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口之津港の盛衰ば見続けて・・ 「長崎県」の目次へ |
明治日本の産業革命遺産 |
口之津灯台は、三池石炭海外輸出港として入港船舶が増加し始めた明治13年に創設された。長崎県では3番、九州では8番、日本では43番目の灯台として初点灯した。レンガ造りの灯台としては、現在第七管区で最古のもの。 |
明治13年(1880)に建設されたとげなバッテン、屋根ばシロアリに食われ、明治28年に煉瓦造りに改築したとゲナ。 シンプルで美しか灯籠部と蛇腹ば回した8角形の灯塔は独特で繊細。 初期の洋式灯台に見られるような縦方向だけの美しかフレームが特徴。 口之津港から天草の鬼池港までは、直線距離にして約8km。早崎瀬戸ば突っ切って30分で着く。6時半から18時半までの間は1時間に1本、島鉄のフェリーが出よる。 鬼池港いうたら、天草下島の北の玄関で、島原の子守歌にもあるごと、口之津とは近かケン、昔から行ったり来たりのあったとタイ。 |
口之津町 口之津町(くちのつちょう)は、長崎県の島原半島の南端にあった町。南高来郡に属した。 島原鉄道南目線と口の津駅 島原鉄道(土地の人は略して島鉄)は、諫早駅から島原半島の加津佐駅まで44駅、78.5kmば走る。 島原半島の北半分、諫早〜南島原間ば北目線、南島原〜加津佐間ば南目線て云う。 明治44年(1911)に本諫早〜愛野間で開業した島鉄と、大正11年(1922)島原湊〜堂崎間から始まった口之津鉄道が合体して、島原半島の足やった。 口之津駅は昭和3年(1928)に口之津鉄道の駅として開業した。昭和18年(1943)に会社が合併したもんやケン、島鉄の駅になった。 国道ば挟んで駅の向こうは口之津港。 日本人の娼婦「からゆきさん」も、この港から出稼ぎに出て行った。 |
場所・長崎県長崎市南山手町8番1号。九州自動車道ば松橋まで走って下りる。取付道路ば出たら左折国道181号線ば西へ3kmで松橋町の信号。左折して266号線ば西へ、三角半島の南側ば20km走ったら三角。天草大橋ば渡って約40km、天草市ば右折して突き抜ける。さらに10km北上すると鬼池港に着く。ここでフェリーに乗れば約30分、普通車3,000円で口之津港に着く。船ば下りたら街中ば西へ200mばかり走って左折港の北側に沿うて1kmも走れば灯台が見えてくる。 取材日 2008.02.20 |
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