このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
県境はさんで宮原坑とともに 三池炭鉱の主力やった 「熊本県」の目次へ |
ユネスコ世界遺産登録 |
万田坑のシンボル・第二縦坑やぐら。上の滑車から昇降用のゲージがふたつワイヤーで吊り下げられ上げ下ろしした。 |
また第一竪坑跡、汽罐場跡、坑内トロッコ軌条、職場、プラットホームなどが遺存し、炭鉱のシステム*採炭、選炭、運炭(が分かるため、炭鉱施設としてはわが国では唯一、平成12年(2000)1月19日、国史跡として指定された。 ↑ 万田坑の全景。右が第二竪坑やぐらと巻き揚げ室 万田炭鉱館 近くにある「万田坑ステーション」にはたくさんの資料や写真が展示され、炭鉱マンや技術者たちが苦楽ばともにしとった頃の喜びが伝わってくる。 → 廃坑以来これまでは、国の重要文化財とはいえ、おとずれる人もなかった炭鉱遺跡。 市も維持管理の予算もつけきらず、ほったらかしたままやったとが、世界遺産に決定した途端、観光客は押し寄せるわ、マスコミは取材に来るわの大人気。 なんとこれまでの6倍も観光客が来よるゲナ。 人間チャ勝手なもんやねぇ。急に手のひら返したゴト、広告は出すわ、ポスターは作るわ、ちやほやしだして大事に扱うゴトなってきた。20年間もほったらかされとった建物たちがいいよった。 「日本のために石炭ば掘りに掘っといて、こげんほったらかされとったら、世界遺産ぐらいじゃ引き合わん」 |
三池炭鉱専用鉄道 明治24年(1891)には大牟田川河口〜大浦坑間が開通して蒸気機関車が使われ始めたら、線路は次々と延ばされ勝立坑やら宮原坑、万田坑などば通って、三池港まで線路が敷かれるようになった。 何に使いよったかていうと、 当初は三池炭鉱から掘り出された石炭やら、炭鉱で使用する資材の運搬やった。後には工場で使う原材料やら製品ば輸送しよった。 いまはどうなっとるかていうと、線路こそ撤去されとるバッテン、一部には閉山時の枕木なんかもそのまま残されとる。 |
はじめは「万田駅」やった荒尾駅 |
場所・熊本県荒尾市宮内出目390番地。九州自動車道の南関ICば下りて、県道10号線ば西へ約8Kmで国道208号線「元村」の信号。左折して国道208号線ば鹿児島島本線に沿うて南下。大牟田市内ば抜け、9Kmの「荒尾市万田西」信号から約20m先の信号ば左折。東へ約1Kmで到着。右はグリーランドリゾートゴルフ場。 取材日 2008.04.18 |
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