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石炭全盛時、唐津港の象徴やった           「佐賀県」の目次へ
佐賀県指定文化財

 なし正面の写真ばトップにせんやったかていうと、2007年6月現在、唐津市歴史民俗資料館としては閉館してしもうてクサ、空き家になっとったけんタイ。

 せっかく訪ねて行ったとい、なぁーんクソならんやった。

 県も市も指定しとる文化財が、これじゃあ恥ずかしかろうモン。

 佐賀県は商工共済訴訟で、大金ばバチかぶらないかんごとなって、文化財の保存やら手の回らんとか。
 バッテン、指定した以上、保存の予算はつけろ。

 文化財が「見捨てられました」云うて泣きよったバイ。


 で、この建物はクサ、唐津港が石炭積み出し港として栄えとった頃(明治41年(1908))、三菱合資会社が長崎支店唐津出張所として建てとうと。

 設計は三菱丸ノ内建築事務所、施工は神戸三菱建築事務所。みーんな三菱タイ。当時の三菱建築の顧問やったとが、唐津出身の
曽禰達蔵(そねたつぞう)博士で、おんなじ唐津出身の辰野金吾と並んで、日本近代建築の草分け的存在やつた。

 曽禰達蔵(そねたつぞう)はクサ、嘉永5年(1852)唐津藩士の子に生れて、10歳の時藩主小笠原長国の嗣子長行(ながみち)の小姓になった。

 慶應4年(1868)、15歳のころ、唐津藩は明治新政府に従うとったとバッテン、達蔵は長行とともに藩から離れ、幕府軍について行動しとった。
 
 よくあるどっちが勝ってもよかごと「両股かけ」タイね。

 帰藩の後、明治4年(1871)には、19歳で藩の耐恒寮(たいこうりょう)で英語ば学び、上京して20歳の時から、英人建築家コンドルに教えば受けた。

 明治14年からは、コンドルといっしょに工部大学校で先生ばしよったこともあるゲナ。

 明治23年、三菱に入社して三菱オフィスビル街の建設にあたったていう経歴の持ち主タイ。

 明治39年に三菱ば退社して、
曽禰建築事務所ば開設、多くの作品ば残しなった。代表的作品には、旧三菱銀行神戸支店、三菱重工業(株)長崎造船所の占勝閣のほか、明治屋福岡支店、小笠原伯爵邸などがあると。

 派手な辰野金吾とは違うて、民間の建築家としての立場ば貫き通したていわれとる。

 ところで、なし、明治時代に三菱が唐津支社やら建てたとか、ていう問題やが・・・

 当時、三菱合資会社は、九州各地で炭坑経営ば拡張し続けよった。明治33年には
相知炭坑ば、そして杵島炭坑、高島炭坑。明治44年には県下で最大やった芳谷炭坑ていうぐあいに、自分で開拓するっちゃのうして、次々に、石炭の出るて分かった炭坑ば、金の力で買収していったとタイ。

 相知炭坑の採炭量は佐賀県下の12%、杵島炭坑が23%、芳谷炭坑は40%ば占めとったていうケン、三菱は佐賀県下の炭坑のほとんどば押さえとったことになる。明治から今に至るまで、エネルギーと武器商社「三菱」らしかやなかね。

 買収した肥前各地の炭坑が掘り出す石炭ば、唐津港から積荷するとい、その膨大な事務処理と管理に唐津支社が要ったちゅう訳。要するに現場事務所タイ。その証拠に、建物んのすぐ裏が唐津港になっとる。

 現場事務所とはいうても、大三菱の威風ば表したかったとやろう。日本建築ばっかしやった当時にしてみたら、木造バッテン、ベランダ付総二階建て入母屋造りで、洋風にしたかけど和風も残したかていう珍しか建物タイ。

 そげな唐津にとって歴史のある建物ば、唐津市歴史民俗資料館条例まで作ってクサ、昭和59年から活用しょうて始めなったとはよかバッテン・・・・・

 曽禰達蔵、辰野金吾の経歴、業績やら、本館の建築設計図やら、唐津港の歴史・石炭採掘の道具(鑿岩機、ランプ、スラなど)、ば並べとくばっかりでは、大人100円・子供50円でも誰が見に来るね ?

 とうとう唐津市もサジ投げて「しまえてしもうた」ていう訳。

 あとは例によって鍵ば掛けて、鎖ば張ってほったらかし。避雷針は傾き、屋根板は剥がれ見る影もなか。上空にはカラスが舞うて、ホラー映画のごたあ雰囲気さえ漂う。

 「行政がお手上げなら、三菱が金だしてでも、なんとか保存せんかい、会社の歴史的遺産やろうが。あんた達のご先祖さんバイ。見苦しか ! !」て、いくら駅長が叫んでも、ケチの三菱が、儲からんことに金ば出すはずはなか。

佐賀県重要文化財て看板は立派バッテン、門は閉まって、倒産した会社のごとロープの張ってある。

横に回ったら、煉瓦積みの明治らしか建物があった。倉庫やったっちゃろうねぇ。

唐津市民俗歴史資料館は「しまえ」とった。「しまえる」いうたら博多弁で倒産・終わり・死ぬこと

横も後ろも唐津湾。石炭ばどんどん積み出しよった頃は、この事務所も輝いて、威張っとったっちゃろうバッテンねぇ。屋根は剥げちょろけてザマァなか。

二階のベランダからも、船の出入りが監督できるごとなっとったごたる。
歴史ば見てきた夾竹桃が、主はおらんでも咲いとった。

 場所・唐津市海岸通り。唐津市内ば通り抜け、火力発電所ば右に見て、204号線ば呼子のほうへ走ります。妙見工業団地入口信号の20m前から右折して住宅地の突き当たり。                  取材日 2007.6.20

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