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大正ロマンの めがね橋           「福岡県」の目次へ

 南河内橋は、板櫃(いたびつ)川の上流に建設された河内ダムに架かる鋼トラス橋。

 河内ダムは、八幡製鐵所の工業用水確保のために国家事業として作られたもんで、当時はダムとはいわず貯水池て云いよった。

 南河内橋も、ダムと一緒に当時の最先端技術ば駆使し、大正8年から昭和2年にかけて建設された。

 トラス橋いうたら、細長い鋼材ば繋いで桁ば釣り下げる作り方で、この橋はレンティキュラートラスと呼ばれ、古いタイプの作り方。

 レンティキュラーいうたら、レンズのことタイ。

 眼鏡の形に似ていとるケン「メガネ橋」ていわれとるバッテン、魚の形にも見えるケン「魚形橋」ても云う。この形式の橋は一時流行って、日本では3例建設されたバッテン、今ではこれだけしか残っとらん。世界でも珍しかゲナ。

 円弧形の部分が主構造で全体ば支えとって、路面の下にある桁ば吊り下げとる。この橋は完全に対称な二つの橋が繋がっとるケン、双方がS字状の優雅な曲線ば描いて、周囲の山の稜線やら湖面ともよう調和しとる。

 完成は1927年(昭和2年)設計者は官営八幡製鉄所の沼田尚徳さん。橋の長さは132.97m。巾4.1m。径間が66mで2連。平成18年12月19日、重要文化財に指定された。

 大正ロマンば感じさせる橋門の装飾(右上写真)、シックな高欄など、設計者のデザインセンスが素晴らしか。

 河内ダムについては、別項ば見てもらうとして、板櫃川ていえば、福智山系の尺岳あたりが源流で、河内ダムば通って小倉の日明(ひあがり)が河口になっとる。干潮時には河口付近が干上がりよったケン「日明」ていう地名になった。

 ずーっとむかしに遡れば1300年ぐらい前、世に言う「板櫃川の戦い」ていうとがここであっとる。
 聖武天皇が、あんまり仏教にのぼせあがってクサ、僧の玄ぼう(パソコンには字がなか)やら吉備真備(きびのまきび)ば重用しすぎたもんやケン、不満ば持っていた人物がおった。

 この人物が板櫃川の戦いの主人公・藤原広嗣(ひろつぐ)やった。広嗣は大化の改新で活躍した、藤原鎌足の曾孫(ひまご)でクサ、都では名門中の名門やった。天皇に不満ば鳴らしたもんやケン、太宰府の少弐に流された広嗣が反乱ば起こして、朝廷軍と戦うたとが「板櫃川の戦い」やった。もっとも1万人じゃ勝つはずあなかタイ。ひっちゃがちゃやられて、広嗣は殺されたとバッテン、これには太宰府伝説ていう後日談があった。

 南河内橋とは全然関係なかバッテン、駅長の話は脱線するとが当たり前やケン、ちょっと付き合うてやらんね。

 その後玄ぼうは、藤原仲麻呂(なかまろ)の台頭でクサ、天平17年(745)、観世音寺別当に左遷され、大宰府にやってきた。翌天平18年(746)、天智天皇の母斉明天皇ば祀る観世音寺が落成した法要の日、玄ぼうが導師ば勤めとったら、突然、空が真っ暗になって一面に暗雲がたちこめ、雷が轟き始めた。

 そして、赤い緋色の衣に冠ばつけた霊が現れ、あっという間もなく玄ぼうばつかんで空に連れ去ったゲナ。みんなびっくりこいて、あぱーんと空ば見上げとったら次の瞬間、何と、玄ぼうの胴体と手足がバラバラになって落ちてきた、ていうやなかね。あわてふためきながらも、弟子たちは玄ぼうの体ば拾い集め葬ったゲナ。

 それが、現在、
観世音寺の裏にある「玄ぼうの墓」ていう訳よ。
 「玄ぼうば連れ去った霊は、乱ば起こして殺された藤原広嗣バイ」て、みんなで噂しあうたゲナ。

 こん時、空から落ちてこんやった頭はどうなったかていうと、玄ぼうの頭は、奈良の興福寺に落ちてそこで葬られ、いまでも玄ぼうの頭塔いうとか建っとるらしか。

 橋に戻ろうかね。

南河内橋は、ダムば横断する道路橋として造られ、活躍しとったとバッテン、今は自動車の通行はできんごとなってダム周辺遊歩道の一部として使用されとる。渡らんでも遠くから見るだけで美しか。

中河内橋はダムに流入する南河内川に架かる。河内五橋の中では石積みでいかにも古そうバッテン、南河内橋と同年齢。

 中河内橋は、三連のアーチ型自然石積橋。この近くで採石された大小の石(15cmから30cm)ば細かく積んだデザインが印象的。「三ツ目の眼鏡は可笑しかろうもん」て難癖つけたやつがおって、こっちは眼鏡橋とは云わん。

 専門的には、石張り鉱滓(こうさい)煉瓦造の上路式三連アーチ橋ていうとゲナ。長さ46.5m。幅員10.6m。鉱滓煉瓦は八幡製鐵が生産工程で出した残滓(ざんさい)ば再生利用したもので白っぽい煉瓦。

 設計・施行は官営八幡製鉄所。橋の長さは46.5m。径間は9.4mの三連アーチ

 表面仕上げは、輪石や壁石、橋台、橋脚が自然石で、玉石積みが面白か。欄干は河内堰堤の欄干と同じく細く削り取った切石が使われとった。

 現在の中河内橋は上流側に鉄骨造りの桁橋ば追加して2車線に拡幅たもんやケン、上流から見たらざまぁなか。
 バッテン、遊歩道橋になった南河内橋と違うて、こっちは県道ば支える現役バリバリの橋タイ。

 場所・北九州市八幡東区。国道3号線で黒崎駅前ば通り越し約2km。前田の信号でなだらかに右折して県道50号に入る。直進3kmちょいの大蔵2丁目信号で右折すれば約3kmで河内ダム。さらにダムを奥へ回り込む。取材日 2007.04.02

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