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三角西港の青い空と海は乙姫の玉手箱
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「その宿屋は私にとっては極楽、そこの女中達は天人のように思われた」「浴衣を着て、涼しい畳の上に楽々と座ってよい声の女中達にかしずかれ・・・・・」 昔話の中の浦島太郎とダブらせながら「夏の日の夢」ていう作品ば書いたていう訳よ。 | |
明治10(1877)年に起こった西南の役で、荒れ果ててしもうた熊本ば復興させるため、ときの県令(県知事)富岡敬明は、港の建設ば計画し、総工費30万円余の予算ば計上するとともに、明治政府に対して、国費による補助と技師の派遣ば求めた。 | |
埠頭は延長730m。石垣の高さ6.36m。大矢野島の飛岳から切り出した砂岩ば材料にした。 龍驤館(りゅうじょうかん) ムルドルは埠頭の建設だけじゃのうしてクサ、石積の排水路やら、道路の側溝、石橋までも作って、都市施設の設計までしっかりとした仕事ば残しとんなつた。 西港は熊本から約36kmの距離があるケン、物資の輸送ばスムースにするため、熊本─三角間の道路の整備も平行して行われたらしか。大小61の橋ば架け、崖も削らないかんやった。工事ば急ピッチで進めるため、県令の富岡敬明は、5時に退庁したあとも、馬に乗ってほとんど毎日のごと現場の督励にあたったゲナ。明治の県知事さんな、根性のある仕事ばしよんしゃったとねぇ。 | |
場所・宇城市三角町三角浦。九州自動車道を松橋ICで出る。国道218号を左折して1kmで国道3号線。右折して1km北上。ここで宇土半島の南岸ば走るのなら、左折して国道266号線を約25kmで三角東港に着く。北岸ならさらに国道3号線ば4.3km北上して宇土から左折。国道57号線ば約25kmで、こちらは西港に着く。 取材日 2007.9.25 | |
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