バッテン、なしこげなもんが当時必要やったとか ?
幕末の長崎港には外国船に限らず日本各藩の船も頻繁に出入りしよった。ところが、日本の各藩が買い入れた洋船は、中古船が多かったもんやケン、故障ばっかりしよった。
しかし長崎には修理、整備をする施設がなか。「このままじゃ船は動かされん。修船場の要るバイ」ていう不満高まった。
沖縄経由で輸入する中国の物産=琉球唐物( からもの) ば長崎に持ち込んどった薩摩藩がそこに目ばつけた。
計画ば進めたとは、NHKの大河ドラマ「篤姫」で有名になった薩摩藩家老の小松帯刀( たてわき)、実務にあたったとが藩士の五代才助( ごだいさいすけ)で、そしてもう1人、グラバー邸で知られる英国商人、トーマス・グラバーがからんどった。慶応3年(1867)ていうケン、今からすると約150年前の話。
彼らはグラバーば介して、イギリスから最新機器ば取り寄せ、明治元年( 1868) に修船場ば完成させた。
小菅修船場は、地形ば利用してドックにしたもので、まず修理する船舶ば満潮時に入り江まで回航し、船ば滑り台に乗せる。
曳揚げ小屋内に設置した曳揚げ装置とボイラー型蒸気機関で、147mのレール上ば船台ごと陸上まで引き揚げ、この状態で船底ば修理、整備した。
修理が終了すると逆の手順で船ば海に滑り下ろし、進水させるごとなっとった。
どうして、薩摩藩が藩外の長崎に修船場ば作るなんていいだしたとやろうか。
1,それだけ薩摩藩が長崎に経済面で影響力ば持っとったていうこと。
2,小菅が天領で、幕府が修船場が必要て考えとったこと。
3,申請が長崎の御用商人2人の名ば借りてでけたこと。
長崎奉行も幕府の役人も、ちょつとおかしかと分かっとって認めたとにはウラ金が動いたとかも知れん。
右と下 今は規模が小さくなっとるけど、入江から引き上げたレールなどの施設が残っとる。入江の対面は現・三菱長崎造船所。
修船場ば作る資金の分担は、薩摩藩が25%、グラバーと彼の経営するグラバー商会が75%やったゲナ。利益が出ればもちろん出資の割合で分けることに決まっとったとバッテン、完成したのは明治元年の末、時代はもう新しゅう変化しとった。
このころグラバーは、日本の内乱が長引くと見て武器ば大量に買い込んどった。それがあっさりと維新で明治政府になり思惑が外れた。
仕入れとった武器は売れん。資金繰りに悩んだグラバーは、薩摩のツテば頼って修船場ば12万ドルで明治政府に売り渡した。今日の価格なら12億円程度やったろう。これでグラバー商会は生き延びることがでけた。
明治2年( 1869) に買収した明治新政府は、長崎製鉄所の付属施設として所長は平野富二ば任命しとる。
明治17年(1884) 、三菱の所有となり、現在の三菱重工業長崎造船所の礎ていわれとる。おおげさにいえば、日本の近代造船所発祥の地ともいえる。
わが国の近代造船産業の発祥は、長崎製鉄所( 後の長崎造船所) と横須賀製鉄所( 後の横須賀海軍工廠) に始まるていうバッテン、、両者ともその後の変遷によって創立当初の貴重な建築遺構は残っとらん。
小菅修船場も船の大型化や立神造船工場の本格稼働などにより、小型船の修理などば専門とする舟艇工場へと役目ば変えていったすえ、昭和28年(1953) には閉鎖されてしもうた。
いま修船場は三菱重工長崎造船所史料館の管理となり、建設当初の姿ばかなりそのままで残して保存されとる。
ただ、船架は小型船用に改造され、レールも短こうなったもんやケン、見に行ったもんは「なんでこれがソロバンドックや」て、首ばひねる。
ところで修船場ば作った中心人物たちはその後どげんなったか。
小松帯刀は志半ばの1870年、34歳で病没した。
五代は明治政府の役人になって大阪・造幣寮の創立に尽力、グラバーがそこに硬貨鋳造機ば売り込む。
ていう具合に金で結ばれた官僚と商人の腐れ縁は続いていくことになる。
ここらはいまも昔もいっしょタイ。
