このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

名前だけなら、とつけもなか巨大船と思う      「福岡県」の目次へ
 福岡県の近代化遺産

 浮クレーン船いうたらなんかいな。
 洒落て云うとフローティングクレーン。堅い言葉では「浮起重機」ても呼ばれとる。海の上で浚渫やら荷揚げ作業ばするっタイ。

 台船(自走できん浮体)の上に、蒸気駆動の15トンクレーンが取付けられたもんで、三井鉱山が明治38(1905)年に大阪築港会社から中古品として購入したもんていわれとる。

 船体はもともと木造やったとば昭和37年(1962)に交換したケン、いまは鉄製になっとるバッテン、クレーンは製造当時のもんで、ボイラー変えただけで、いまも現役として使われとる。

 三池港の開港が、明治41年(1908)やケン、築港ば開始して3年目からここにおって、築港の際にも活躍しとったらしか。

 三池港ば初めから見てきとる生き証人でもあるっタイ。

 台船の長さは30m。巾が約10m。総トン数231トン。エンジンがついとらんケン、自走はできん。タグボートに作業場まで引っぱっていって貰う。


 今年(2008)開港100年になる大牟田市の三池港の南側バースに、小さな浮クレーン船が停泊しとる。船の名前が「大金剛丸」て聞けば、どけん大きか船やろかて誰でもが想像する。バッテン実際は、名前ば裏切って「こまーんちょか」クレーン船タイ。

 さあ、この「大金剛丸」やが、老朽化のために次回の法定検査に合格でけんごたるいうことが分かって、蒸気式としては今秋以降の使用が困難になったゲナ。

 改造費用ばかけて圧縮空気式へ改造するか、もしくは解体処分かで、所有者の三井鉱山三池港物流カンパニーは悩んどんなる。いずれにせよ、平成20年10月からは運行休止予定ゲナ。

 三池港では三池式快速石炭船積3号機も平成16年の秋に解体してしもうとるし、いっぺん壊してしまえばもう元には戻らんとやケン、明治の近代化産業遺産として、また大牟田の記念碑としても、なんとか残しといてもらいたかもんバイ。

 なんちゅうたっちゃ、明治30年代のクレーン船が残っとるいうとは、極めてまれなこと。早う見ときんしゃい。

 クレーンが凄か。石炭ば焚いて蒸気ボイラーで駆動する。
 点火してボイラーが温まり、作業が出来るようになるまで2、3時間かかるとゲナ。
 なんとも呑気な話で、肩の力が抜けてしまいそうバッテン、これが活躍しよったいうケン、よき時代やったとねぇ。

 クレーン吊り上げ能力は最大たったの15トン。クレーンの歯車に「JOHN.H.WILSON&Co:LTD LIVERPOOL」の刻印があるケン、リバプール生まれの英国製てわかる。

右・バベルギァ・ウオームギァば組み合わせたクレーンの機構は頑固でも動きは確実ゲナ。

左・明治のままの上屋(運転室)は木造で可愛らしか。

 ダンクロ ローダー
 三池式快速石炭船積機いうとは、石炭ば高速で船に積み込む機械でクサ、明治44年(1911)に当時、三井鉱山の幹部やった團琢磨(だんたくま・作曲家團伊玖磨は孫)と、黒田恒馬(くろだつねま)が設計したケン、ダンクロ ローダーて呼ばれ三池港の名物やった。
 専用鉄道で運ばれてきた石炭は、バケットに落とされ、このローダーで船積みされよった。積込能力は1時間に400トンもあったゲナ。いま大金剛丸が繋がれとる対岸に3機並んどって、石炭全盛期にはフル稼働しよったていう。

右・これが在りし日のダンクロローダー (三池式快速石炭船積機) 右に石炭専用線のホッパーがあった。船を岸壁につけ、いま吊り上げとるコンベアーの先端ば船倉に向け突き出して、流れるように積み込んでいった。

 場所・大牟田市新港町。大牟田駅前から国道208号線ば1.6km南下。「八江町」の信号で右折。三川橋ばわたって「三川町1丁目」「三池港入口」信号直進。約400mで三池内港が見えたら左折して岸壁を500mで、港発電所へ右折。100mでもう一度右折して300mの三池閘門カーブ右手に繋がれとる。上の図参照。   取材日 2008.04.15

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