このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

炭都大牟田に近代化ばもたらした港のゲート      「福岡県」の目次へ

左が巾20mの閘門。両わきに(写真では右のひとつだけ写っている)水圧調節のスルーゲート。

 三池港は、三池炭鉱で採掘された石炭ば大型船で積出すために作られた。

 三池港ができる前はていうと、大牟田川の河口から「こまぁーんか」船に積んでクサ、島原半島の口之津港まで運んで、そこで大型船に積替えとったらしか。

手間暇かかるし、金もかかる。なんとか大牟田から直接積み出したかとバッテン、有明海が干満の差が5.5m以上もあって激しかもんやケン、干潮時は大型船が入られん。

 そればなんとかしょう云うて、三池港の築港が始まったとタイ。

 三井鉱山の専務やった団琢磨(だんたくま)が先頭に立ち、明治35年11月に着工されて、明治41年(1908)に竣工した。團琢磨は「たとえ100年後に三池に石炭がなくなっても、三池港があれば大牟田は栄え続けることが出来る」いうて三池港ば築港したていわれとる。

 工事は、まず埋め立て地の外周となる潮止め堤防から始められた。堤防の石は、陸では勝立付近から切り出して車で運び、海上では天草で切り出し、船で運んできて積み上げたゲナ。干拓部分の中ば11m掘り下げ、繋船壁、護岸の石積みばして、その排土で裏側ば埋め立て、不足分は仮設軌道で陸地から運んできたていう。

  工事費は明治の金で375万6千円。いまじゃあ見当もつかん。6年間に投入された労力が延べ262万人がていう、とてつもなかプロゼクトXやった。

 引き潮のときでも水位ば保つため考えたとが、船溜まりの出入り口に閘門ば作るていう方法タイ。閘門は英国製で、観音開きの門扉ば水圧で駆動させる。満潮時には門扉ば開いて船舶ば出入りさせ、干潮時には門扉ば閉じて港内ばドック状態にして水深(常時8.5m)ば保つ。

 これのお陰で、内港には干潮時でも1万トン級の船舶が停泊可能となって、石炭の積み出しがでけるごとなったていう訳タイ

 この閘門はパナマ運河と同じ様式で作られとるとげなバイ。100年経った今でも現役バリバリで、しかもほとんどの機器が建設当時のものいうケン、たまがるばっかりタイ。

 閘門式水門は幅20mの水路に設置された2枚の観音開き鋼鉄製門扉で、水圧シリンダーで開閉するごとなっとる。
 満潮時には門扉ば開いて船ば出入りさせ、干潮時には門扉ば閉じて内港内の水位ば保ついう訳タイ。門の高さは8.5m、底は渠内の底に合わせてあるケン、門ば閉じると渠内の水深は8.5mになる。

 可動橋は閘門とセットになっとって、一般人が渡る普通の橋ではなかバッテン、船溜まりば迂回せずに対岸に行くための連絡橋の役割も兼ねる。

 沖縄にアクア大橋ていう転回橋があったバッテン、撤去されたごたあケン、三池港の可動橋が転回式としてはおそらく、いまに残る国内唯一もんやろう。

上2枚・港内に大型船が入ったとき水圧調節ばするスルーゲート。そのゲートば上下させるむき出しのギア。
右・三池閘門の空撮。左が外港と仕切った閘門で、右側が内港。右下に係留されとる大金剛丸が見えとる。
(大牟田市教育委員会のパンフから)

上左・外港に残る積み込みのための桟橋。干潮時で水深のないのが分かる。
上右・閘門の横に外港へ向けて走っていた専用線軌道の基礎が残る。
左・閘門をのぞみ内港で釣りを楽しむ人達。昔、丁度この辺りにダンクロローダー(大金剛丸を参照)があった

 場所・大牟田市。大牟田市内ば貫通する国道208号線の「八江町」信号ば西(海側)へ曲がる。鹿児島本線の陸橋ばくぐり三川橋ば渡る。「三川町1丁目」信号直進。続いて50mの「三池港入口」信号も直進400mで左手に三池港が見えてくる。港を左に見て500mの左側にある。閘門に誰かおんなって「よか」ていいなったら入れる。反対側に回るときは「大金剛丸」に載せとる地図ば参照。      取材日 2008.04.15

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