小菅修船場跡は、昭和44年(1969) には国の史跡に指定され。2009年( 平成21年) 1月、「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして船台式ドック、煉瓦造りの機械室、英国製巻上げ機などが世界遺産暫定リストに追加掲載された。
そして2015年5月にイコモス(国際記念物遺跡会議)は、小菅造船所跡ば含む「明治日本の産業革命遺産」ば、 世界文化遺産に登録するよう勧告した。
正式採用は今年(2015)6月の第39回世界遺産委員会で決定される見込みになっとる。
これが確定すると日本の世界文化遺産は以下のようになる。
上・右の3枚 当時グラバーによってイギリスから輸入された巻き上げ機。動かすのはボイラー型の蒸気機関やったらしか。
今回登録予定の推薦資産は、広範囲に点在しとる複数の物件ばまとめて1件の世界遺産とする新しかアプローチで(シリアル・ノミネーションていう)、8つのエリア、全23資産のから構成されとる。
知床 (北海道)
白神山地 (青森、秋田)
平泉 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群 ? (岩手)
日光の社寺 (栃木)
富岡製糸場と絹産業遺産群 (群馬)
小笠原諸島 (東京)
富士山 信仰の対象と芸術の源泉 ? (静岡、山梨)
白川郷・五箇山の合掌造り集落 (岐阜、富山)
古都京都の文化財 (京都)
古都奈良の文化財 (奈良)
法隆寺地域の仏教建造物 (奈良)
紀伊山地の霊場と参詣道(通称:熊野古道) (和歌山、奈良、三重)
姫路城 (兵庫)
石見銀山遺跡とその文化的景観 (島根)
原爆ドーム (広島)
厳島神社(宮島) (広島)
明治日本の産業革命遺産 (山口、福岡、佐賀、長崎、熊本、
鹿児島、岩手、静岡)
屋久島 (鹿児島)
琉球王国のグスク及び関連遺産群 (沖縄)
明治日本の産業革命遺産 構成資産
エリア1:萩(山口県)
1-1.萩反射炉(山口県萩市、1856年)
1-2.恵美須ヶ鼻造船所跡(萩市、1856年)
1-3.大板山たたら製鉄遺跡(萩市、1855年)
1-4.萩城下町(萩市、江戸時代)
1-5.松下村塾(萩市、1857年)
エリア2:鹿児島(鹿児島県)
2-1.旧集成館(鹿児島県鹿児島市、1854年)
旧集成館反射炉跡(1851年)
旧集成館機械工場(1865年)
旧鹿児島紡績所技師館(1867年)
2-2.寺山炭窯跡(鹿児島市、1852年)
2-3.関吉の疎水溝(鹿児島市、1858年)
エリア3:韮山(静岡県)
3-1.韮山反射炉(静岡県伊豆の国市、1857年)
エリア4:釜石(岩手県)
4-1.橋野鉄鉱山・高炉跡(岩手県釜石市、1858年)
エリア5:佐賀(佐賀県)
5-1.三重津海軍所跡(佐賀県佐賀市、1858年)
エリア6:長崎(長崎県)
6-1.小菅修船場跡(長崎県長崎市、1869年)
6-2.三菱長崎造船所 第三船渠(長崎市、1905年)
6-3.長崎造船所 ジャイアント・カンチレバークレーン(長崎市、1909年)
6-4.長崎造船所 旧木型場(長崎市、1898年)
6-5.長崎造船所 占勝閣(長崎市、1904年)
6-6.高島炭坑(長崎市、1869年)
6-7.端島炭坑(長崎市、1890年)
6-8.旧グラバー住宅(長崎市、1863年)
エリア7:三池(福岡県・熊本県)
7-1.三池炭鉱、三池港(福岡県大牟田市・熊本県荒尾市)
三池炭鉱 宮原坑(大牟田市、1898年)
三池炭鉱 万田坑(大牟田市・荒尾市、1902年)
三池炭鉱 専用鉄道敷跡(大牟田市・荒尾市、1891年)
三池港(大牟田市、1908年)
7-2.三角西(旧)港(熊本県宇城市、1887年)
エリア8:八幡(福岡県)
8-1.官営八幡製鐵所(福岡県北九州市)
八幡製鐵所 旧本事務所(1899年)
八幡製鐵所 修繕工場(1900年)
八幡製鐵所 旧鍛冶工場(1900年)
8-2.遠賀川水源地ポンプ室(福岡県中間市、1910年)
赤字はすでに「ふる里駅」の「九州遺産」にアップ済み
オレンジはすでに取材・撮影済み。今後アップ予定。