このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 中島川が氾濫するたびに何回壊れたかわからん      「長崎県」の目次へ
 国の重要文化財        

川下から見た眼鏡橋、これやったら眼鏡橋としか言いようがなか

 年が経つにつれ、眼鏡橋の石積みに緩みが目立つようになったもんやケン、昭和23年(1953)から車両の通行ば禁止しとったバッテン、昭和57年(1982)7月23日の長崎大水害で半壊。橋に使われとった全部で831個の石のうち、125個が流れ出してしもうた。しかし根性でそのほとんどば回収、新しく作ったとは30個やったゲナ。

 眼鏡橋(めがねばし)は、長崎市の中島川に架かる石造り二連のアーチ橋。架橋時、沖縄の天女橋ば除くと、日本初の石造りアーチ橋やった。

橋の長さは22 m、幅3.65 m、川面までの高さは5.46 m。2つの半円ぱ描くアーチ形式の石橋で、水面に映しだされた姿が眼鏡のように見えるケン、この名がついた。

寛永11年(1634)、中国から来日して興福寺の2代目住職となった黙子如定(もくす にょじょう)によって架けられたていう。ていうても、自分でした訳じゃなか。

 黙子は中島川の氾濫のたびに橋が流されとば見かねて、中国から石工ば呼び寄せて眼鏡橋ば建造させたとタイ。

 慶安元年(1648)の洪水でまた崩れてしまうバッテン、今度は平戸の石工。平戸好夢(ひらとこうむ)が修復しとる。

 平戸好夢とは?平戸の貿易商で出島ば作ったていう25町人のひとりで、工事ば指揮監督したていうバッテン、正確なことは分かっとらん。

 中島川には上流から下流まで、たったの5kmの間に18もの橋が架かっとった。今でも諏訪神社から、港までの間に21の橋がある。なしそげん橋が要ったとか ?
 
 中島側の左岸には寺町ていうぐらい昔からお寺が広がっとった。橋は寺まいりの参道としての重要な役割ば持っとった。ひとつの寺が専用のごと橋ば作っとったていう話もある。石橋は長崎町人たちの生活道やっことに間違いはなか。

 過剰気味のこれらの橋は、みんな僧侶、通詞、商人など個人の財力で造られとった。それはとりもなおさず長崎が鎖国時代唯一の外国貿易港であり、天領であった豊かさば表しとる。
 諫早の眼鏡橋が造られたとは天保10年(1839)、それに対して長崎のは寛永11年1634)長崎の方が200年も古か。「それなのになし諫早の眼鏡橋が重要文化財に指定されて、先にできた長崎の眼鏡橋が指定されんとか!おかしかろうもん」ていう文句が起こり、昭和35年(1960)、遅ればせながらやっと国の重要文化財に指定された。

 眼鏡橋の辺りは増水時の氾濫対策として川幅ば広げる必要があった。橋などの姿ばなるべく残すごと、川幅や橋はそのままにして、両岸の地下に暗渠式のバイパス水路ば設けることで解決した。

 この際、左岸側バイパス建設地から川の上にまで張り出した家屋やら商店など46戸は約20年の交渉ば経て全戸が移転し、跡地にはいまの歩道と街路樹が整備されたていう経緯がある。

 「眼鏡橋」は英語でいうとふたつの言い方がある。

 ひとつは、SPECTACLES BRIDGE(眼鏡の橋)

 もうひとつは、TWO-ARCHED BRIDGE(2つの半円の橋)どっちでもヨカ。
 眼鏡橋付近の堤防にハートの形をした石が20個前後はめられており、観光に一役買うとる。
 いつ行ってもきれいか眼鏡橋バッテン、ランタン祭りの時は特に照明が派手で、楽しか気分にしてくれる。

明治15年(1882)、西道仙により
橋名が決まった。
 西 道仙(にし どうせん)いうたら
漢学者で明治時代のジャーナリストで
(明治9年(1876)から「長崎新聞」の
編集長ばした人。

第一橋………阿弥陀橋
第二橋………高麗橋
第三橋………大井手橋
第四橋………編笠橋
第五橋………古町橋
第六橋………一覧橋
第七橋………すすき原橋
第八橋………東新橋
第九橋………魚市橋
第十橋………眼鏡橋
第十一橋……袋橋
第十二橋……古川橋(常盤橋)
第十三橋……榎津橋(賑橋)
第十四橋……万(よろづ)橋
第十五橋……大橋(浜町大橋)

 「眼鏡橋」は、みんなが勝手気ままに自分で名前ばつけて、呼びよった、めがね橋、眼鑑橋、目鑑橋、目鏡橋、目金橋、靉靆橋(アイタイ/めがね)めがね以外には、酒屋町橋、太鼓橋、拱橋、曲橋、反橋、虹橋、アーチ橋…。

 川面に映るその姿から「めがね橋」の名でいちばん多く親しまれとったバッテン、、
 明治15年(1882)、正式に「眼鏡橋」と命名された。通称・俗称でしかなかった長崎市内の100余の橋名がこの年、西道仙により統一されたていう。

  中島川には15の橋があった

 場所・長崎市魚の町 太宰府ICから九州自動車道・長崎自動車道と終点の長崎ICまで、136km、1時間30分、ETC3,540円。そのまま「ながさき出島道路」へ入って4kmで「市民病院前」信号に出る。右折して市電と一緒に400mで「中央橋」信号、左折即右折して中島川に添い、400mの栄町信号(標識なし。左角が長崎銀行)で小道へ右折。50m足らずで眼鏡橋に突き当たる。  取材日 2008.2.19

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