壊されたといわれ、その後室町に再興。細川忠興公によって復興されたとされ、境内に絵図が残されとる。千年以上続く信仰の場やった。

 祭神は本殿が応神天皇(八幡大神)、宗像三女神、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)神功皇后。八坂社(祇園社)が 素盞嗚尊(すさのおのみこと)若宮社が応神天皇皇子。

 宗像三女神は、沖津宮(沖ノ島)の田心比売命(たごりひめのみこと)、中津宮(福岡県大島)の瑞津比売命(たぎつひめのみこと)、辺津宮(へつみや)(同県宗像市田島)の市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)ば表す。

 この三女神は「日本書紀」によると、「則ち日神の生れまする三の女神を以ては、葦原中国(あしはらのなかつくに)の宇佐島に降り居さしむ。今、海の北の道の中に在す」とあって、最初は宇佐の地に降り立ったていうことになっとる

上・「阿(あ)と吽(うん)」とメスオスがはっきりしとる狛犬さんは、金の目玉で歯も金歯。

 薦神社(こもじんじゃ)は、大分県中津市から南東へ約5kmにある八幡宮で、別名大貞八幡宮(おおさだはちまんぐう)ともいう。

 珍しかことに、境内の三角池(みすみいけ)ば内宮、神殿が外宮となっとる。

 全国八幡宮の総本宮になっとる宇佐神宮の祖宮といわれ、承和年間(834-848年)の創建と伝えらる古か神社。

 鳥居ばくぐり、境内に入ると朱塗りの美しか塔に目ば奪われる。

 勅使が訪れた時この「神門」から本殿に入ったていう荘厳な門。
 国指定重要文化財。

 神門の大きな特徴は三間一戸二重門。前後に庇状の裳階(もこし)が付設されていること。

 裳階とは建物の柱頭の部分から四方につけられた廂(ひさし)のこと。

 平面の横の長さに比べて、幅が狭く縦長。棟高の神門はより荘厳にみえる。

 また、この神門は宇佐神宮の方ば向いて立っとるとゲナ。

「黒男神社」の先にあるとが「呉橋」。なんで「呉橋」か?
 中国の呉の人がかけたていわれとる。全国でも少ない屋根付きの橋。朝廷よりの勅使ば迎える時に利用していた橋といわれ、「薦神社」にも古くは勅使が訪れていたことがうかがえる。
 老朽化で現在は渡ることはできん。

 面白かとがこの参道に鎮座する金の目の狛犬の先の社「黒男神社」

 同じ「黒男神社」が宇佐神宮にもある。祀ってあるのは武内宿禰。

「くろどんさん」てよばれるこの社の武内宿禰も諸説ある謎の人物ていわれとる。

 場所・大分県中津市。太宰府ICから九州自動車道・大分自動車道と乗り継いで日田まで60km。約40分。普通車ETCで1,180円。日田ば下りたら国道212号線へ左折、大石峠越えて耶馬溪へ北上約40km。中津市に入ったら「新万田」信号で右折、県道663号線ば約2.5kmで宮前に到着。 取材日 2008.11.16

待合室へ 「大分県」の目次へ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください